足音合奏曲(テーマ:靴)
文字数 1,621文字
「ねえ、私のどこを好きになったの?」
「ハイヒールで歩くときの靴音」
彼女を怒らせた原因は、ぼくがあまりに正直だったせいである。
彼女はあれ以来、まともに口もきいてくれなくなってしまった。
謝っても「寄らないで変態の靴音フェチ」って言ってシッシッするし、突然後ろから抱きついてみても回し蹴りから昇龍拳への連続コンボを放つばかりだ。
「普通そういうこと訊かれた時って、優しさとか笑顔とか、他にあるでしょ!? そういうの全部凌駕して、私は靴音の女なわけ!?」
彼女の言うことももっともだと思う。
でもぼくが好きになったのは、やっぱり彼女の靴音なのだった。
リノリウム張りの床に響き渡るコツコツというその音は、別に大きいわけじゃなかった。
それでもキーボードのかちゃかちゃいう音や、プリンタの駆動音を切り裂いて、それはぼくの耳に飛び込んでくるのだった。
オフィスの椅子に座って一日中パソコンに向き合っていると、目も頭も疲れ果ててきてしまう。
際限無く続くつまらない時間の中、思わず人生の意味について考えてしまうこともしばしばだ。
でもしばし手を休めて伸びをしていると、不意に頭の中にコツコツというその音が飛び込んでくる。
静かだけれど妙に耳に残るその音を聞くと、ぼくは何故かほっとして、もうちょい頑張るかなぁという気持ちにさせられるのだった。
革靴の歩き回る疲れきって萎びたようなぱたぱたという音の中で、彼女のハイヒールが奏でるコツコツという甲高い靴音は、誰にも侵食されることのない、ちょっとした風格のようなものを漂わせていた。
すました顔でオフィスを歩くときの靴音。
上司に叱られた後の、重くて鈍い靴音。
物憂げな顔してコーヒーを飲みながら、ゆっくりと床をたたく靴音。
誇り高くてちょっと淋しい、彼女のハイヒールの靴音。
そして気付けばぼくは、もっとそんな音を聞いていたいと、彼女を食事に誘っていたのだった。
「どこまでついてくるのよ」
会社帰りの夜道、小さなトンネルの中で、彼女のハイヒールの靴音がコツコツと反響する。
足早に歩く彼女の靴音はリズミカルで、聞いていると催眠術にでもかかったみたいに、妙に楽しい気分になってきてしまう。
なんだかやばい人みたいだ。
これじゃまるっきり、
「ストーカー」
彼女が冷たい目でぼくを見据えた。
「なに楽しそうな顔してんのよ。傍目から見て、すごく危ない人に見えるわ」
「だって君とぼくの靴音で、なんだか合奏してるみたいなんだもの」
ぼくが言うと、彼女はむすっとした顔をして、ハイヒールを脱ぎはじめた。
「あなたが好きなのは私じゃなくて、このハイヒールなんでしょ?」
そう言って彼女はハイヒールをぽいと投げ捨てた。鞄から新しくスニーカーを取り出す。どうやらこのために、わざわざ用意してきたらしい。
なんだか子供みたいだと思って、つい笑ってしまった。
「そのハイヒール、あげるわ。じゃあね、さよなら」
彼女はぼくを一睨みすると、再び歩き始めた。
ぱたぱたという音に変わったその靴音の後を、ぼくも追いかけた。
アパートの階段をカンカンいわせて昇りきり、一番奥の部屋のドアの前で、彼女はようやく立ち止まって振り向いた。
口をひん曲げ、腕組みして、
「もうハイヒールは履かないわよ」
「スニーカーの音も、柔らかくて素敵だったよ」
「……変態」
「サンダルでも、スリッパでも、下駄でも、きっと君の靴音は綺麗だと思う」
ぺろりと舌を出して、ぼくは続けた。
「でも今は、素足の足音を聞いてみたいな」
彼女は唇を引き結んだまま黙っていて、しばらくしてからやっと、くすりと微笑を漏らした。
「ばかね」
それから大きくドアを開いて、弾むようなその音をぼくに聴かせてくれる。
今夜は、二人で演奏会を開こうよ。
「ハイヒールで歩くときの靴音」
彼女を怒らせた原因は、ぼくがあまりに正直だったせいである。
彼女はあれ以来、まともに口もきいてくれなくなってしまった。
謝っても「寄らないで変態の靴音フェチ」って言ってシッシッするし、突然後ろから抱きついてみても回し蹴りから昇龍拳への連続コンボを放つばかりだ。
「普通そういうこと訊かれた時って、優しさとか笑顔とか、他にあるでしょ!? そういうの全部凌駕して、私は靴音の女なわけ!?」
彼女の言うことももっともだと思う。
でもぼくが好きになったのは、やっぱり彼女の靴音なのだった。
リノリウム張りの床に響き渡るコツコツというその音は、別に大きいわけじゃなかった。
それでもキーボードのかちゃかちゃいう音や、プリンタの駆動音を切り裂いて、それはぼくの耳に飛び込んでくるのだった。
オフィスの椅子に座って一日中パソコンに向き合っていると、目も頭も疲れ果ててきてしまう。
際限無く続くつまらない時間の中、思わず人生の意味について考えてしまうこともしばしばだ。
でもしばし手を休めて伸びをしていると、不意に頭の中にコツコツというその音が飛び込んでくる。
静かだけれど妙に耳に残るその音を聞くと、ぼくは何故かほっとして、もうちょい頑張るかなぁという気持ちにさせられるのだった。
革靴の歩き回る疲れきって萎びたようなぱたぱたという音の中で、彼女のハイヒールが奏でるコツコツという甲高い靴音は、誰にも侵食されることのない、ちょっとした風格のようなものを漂わせていた。
すました顔でオフィスを歩くときの靴音。
上司に叱られた後の、重くて鈍い靴音。
物憂げな顔してコーヒーを飲みながら、ゆっくりと床をたたく靴音。
誇り高くてちょっと淋しい、彼女のハイヒールの靴音。
そして気付けばぼくは、もっとそんな音を聞いていたいと、彼女を食事に誘っていたのだった。
「どこまでついてくるのよ」
会社帰りの夜道、小さなトンネルの中で、彼女のハイヒールの靴音がコツコツと反響する。
足早に歩く彼女の靴音はリズミカルで、聞いていると催眠術にでもかかったみたいに、妙に楽しい気分になってきてしまう。
なんだかやばい人みたいだ。
これじゃまるっきり、
「ストーカー」
彼女が冷たい目でぼくを見据えた。
「なに楽しそうな顔してんのよ。傍目から見て、すごく危ない人に見えるわ」
「だって君とぼくの靴音で、なんだか合奏してるみたいなんだもの」
ぼくが言うと、彼女はむすっとした顔をして、ハイヒールを脱ぎはじめた。
「あなたが好きなのは私じゃなくて、このハイヒールなんでしょ?」
そう言って彼女はハイヒールをぽいと投げ捨てた。鞄から新しくスニーカーを取り出す。どうやらこのために、わざわざ用意してきたらしい。
なんだか子供みたいだと思って、つい笑ってしまった。
「そのハイヒール、あげるわ。じゃあね、さよなら」
彼女はぼくを一睨みすると、再び歩き始めた。
ぱたぱたという音に変わったその靴音の後を、ぼくも追いかけた。
アパートの階段をカンカンいわせて昇りきり、一番奥の部屋のドアの前で、彼女はようやく立ち止まって振り向いた。
口をひん曲げ、腕組みして、
「もうハイヒールは履かないわよ」
「スニーカーの音も、柔らかくて素敵だったよ」
「……変態」
「サンダルでも、スリッパでも、下駄でも、きっと君の靴音は綺麗だと思う」
ぺろりと舌を出して、ぼくは続けた。
「でも今は、素足の足音を聞いてみたいな」
彼女は唇を引き結んだまま黙っていて、しばらくしてからやっと、くすりと微笑を漏らした。
「ばかね」
それから大きくドアを開いて、弾むようなその音をぼくに聴かせてくれる。
今夜は、二人で演奏会を開こうよ。