第6話 再会

文字数 1,941文字

 慈子は行方不明のまま、結婚一周年を迎えようとしていた。
 高松の親戚からは「仏滅に披露宴なんかしたから罰が当たった」などと散々な言われ方だったから、新聞やテレビで結婚詐欺のニュースが報道されると、母は息子が被害に遭ったんじゃないかと心配してその度に電話をかけてきたよ。

 私は何もしなかったわけじゃない。
 商談で関西に出張した六月、足を伸ばして富田が経営していた工場を訪ね、慈子を知る専務から話を聞いた。そこは私の想像とは違って従業員百人以上の立派な設備の電子部品工場で、ちょうど今は町工場からメーカーとして生まれ変わろうとしているところだと、専務は自慢げに話していた。
「慈子さんは社長の娘さんやとうちらは思うてました」と専務は話していた。富田社長は慈子と同じ年頃の娘さんと奥さんを空襲で亡くしたそうだ。それで同じように空襲で親を亡くした慈子を養女にしたわけだ。
「あの頃はまだここも今の半分くらいの規模やった。慈子さんは、昼間は会社の事務を手伝いながら夜は定時制の高校に通うてました。大人しくて真面目な娘さんやったよ。社長が亡くなったときは大変やったけど、生命保険で工場も少し拡張出来たし、慈子さんもその保険金で学校に通う事が出来て、東京行くときはちゃんとここにも挨拶に来てくれはった」
 そう聞いて私は少し安心した。

 東京に戻って一週間くらい経った頃、慈子が務めていた商事会社の営業マンが連絡をくれたんだ。大阪の北新地で慈子によく似たホステスがいたとね。開店して一年くらいのキャバレーで、そのホステスの『アサミ』という源氏名も教えてくれた。
 私はその週末大阪に向かったよ。

 東京なら銀座の一等地にあるような立派な店だった。
 アサミを指名してビールを飲みながら私は待った。一二を争う人気だったらしくて、あまり長くは相手が出来ないからと、ママからは他のホステスを薦められた。でも私の目的はホステスじゃなくて慈子だったから、大人しく待ち続けたよ。
 四十分ほど経った頃にアサミがテーブルにやって来た。
「お待たせしましたー」と言いながら席に座ろうとして、初めて私に気づいたんだ。
「なんで? なんであんたがここにおるん?」と言いながら席を立とうとするから、私は息を整えて言った。
「それは僕が言いたい台詞だけど、とにかくここに座って」
 アサミは不服そうに少し距離を置いて私の隣に座った。
「探したよ。去年この近くまでは来てたけど、まさかこんなところにいるとはね」
「ほっといてくれたらええのに」
「ほっとく? どうしてそんなことができる? 僕は君の夫だよ?」
 スコッチのオン・ザ・ロックをダブルで注文して私はポケットからタバコを取り出した。アサミはタバコに火を着けながら言った。
「あんたは良いとこの坊ちゃんやし、結婚してあんたの貯金通帳預かるようになったら全部引き出して逃げよう思うとったんよ。でも四国で親戚の人たちに会うたら、こんな性悪女でもさすがに悪い思うてな」
「流行りの結婚詐欺か……」と言って私は笑った。見え透いた嘘だったからね。
「うちはそんな女なんや。さっさと離婚でもなんでもしたらええ」と呟いたが、慈子は視線も定まらない。こちらを見ようともしないんだ。
「君は嘘が下手やね」と私は言った。
「嘘やない。新地でうちがどんなことしてたか知ったらあんたの方から逃げ出すわ」
 一年近く探し回るうちに私にも覚悟が出来ていた。どんな話を聞いても驚かない覚悟が。
「みえやは君の伯母さんの店だね」と言ったら慈子は絶句した。そして泣きそうな顔で私の顔を見上げたんだ。
「そこまで知っとるならその名は言わんといて」
 慈子は明らかに動揺していた。それでも私は問い詰めた。
「いったいみえやで何があったんだ?」
 しばらく沈黙が続いた。とうとう慈子が音をあげた。
「今日はもう勘弁して。明日ゆっくり話すから」
「わかった」
「明日の昼前。十一時にこの店の前に来て」
「十一時だね。もう逃げないでくれよ」
 慈子は初めてまっすぐにこちらの目を見ながら言ったんだ。
「もうこれ以上逃げる場所なんてないから」

 翌日、十分前に約束の場所に行ったら、もう慈子はそこで待っていた。いつものワンピースに薄化粧の、私が知ってる慈子だったよ。
「ついてきて」と言って歩き始めた慈子の少し後ろを歩きはじめた。向かった先は一年前に訪ねた喫茶店『憩』だった。その前で立ち止まると慈子は言った。
「ここ。ここが『みえや』やった」
 私たちはカウンターから一番離れた窓際の席に着いて、コーヒーを注文した。以前に来たことを慈子には黙っていたが、幸いマスターは私のことを覚えていないようだった。

 コーヒーを一口啜ったあと、こちらから何も言い出さないうちに慈子は語り始めたんだ。

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