十三 主たちの詮議

文字数 1,353文字

 長月(九月)十五日。晴れの昼九ツ半(午後一時)。
 青葉屋の主の青右衞門をはじめ、番頭の吉二と奉公人たち全てが北町奉行所に連行された。多恵之介に扮した八重と妹の佐恵、野上義太郎と美音の夫婦も、北町奉行所に同行した。

 青葉屋の主の青右衞門と奉公人は北町奉行所内の牢に留め置かれ、ただちに主の青右衞門と番頭の吉二が詮議を受けた。
「よおく聞け。女を拐かして売り飛ばした咎は連帯責任だ。
 なぜ拐かしと人売りをするのか、この北町奉行所での自白の有無に関わらず、お前たちは茅場町の大番屋で、吟味与力による厳しい詮議と吟味を受ける。
 そこで吐かねば、伝馬町牢屋敷へ送られて牢問(ろうもん)を受ける。笞打(むちうち)(鞭打ち)されても吐かぬなら、まあ、石の二つも抱けば話す気にもなろう」
 藤堂八郎は、今後、青葉屋の者たちがどのような取り扱いを受けるか詳しく説明した。

 牢問とは、牢屋敷内の穿鑿所(せんさくじょ)にて行われる拷問である。笞打(鞭打ち)、石抱、海老責がこれに当たる。笞打(鞭打ち)で自白せぬ場合、石抱が、さらに海老責が成される。
 石抱は、断面が三角形の角材を敷き詰めた座所の上に正座させ、膝の上に石塔に似た切石を何枚も乗せて自白を強要する拷問だ。この拷問で脛の皮膚は裂けて骨は砕け、死罪になる前に苦しみながら死ぬのが落ちだ。


「今回、紀州屋に、拐かしを持ちかけられた、などとの言い訳は通用せぬぞっ。
 如何なる理由があろうと、拐かしと人売りは(はりつけ)獄門(ごくもん)は免れぬ」 
 藤堂八郎は主の青右衞門と番頭の吉二を睨んでそう言った。
 主の青右衞門と番頭の吉二はガタガタ震えだした。

「磔と獄門」は江戸時代の磔と獄門の二種類の刑罰を組み合わせた処刑方法、刑罰だ。
「磔」は、罪人を十字架に縛りつけて槍で突き殺し、死体をそのまま三日間晒しておく刑罰だ。「磔刑(たっけい)」とも呼ばれた。
「獄門」は、牢内で首を切った後、その首を獄門台の上に三日間晒す公開処刑の刑罰だ。「|梟首((きょうしゅ)」、「晒し首」とも呼ばれた。
 江戸幕府の刑制では、主人や親に対する殺害・傷害の罪に対する刑罰として定められていた。

 江戸時代の庶民の死刑には、「磔」、「獄門」、「死罪(斬首)」、「鋸挽」、「火罪」、「下手人」など六種類の死刑が科せられていた。
下手人(げしゅにん)」は、江戸時代に庶民に適用された死刑の一種だ。死刑のうちでは最も軽い刑罰で、「斬首(刀で首をはねる)」により殺害する刑だった。他に付加的な刑罰は科されなかった。
「下手人」は、本来「手を下して人を殺した者」と言う意味だ。江戸幕府法上、人を殺した者は死刑に処せられるべきであると言う思想から、牢屋で斬首される死刑の一種を示すのに用いられた。
「下手人」と「死罪」はともに「斬首」だが、「死罪」には財産没収が追加された。
「下手人」は、身内がいれば遺体を引き取って埋葬することができた。死体は「様斬り(試し斬り)」にもされない点で「死罪」より軽い刑だった。


「さて、この際、御上に協力して、死罪(斬首)になる方が楽だぞ。
 協力せぬか」
 藤堂八郎は主の青右衞門と番頭の吉二に条件を持ちかけた。
「・・・・」
 主の青右衞門は黙秘しているが、番頭の吉二が口を開いた。
「死ぬんなら、楽に死にてえ。いってえ、どうすりゃいいんだ」
「では、説明しよう・・・」
 藤堂八郎は説明した。
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