第5話

文字数 1,403文字

 空手のせいか、仕事にも張りが出てきた時だった。
 いつも出社は一番早いのだが、今朝はサウンドクリエイターの音月(おとづき)が、パソコンを立ち上げていた。
「坂上さん、最近なんか目が輝いて嬉々としてるわね」
 音月が、翔に悪戯っぽい目を向けてきた。
 彼女は、音楽以外のことはほとんど話さないが、入社以来翔には声をかけてくれる。それは好意というよりも、どこか同じ風景を見てきた人間同士の親しみのようにも思える。
「ストレス解消にジョギングを始めたんで、そのせいかな」
 指がすべての仕事、空手道場のことはとても言い出せなかった。
 彼女は納得の表情を見せたが、目にはわずかに疑いの色が浮かんでいる。
 いきなり、ズキリとする質問が飛んできた。
「坂上さんって、自分ではゲームをしないって本当ですか?」
 少年時代、両親は離婚し、経済的にゲームをする余裕などなかった。通信制大学の芸術学科で学びながら小説を書き始めた。奇跡的にデビューはしたものの、その後小説が売れず、ノベルゲームのライターに転向し、何とか飯を食ってきた身だ。
「そのとおりです。面白いゲームシナリオを作ることだけが、生き甲斐なのです」
 音月が、意外なことを話し始めた。
「私も同じようなことかも。私は、小学校のころから音楽の時間が苦手で、成績はいつでもビリ。でも、中学の終わりころからかな、ロックを聴くようになってから一変しました。ミュージックの世界にのめり込んじゃった。ロックは、沈んでいる時は励まし、順調な時はさらにパワーを引き出します。自分もいつか、そんなアーテイストになることが夢だったんです」
 彼女から本音の話が出たことは意外だった。個性的な服装で、いつも神秘的な匂いを漂わせている。その繊細なパワーはロックに支えられているという彼女の内面に触れることができ、翔はなぜか、嬉しかった。
「それじゃ、今の仕事で夢がかなったんですね」
「かたちだけはね……。でも、最近は仕事が減る一方。以前は、社名に負けないぐらい、皆輝いていたんだけど――」
「……」翔は、フォローの言葉がすぐには浮かばなかった。
「でも、愚痴は言っていられないですよね。ゲーマーでもない坂上さんが、ゲームシナリオと格闘しているんですから」
「格闘なんて言うレベルじゃないです。プロットはすべて星野さんが作ったもの。オリジナルを書くにはまだまだです。それよりも、音月さんの環境サウンドの臨場感はすばらしいです。ゾクッとするリアル感というか――」
「そう言っていただけると嬉しいわ。これでも音源採集にはけっこう力を入れているのよ」
「と、いうと……」
「水の音もよく使いますけど、富士山の湧き水の音を現地まで行ったり。恐怖は、意外と雨の音が効果を引き出すの。それは、地方の廃屋となった教会の軒先で、一人で何日も雨を待ったりと――」
「それは凄いな! 僕もこれからは、現地取材に力を入れることにする。それと、会社はきっと、元の輝きを取り戻すことができますよ。問題は、僕のシナリオが当たるかどうか。ここでだめだったら、僕はこの業界、いやどこの世界でも飯を食っていけなくなる」
「大丈夫よ。少なくても、坂上さんのシナリオは女性に受けることは間違いないわ。でも、アクションゲームって、圧倒的に男性のもの。狙いどころはそこかな。あら、偉そうなことを言ってごめん!」
 翔はずきりとくるものはあったが、貴重なアドバイスだった。
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