十四 紀州屋潜入と斬撃

文字数 1,538文字

 長月(九月)十五日。晴れの昼八ツ半(午後三時)。
 青葉屋の主の青右衞門と番頭の吉二は、野上義太郎と美音の夫婦を連れて、日本橋富沢町の御堀端にある紀州屋の奥座敷で、紀州屋の主の荘兵衛(そうべえ)と対面していた。

「こちらは野上義太郎様と御新造の美音様です。
 二度にわたる陸奥の冷害で窮乏した仙台伊達家が、家臣に暇を出したのは御存じと思いまする。野上様もその被害者の一人です。
 野上様は剣に、御新造様は読み書き算盤に長けておりまする。
 紀州屋さんで野上様と御新造様を雇ってくださいまし」
 青葉屋の主の青右衞門はそう言って、紀州屋の主の荘兵衛に野上義太郎夫婦を紹介した。野上義太郎夫婦は深々と御辞儀した。

 紀州屋の主の荘兵衛が恵比寿顔で野上義太郎夫婦に深々と御辞儀した。やけに低姿勢だ。
「私はこの廻船問屋、紀州屋の主の荘兵衛です。
 野上様には私の警護を、御新造様には上女中をお願いすることになりましょう。その折はよろしくお願いします」
 主の荘兵衛はそう言って、ふたたび野上義太郎夫婦に御辞儀したが、美音を見る目付きは尋常ではない。美音は十八歳。長身で女らしい。あどけない顔をしている。
 すると、青葉屋の番頭の吉二が立ち上がって口を開いた。
「こいつらは町方の犬だっ。全てがばれてるぜっ」
 一瞬に、主の荘兵衛の顔が鬼の形相に変わった。立ち上がって大声を発した。
「であえっ。こやつらを斬れっ。青葉屋もろとも、斬れっ」
「何だとっ。知らせた俺まで、斬ろうってのかっ」
 番頭の吉二は懐に手を入れたが、匕首は町方に捕縛された際に没収されている。
「くそっ」
 その時、紀州屋の浪人者の用心棒たちが刀を手にして奥座敷に現われた。

「奥様・・・、刀を・・・」
 野上義太郎が妻の美音を立たせ、静かに刀を渡した。
 その時、
「えいっ」
 用心棒の浪人が放った斬撃が野上義太郎夫婦の胴を薙いだ、皆がそう思ったより一瞬早く美音の刀が浪人の手元を斬り上げた。
「ぎゃあっ・・・」
 浪人の刀は両手に握られたまま、野上義太郎夫婦の胴の向こうへ宙を舞った。浪人が座敷に転げた。両腕の先に手が無い。血が噴き出している。
「吉二っ、この下緒(さげお)で手首をきつく縛って上げなさい。さもなくば血が出過ぎて、その男はまもなく死にます・・・」
 野上義太郎が脇差しを構えたまま、打刀の鞘から下緒を吉二に渡した。
 吉二は慌てて男の両手首を下緒で縛った。

「奥様、斬り跳ばすのは片手くらいにしなさい。さもなくば、出血で、死んでしまいます」
 野上義太郎は襲いかかる用心棒の斬撃を躱し、次々に、刀を握る用心棒の腕を脇差しの峰で叩き折った。
「はい、旦那様。この者たちみなの腕を切り跳ばして良いのですね」
 用心棒たちの斬撃を躱しながら美音がそう言った。
「良いですよ」
 野上義太郎にそう言われ、美音はニヤリと笑った。
 用心棒たちは美音の笑いにゾッとした。同時に、野上義太郎と美音が動いた。紀州屋の奥座敷と奥庭に絶叫が響いた。

 紀州屋の奥座敷と奥庭に倒れている用心棒は十五人だった。六人は手や腕を斬り跳ばされ、九人は腕を折られてその場に倒れたまま呻いた。
 野上義太郎は脇差しを鞘に納めた。
 美音は刀に拭いをかけて刀を野上義太郎に渡した。
「小夜さん。怪我はありませんね」
 野上義太郎は美音から刀を受け取り、そう言って鞘に納めて美音を抱きしめた。美音と野上義太郎は、屋敷詰めの侍夫婦に扮した石田と小夜だった。

「はあい。返り血ひとつ浴びておりませんよ」
「血を見ても、平気ですか」
「はあい。月に一度は見てますよ。それに実家で鶏や兎を絞めてました」
「おお、そうでしたね」
 石田は納得した。小夜の太刀筋から流派を推察できたがその事に石田は触れかった。今は小夜の身に何も無かった事の方だ大切だ。
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