第10話 放課後
文字数 3,051文字
「おいイオン。聞いてるのか」
「えっ?」
「いつまで食べてるんだって言ってるんだよ。もう昼休みが終わっちまうぞ」
気が付くとロランの言葉通り、食堂の人影はまばらになっている。クスの木の一枚板で出来た大きなテーブルには、すでにイオンたち三人分しかトレイは載っていない。
「そうよ本当に。早く食べ終わらないと、本の続きを読む時間がないじゃない」
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
イオンの皿に、まだ鶏のローストが半分ほど残っているのを見て、ルネが急に表情を曇らせた。どうやら本気で心配しているらしい。その顔を見て、イオンはからかってみたくなった。
「うん。これからまた訳のわからないおとぎ話に付き合わされるのかと思うと、ちょっと気が遠くなったんだよ」
「おとぎ話なんかじゃないって言ってるでしょ。何よもう。このっ!」
「痛いっ!」
思いきり足を踏まれて悶絶する友人の姿を見て、ロランは情けなさに思わず頭を振った。
一日の授業が終わり、イオンとロランが帰り支度をしているところをルネに呼び止められた。
「二人とも。帰りにちょっと付き合ってね」
「えっ、まさか今日から例の調査を始めるの?」
「当たり前でしょ。夏休みまであと二ヶ月しかないし、調べなきゃいけないことは沢山あるんだから」
そういえば、とイオンは思い出した。
前回の遺跡発掘を思い立った時も、冬が来て地面が固くなる前に行かなきゃ、などと言い出してその週の日曜日に早速駆り出されたのだった。
普段の穏やかな物腰からは全く想像できないこの行動力は、一体どこから来るのだろうかとイオンは訝った。
「今日は僕たちこれからベルリオーズの鉱石店へ行くことになってるんだよ。新しい石が入ったってアンリに聞いたから」
「それは別に急がないでしょう? 新しく入ったばかりなんだったら、しばらくはお店に置いてあるわよ。こっちは緊急なんだから」
ベルリオーズの鉱石店というのは、鉱石や鍾乳石などを専門に取り扱っている店で、店主は七十を過ぎたぐらいの小柄な老人である。
特に商売上手というわけでもないのだが、数年前からこの街の少年たちの間で、にわかに鉱石の収集が流行になり、他に同じような店がないおかげで、その恩恵を一身に受けている幸運な店である。
「売れちゃったらどうするんだよ。あそこの店は人気があるんだ」
ロランも援護射撃を行った。
だが砦は思った以上に堅牢だった。
「大丈夫。売れたらまた新しいのを仕入れるわよ」
「いや、そういう問題じゃ……」
やはり女の子には鉱石集めの楽しさなどは分からないものらしい。
「とにかく、今のうちにあの本のことをもっと詳しく話しておきたいの」
「しょうがない。イオン、また明日にしようぜ」
ロランはあっさりと引き下がることにしたが、イオンが思いついたのは別の方法だった。
「そうだ、いっそ三人で行かない? そうすればルネも歩きながら本の話ができるだろう?」
どうやらその提案は、ルネにとって最良の選択肢ではないようだったが、かと言って不服ということでもなさそうだった。とりあえず予定通りの協力者を得て、彼女本来の性格である寛容さを取り戻したらしい。
「わかったわ。そうしましょう」
三人は揃って教室を出た。
「あの本はね、お父さんの書斎の本棚にあったの」
校舎を出て、ポプラが青い葉を繁らせる並木道を校門へと歩きながら、ルネは話し始めた。
「小さい頃は書斎には入っちゃいけないって言われてたんだけど、私が考古学に興味を持つようになったからって最近は書斎の本も読んでもいいことになってるのよ。ある時、お父さんがとっても古い表紙の本を読んでたの。お父さんって考古学の本を読むときいつも難しい顔して読むのに、その本は何だか楽しそうに読んでたわ」
「それが、あの本ってわけか」
先回りして呟いたのはイオンだった。
「そう。私が何の本か尋ねたら、大昔のまだ汽車も何もない頃、国中を旅して回った人の書いた本だよって教えてくれたわ。本によると昔この国には、不思議な場所が沢山あったそうよ。その後お父さんに言われたの。お前も大きくなったら、この本に書かれた場所へ旅してみるかいって」
おじさん、簡単に言わないでくれよ……。イオンは思わず内心で愚痴をこぼした。
ルネの父であるクリストフ・フォートレル博士は、若くして学会で評価を確立した優秀な考古学者である。ただし少々風変わりなところがあり、ある日突然ふらりと旅に出て、数週間留守にしたかと思えば、見ず知らずの人間を何人か連れて帰って来て、自宅に滞在させるのだった。
イオンも小さい頃、ルネの家に遊びに行った時に何度かそういう来客に出会ったことがある。たまに同国人もいたが、多くは外国人だった。
外国人の中には、この国の言葉を話す人もいないではなかったが、フォートレル博士はほとんどの場合、外国語で会話をしていた。
当然イオンには何を話しているのかさっぱりわからなかったので、流暢に何カ国語も話す博士の姿は小さい子供にとっては謎めいた存在だった。
ルネが話した本の内容に、ロランはいたく興味を持ったらしい。食堂で初めてルネの話を聞いた時と同じように声を弾ませて食いついてきた。
「なんだよ不思議な場所が沢山って。流れ星が落ちる草原みたいな言い伝えが他にもあるって言うのか?」
期待に満ちた顔である。
「そうよ。妖精の住む森とか、光輝く洞窟とか、あとは……そうそう、霧の中の不思議なお城の話もあったわ」
「霧の中の不思議なお城? 不思議ってどんな風に不思議なんだい?」
「本を書いた人がね、ある時、湖を舟で渡ろうとしていたら、霧が出てきて方角がわからなくなってしまったらしいの。それでも舟を漕いで進んで行ったら、突然、目の前に大きなお城が現れたんですって」
「それって湖の真ん中で?」
「そうよ。それでその人はそのまま中に入ってみたの。お城の中には王様やお后様が住んでいて、食事や舞踏会に招かれたと書いてあったわ。ところが、そこで王様に一晩泊まって行けと言われてお城に泊まってみると、朝になって目が覚めたら舟の上だったそうよ。お城は消えていたの」
「バカバカしい」
それまで黙って二人の会話を聞いていたイオンだったが、たまらず口を挟んだ。うんざりした顔である。
「何よ。何がバカバカしいのよ」
ルネの険しい目つきが突き刺さる。
「その話の何もかもがだよ。どう考えても完全に作り話に決まってるじゃないか」
「またそんなことを。あのな、イオン。昼にも言っただろう?不思議なことってあるんだって」
物分かりの悪い相手を諭すような口調でロランが言ったが、イオンは納得しない。
「いくらなんでもあるわけないよ、そんな城。作り話か、さもなきゃその人は普段から昼寝の最中に色んな夢を見る人なんだよ、きっと」
「呆れた。あなたって本当に頑固ね」
「よしわかった。それなら星の降る草原を探すついでに、その城も探そうじゃないか」
ロランのこのとんでもない提案を退けたのは、意外にもルネだった。
「ダメよ。今は草原を見つけることに専念しましょう。あんまり時間がないんだから。言ったでしょう。夏休みの間に見つけるって。あと二ヶ月で夏休みなのよ。それまでに大体の場所の見当をつけておかなきゃ」
どうやらルネも、そう簡単に例の草原が見つかるとは思っていないらしい。少し安心しかけたイオンだったが、続く言葉に青ざめた。
「湖のお城は、草原を見つけてからゆっくり探しましょう」
「えっ?」
「いつまで食べてるんだって言ってるんだよ。もう昼休みが終わっちまうぞ」
気が付くとロランの言葉通り、食堂の人影はまばらになっている。クスの木の一枚板で出来た大きなテーブルには、すでにイオンたち三人分しかトレイは載っていない。
「そうよ本当に。早く食べ終わらないと、本の続きを読む時間がないじゃない」
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
イオンの皿に、まだ鶏のローストが半分ほど残っているのを見て、ルネが急に表情を曇らせた。どうやら本気で心配しているらしい。その顔を見て、イオンはからかってみたくなった。
「うん。これからまた訳のわからないおとぎ話に付き合わされるのかと思うと、ちょっと気が遠くなったんだよ」
「おとぎ話なんかじゃないって言ってるでしょ。何よもう。このっ!」
「痛いっ!」
思いきり足を踏まれて悶絶する友人の姿を見て、ロランは情けなさに思わず頭を振った。
一日の授業が終わり、イオンとロランが帰り支度をしているところをルネに呼び止められた。
「二人とも。帰りにちょっと付き合ってね」
「えっ、まさか今日から例の調査を始めるの?」
「当たり前でしょ。夏休みまであと二ヶ月しかないし、調べなきゃいけないことは沢山あるんだから」
そういえば、とイオンは思い出した。
前回の遺跡発掘を思い立った時も、冬が来て地面が固くなる前に行かなきゃ、などと言い出してその週の日曜日に早速駆り出されたのだった。
普段の穏やかな物腰からは全く想像できないこの行動力は、一体どこから来るのだろうかとイオンは訝った。
「今日は僕たちこれからベルリオーズの鉱石店へ行くことになってるんだよ。新しい石が入ったってアンリに聞いたから」
「それは別に急がないでしょう? 新しく入ったばかりなんだったら、しばらくはお店に置いてあるわよ。こっちは緊急なんだから」
ベルリオーズの鉱石店というのは、鉱石や鍾乳石などを専門に取り扱っている店で、店主は七十を過ぎたぐらいの小柄な老人である。
特に商売上手というわけでもないのだが、数年前からこの街の少年たちの間で、にわかに鉱石の収集が流行になり、他に同じような店がないおかげで、その恩恵を一身に受けている幸運な店である。
「売れちゃったらどうするんだよ。あそこの店は人気があるんだ」
ロランも援護射撃を行った。
だが砦は思った以上に堅牢だった。
「大丈夫。売れたらまた新しいのを仕入れるわよ」
「いや、そういう問題じゃ……」
やはり女の子には鉱石集めの楽しさなどは分からないものらしい。
「とにかく、今のうちにあの本のことをもっと詳しく話しておきたいの」
「しょうがない。イオン、また明日にしようぜ」
ロランはあっさりと引き下がることにしたが、イオンが思いついたのは別の方法だった。
「そうだ、いっそ三人で行かない? そうすればルネも歩きながら本の話ができるだろう?」
どうやらその提案は、ルネにとって最良の選択肢ではないようだったが、かと言って不服ということでもなさそうだった。とりあえず予定通りの協力者を得て、彼女本来の性格である寛容さを取り戻したらしい。
「わかったわ。そうしましょう」
三人は揃って教室を出た。
「あの本はね、お父さんの書斎の本棚にあったの」
校舎を出て、ポプラが青い葉を繁らせる並木道を校門へと歩きながら、ルネは話し始めた。
「小さい頃は書斎には入っちゃいけないって言われてたんだけど、私が考古学に興味を持つようになったからって最近は書斎の本も読んでもいいことになってるのよ。ある時、お父さんがとっても古い表紙の本を読んでたの。お父さんって考古学の本を読むときいつも難しい顔して読むのに、その本は何だか楽しそうに読んでたわ」
「それが、あの本ってわけか」
先回りして呟いたのはイオンだった。
「そう。私が何の本か尋ねたら、大昔のまだ汽車も何もない頃、国中を旅して回った人の書いた本だよって教えてくれたわ。本によると昔この国には、不思議な場所が沢山あったそうよ。その後お父さんに言われたの。お前も大きくなったら、この本に書かれた場所へ旅してみるかいって」
おじさん、簡単に言わないでくれよ……。イオンは思わず内心で愚痴をこぼした。
ルネの父であるクリストフ・フォートレル博士は、若くして学会で評価を確立した優秀な考古学者である。ただし少々風変わりなところがあり、ある日突然ふらりと旅に出て、数週間留守にしたかと思えば、見ず知らずの人間を何人か連れて帰って来て、自宅に滞在させるのだった。
イオンも小さい頃、ルネの家に遊びに行った時に何度かそういう来客に出会ったことがある。たまに同国人もいたが、多くは外国人だった。
外国人の中には、この国の言葉を話す人もいないではなかったが、フォートレル博士はほとんどの場合、外国語で会話をしていた。
当然イオンには何を話しているのかさっぱりわからなかったので、流暢に何カ国語も話す博士の姿は小さい子供にとっては謎めいた存在だった。
ルネが話した本の内容に、ロランはいたく興味を持ったらしい。食堂で初めてルネの話を聞いた時と同じように声を弾ませて食いついてきた。
「なんだよ不思議な場所が沢山って。流れ星が落ちる草原みたいな言い伝えが他にもあるって言うのか?」
期待に満ちた顔である。
「そうよ。妖精の住む森とか、光輝く洞窟とか、あとは……そうそう、霧の中の不思議なお城の話もあったわ」
「霧の中の不思議なお城? 不思議ってどんな風に不思議なんだい?」
「本を書いた人がね、ある時、湖を舟で渡ろうとしていたら、霧が出てきて方角がわからなくなってしまったらしいの。それでも舟を漕いで進んで行ったら、突然、目の前に大きなお城が現れたんですって」
「それって湖の真ん中で?」
「そうよ。それでその人はそのまま中に入ってみたの。お城の中には王様やお后様が住んでいて、食事や舞踏会に招かれたと書いてあったわ。ところが、そこで王様に一晩泊まって行けと言われてお城に泊まってみると、朝になって目が覚めたら舟の上だったそうよ。お城は消えていたの」
「バカバカしい」
それまで黙って二人の会話を聞いていたイオンだったが、たまらず口を挟んだ。うんざりした顔である。
「何よ。何がバカバカしいのよ」
ルネの険しい目つきが突き刺さる。
「その話の何もかもがだよ。どう考えても完全に作り話に決まってるじゃないか」
「またそんなことを。あのな、イオン。昼にも言っただろう?不思議なことってあるんだって」
物分かりの悪い相手を諭すような口調でロランが言ったが、イオンは納得しない。
「いくらなんでもあるわけないよ、そんな城。作り話か、さもなきゃその人は普段から昼寝の最中に色んな夢を見る人なんだよ、きっと」
「呆れた。あなたって本当に頑固ね」
「よしわかった。それなら星の降る草原を探すついでに、その城も探そうじゃないか」
ロランのこのとんでもない提案を退けたのは、意外にもルネだった。
「ダメよ。今は草原を見つけることに専念しましょう。あんまり時間がないんだから。言ったでしょう。夏休みの間に見つけるって。あと二ヶ月で夏休みなのよ。それまでに大体の場所の見当をつけておかなきゃ」
どうやらルネも、そう簡単に例の草原が見つかるとは思っていないらしい。少し安心しかけたイオンだったが、続く言葉に青ざめた。
「湖のお城は、草原を見つけてからゆっくり探しましょう」