轢かれた猫が物語る(テーマ:趣味)
文字数 2,226文字
健太殿のご趣味は、お墓を作ることである。
このことについて、死体仲間の皆はこう言っている。小学生がそんな趣味を持つは異常であって、虐待された健太殿が捻じ曲がって育ってしまっている証拠であると。
私はどうにも納得できぬ。恩義を感じているからかもしれぬ。野良猫たる私が車に轢かれて死んだとき、ご埋葬くれたのが健太殿であった。数ヶ月ほど前のことである。
私が死んだのはある暑い夏の日のことである。
道路を横断する際に、左右の確認を怠ったのだ。猫たるもの人間社会の規範などに順じてはならぬぞという、我が死んだ祖父の生き様に倣った故である。
クラクションの音と一緒に撥ね跳ぶ我が身。
あららー、という間の抜けた思いを最後に、私はあっさり死んでしまった。
幸い身体が道路と固着することはなく、原型を保ったまま逝けた。道路脇に除けられたまま、さてどうなることかと思っておった。
猫たるもの死ぬときは人目より隠れるのが王道であるのに、道端で白目をかっ開いたまま、通り過ぎる人間の晒し者である。
悶々と生き恥(この場合死に恥かもしれぬ)を晒していた我が身。
そこに通りがかったのが健太殿である。
多くの人々が可哀想と言葉を置き残しながらさっさと通り過ぎていく中、健太殿だけがその場に膝をつき、じいと私の死体を眺めた。
そして我が死体を腕に抱え上げると、ご自宅の庭へと運んでいった。
シャベルでせっせと穴を掘り、私を安置し土をかけ、上からアイスの棒を挿しこんだ。
アイスの棒には「ねこさん」と下手っぴいな字で書かかれており、それが私のささやかなる墓標となった。
そうして土の中の死骸となった私が知ったことには、この庭には沢山の死体仲間がおり、死体を拾ってきては埋めるは、健太殿のご趣味であるらしいということであった。
そしてまた死体仲間の中で、噂話が囁かれていることも知った。
それは、健太殿が、いつ、埋めるために殺すようになるか、ということであった。
――あの子の暗い目を見てみろよ。子供の目じゃないぜ。
絶対そう遠くないうちに、殺して埋めるようになる。
そうさ毎日あんな仕打ちされてさ。まともな人間になるはずがないんだ――
健太殿が虐待を受けているらしいということを、私は金魚の死骸から聞いて知った。
もともと健太殿の部屋の金魚鉢にいたらしい金魚は得意気に言った。健太殿のシャツをまくった腹には、青黒い痣が無数についている。それはお母上に、ペンチでつねられた痕なのだ、と。
いつからそういうことになったのか私にはわからぬ。ただ以前に健太殿のお父上が余所に女をつくってからというのが墓下の定説である。
夜、健太殿が眠っているときに、お母上が子供部屋に入ってき、ペンチでぎゅうっと健太殿の腹や脇をつねるのだそうだ。君のためにママは離婚せずに必死に頑張ってるのよ、と涙混じりに囁きながら。
母上につねられているとき、健太殿は猫より小さく丸まったまま動かない。黙ったまま一言の泣き声もあげない。
ただ、朝に起き出してから、無言で墓を掘るようになった。
――そのうち、殺すぜ――
健太殿はベッドの脇のナイトテーブルに、よく磨いだ彫刻刀を用意している。
そのうち殺して埋めるようになり、そして最後にはあれでお母上を殺すつもりなのだぜ、と墓下で皆は噂している。
墓は日ごとに増えていく。健太殿のお腹の痣も増えていく。
健太殿の目は日ごとに暗く、焦点が定まらなくなっていった。干からびた蝉、潰れた鼠――どこからか死骸を見つけてきては、虚ろに墓を掘り続ける。
殺されたという死体はまだいなかった。
けれどアイスの棒の立ち並ぶ庭の下で、時間の問題だろうと皆は囁いていた。
ある日のことだ。
その日、健太殿は墓を掘っているところを母上に見つかってしまった。
それまで、墓堀りは健太殿の内緒の趣味であった。健太殿は玄関脇の小道から、家に入らず死体を庭に運び込む。母上も父上も庭のある家は好きでも庭自体は好きではないお人だ。バレずに埋葬ができたのである。
だがその日、母上は、何かの拍子に窓から庭をちらと覗いた。そして立ち並んだアイス棒の墓標と、カラスの死骸を脇に墓堀りをする健太殿を見た。
母上はその場では何かを言う人ではなかった。だが、母上の目の中に歪んだ何かが見えた。健太殿も気付いたまま固まっていた。
その日の夜、何があったか、私は知らない。
夜中になって、健太殿はふらりと庭に現れた。
魂の抜けた目は焦点が合わず、ざくざく墓穴を掘り出した。
でっかい穴だ。人一人はいるくらいの。
殺したのだな、母上の墓を掘るのだな――皆が口々にそう言った。
私はそれは違うよと言った。
健太殿は墓を掘り続ける。仲間がいっぱいで寂しくはなくなったね。でもあなたはここには入れないんだ。
彫刻刀は自分で使うためではなかったのだね。可哀想に。母上のために、あなたはどんな哀しい想いをその刃に祈ったのだろうか。無理しないでいいよ、これを使って、と。
もしも私が朽ちかけの冷たい死体でなければ、あなたの頭をそっと撫でてあげられるのだが。
健太殿は声を殺して泣き出した。
その手からアイスの棒が転がり落ちる。
「けんた」と書かれたアイスの棒が、土の上に一本、転がっている。
このことについて、死体仲間の皆はこう言っている。小学生がそんな趣味を持つは異常であって、虐待された健太殿が捻じ曲がって育ってしまっている証拠であると。
私はどうにも納得できぬ。恩義を感じているからかもしれぬ。野良猫たる私が車に轢かれて死んだとき、ご埋葬くれたのが健太殿であった。数ヶ月ほど前のことである。
私が死んだのはある暑い夏の日のことである。
道路を横断する際に、左右の確認を怠ったのだ。猫たるもの人間社会の規範などに順じてはならぬぞという、我が死んだ祖父の生き様に倣った故である。
クラクションの音と一緒に撥ね跳ぶ我が身。
あららー、という間の抜けた思いを最後に、私はあっさり死んでしまった。
幸い身体が道路と固着することはなく、原型を保ったまま逝けた。道路脇に除けられたまま、さてどうなることかと思っておった。
猫たるもの死ぬときは人目より隠れるのが王道であるのに、道端で白目をかっ開いたまま、通り過ぎる人間の晒し者である。
悶々と生き恥(この場合死に恥かもしれぬ)を晒していた我が身。
そこに通りがかったのが健太殿である。
多くの人々が可哀想と言葉を置き残しながらさっさと通り過ぎていく中、健太殿だけがその場に膝をつき、じいと私の死体を眺めた。
そして我が死体を腕に抱え上げると、ご自宅の庭へと運んでいった。
シャベルでせっせと穴を掘り、私を安置し土をかけ、上からアイスの棒を挿しこんだ。
アイスの棒には「ねこさん」と下手っぴいな字で書かかれており、それが私のささやかなる墓標となった。
そうして土の中の死骸となった私が知ったことには、この庭には沢山の死体仲間がおり、死体を拾ってきては埋めるは、健太殿のご趣味であるらしいということであった。
そしてまた死体仲間の中で、噂話が囁かれていることも知った。
それは、健太殿が、いつ、埋めるために殺すようになるか、ということであった。
――あの子の暗い目を見てみろよ。子供の目じゃないぜ。
絶対そう遠くないうちに、殺して埋めるようになる。
そうさ毎日あんな仕打ちされてさ。まともな人間になるはずがないんだ――
健太殿が虐待を受けているらしいということを、私は金魚の死骸から聞いて知った。
もともと健太殿の部屋の金魚鉢にいたらしい金魚は得意気に言った。健太殿のシャツをまくった腹には、青黒い痣が無数についている。それはお母上に、ペンチでつねられた痕なのだ、と。
いつからそういうことになったのか私にはわからぬ。ただ以前に健太殿のお父上が余所に女をつくってからというのが墓下の定説である。
夜、健太殿が眠っているときに、お母上が子供部屋に入ってき、ペンチでぎゅうっと健太殿の腹や脇をつねるのだそうだ。君のためにママは離婚せずに必死に頑張ってるのよ、と涙混じりに囁きながら。
母上につねられているとき、健太殿は猫より小さく丸まったまま動かない。黙ったまま一言の泣き声もあげない。
ただ、朝に起き出してから、無言で墓を掘るようになった。
――そのうち、殺すぜ――
健太殿はベッドの脇のナイトテーブルに、よく磨いだ彫刻刀を用意している。
そのうち殺して埋めるようになり、そして最後にはあれでお母上を殺すつもりなのだぜ、と墓下で皆は噂している。
墓は日ごとに増えていく。健太殿のお腹の痣も増えていく。
健太殿の目は日ごとに暗く、焦点が定まらなくなっていった。干からびた蝉、潰れた鼠――どこからか死骸を見つけてきては、虚ろに墓を掘り続ける。
殺されたという死体はまだいなかった。
けれどアイスの棒の立ち並ぶ庭の下で、時間の問題だろうと皆は囁いていた。
ある日のことだ。
その日、健太殿は墓を掘っているところを母上に見つかってしまった。
それまで、墓堀りは健太殿の内緒の趣味であった。健太殿は玄関脇の小道から、家に入らず死体を庭に運び込む。母上も父上も庭のある家は好きでも庭自体は好きではないお人だ。バレずに埋葬ができたのである。
だがその日、母上は、何かの拍子に窓から庭をちらと覗いた。そして立ち並んだアイス棒の墓標と、カラスの死骸を脇に墓堀りをする健太殿を見た。
母上はその場では何かを言う人ではなかった。だが、母上の目の中に歪んだ何かが見えた。健太殿も気付いたまま固まっていた。
その日の夜、何があったか、私は知らない。
夜中になって、健太殿はふらりと庭に現れた。
魂の抜けた目は焦点が合わず、ざくざく墓穴を掘り出した。
でっかい穴だ。人一人はいるくらいの。
殺したのだな、母上の墓を掘るのだな――皆が口々にそう言った。
私はそれは違うよと言った。
健太殿は墓を掘り続ける。仲間がいっぱいで寂しくはなくなったね。でもあなたはここには入れないんだ。
彫刻刀は自分で使うためではなかったのだね。可哀想に。母上のために、あなたはどんな哀しい想いをその刃に祈ったのだろうか。無理しないでいいよ、これを使って、と。
もしも私が朽ちかけの冷たい死体でなければ、あなたの頭をそっと撫でてあげられるのだが。
健太殿は声を殺して泣き出した。
その手からアイスの棒が転がり落ちる。
「けんた」と書かれたアイスの棒が、土の上に一本、転がっている。