第2話

文字数 1,788文字

 月曜日の朝、無機質な都会の風景が車窓を流れていく。
 乗客は皆、一点を見つめ、表情を隠している。皆、同じように、見えない壁と闘っているのだろうか……。
 脳裏には、昨日の衝撃がくっきりと描かれたままだ。だが仕事の現実を思うと、未だに挑みかかるようなシナリオのテーマが浮かんでこない。空中の貫手試割りが、あれほどの感動をもたらしたのはなぜなのか……。
 急に踏切の早鐘音が耳に響いてきた。ふと、四年前のことが脳裏をよぎる。あの世とこの世の境界が、一瞬、確かに消えた。
 大手ゲーム会社でノベルゲームのシナリオを書いていた。五年目のある日、突然、キーボードの文字が真っ白になった。急に周りのものすべてが怖くなり、出社できなくなった。
 そんな時、思いがけない縁で、名もないゲーム開発会社「ブライトンゲームズ」に拾ってもらうことになった。小さな会社でも、社名のように、再び自分も輝ける日が来ると思った。移籍してから三年目になる。
 同僚に、声だけは元気よく挨拶し、大部屋の席に着く。気のせいか、最近は職場での疎外感を覚える。いや、自分がグループの動きからそれているのかもしれない。
 頭がどんよりと重い。メリハリのないプロットが並ぶ画面から目をそらす。ミーティングまでにはまだ時間がある。それとなく周りに目を配り、休憩室に向かう。
 窓の外のビルとビルの間に、青い空が広がっている。空手演武会の光景が再び脳裏によみがえってきた。空中の板を真っ二つ。ゴルフクラブのアイアンを振れば、それは可能かもしれない。 だがそれを、人間の指先が成し遂げた。もし実戦で使用したら、間違いなく致命傷となる殺傷力だ。だが逆に、板が割れなかったら、空手家の指はどうなっていたのだろう……。翔は、キーボードのためにあるような、華奢な自分の指を見つめた。
 ゲームクリエイターの仕事は高度に管理されたデジタルの世界。作品の出来はさておき、失敗はない。空中試割りは一瞬に賭ける未踏の領域。空手家の神業にも度肝を抜かれたが、むしろ未知の壁を突破しようとする精神力に、翔は再び鳥肌が立つような感動を覚えた。
「坂上さん、そろそろミーティング始まるよ!」
 星野の声に、翔は急速に現実に引き戻された。プランナーの星野は、元々ライターも兼任していたので、何かと世話になっている。
 プロデューサーの鬼原(きはら)が前に立ち、いつものよく分らない訓示が始まった。
「団塊の世代が貪り尽した後に残ったのはただの荒野ではない。目に見えない、もっと陰湿な弱肉強食の世界だ。アフリカのサバンナのようなリアルな競走社会は終わった。皆、見えない標的に怯え、そして飢えている。それはゲーマーにしても同じだ。隠された標的の中にこそ生き延びるキーがある。その心理を衝いたゲームを世に出せば、必ずゲーマーは満足する。ネタはいくらでも転がっているはずだ。プレイヤーを駆り立てる世界を生み出すのが君たちゲームクリエイターの仕事だ。特にライターの坂上さんは、これまで誰も見たことのないシナリオに、全力を尽くしてくれ」
 鬼原がちらりと翔の方を見た。
 誰も見たことのないシナリオ――。同じ団塊二世だった、以前の上司の言葉を思い出した。鼓動が、重く響き始めた。視線をディレクターの総川に移し、続けた。
「今は我々自身が、生き残りをかけて戦うサバイバルゲームと同じだ。ディレクターの判断が成否を決める。絶えず最善のものを採用するという決断力を忘れないでくれ。団塊世代は武士の情けなどと言って真実を隠し、リアルを見失った。本質の追求に、人情や友情が入る隙間はない。冷徹な判断力が作品の優劣を決める」
 総川が無言でうなずいている。
 この業界も、確かに品がいいとは言えないオヤジ達は職場から姿を消した。けれども周りは、何か得体の知れない閉塞感に包まれている。色褪せた目標管理だけでは生き残れないことは直感的にわかる。が、「見えない標的を追え」と言われても、正直なところ見当もつかない。
 一方では、廃人同様の自分を拾ってくれたこの会社で、アクションゲームのシナリオライターとして復活するには、ゲームプレーヤーと同じように、自分を駆り立てる何かが必要と感じる。それは、マンネリ化した現実ではなく、あの時の空手のような、非日常にあるような気もする。思いがけない転機が訪れたのはそんな時だった。
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