モーツァルトで、〆。
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ピアノ協奏曲第1番を、このように弾くとは…。第一楽章を聴いた時、笑ってしまいました。
チャーミングで大好きな曲なのですが、アンダさんのピアノにかかるとこうなるのかと思いました。
2番の第二楽章の── 単調なリズムの中に高揚と哀しみの同時進行。
かなり自由に、そしてまじめに楽しんで演奏していますね、アンダさん。
オイゲン・ヨッフムさんの「レクイエム」
ボスコフスキーさんの「ポストホルン・セレナード」
ファゴットが独り言のように良く喋っている「ファゴット協奏曲」
なども貼り付けたかったのですが、ほんとにキリがないので、もうやめます。
最後に、正統的なマレイ・ペライアさんのピアノで終わりましょう。
FMでよくモーツァルトがかかり、エアチェックしながら机に向かい。
モーツァルトを聴いていたのか勉強をしていたのか、わかりません。
おかげで、演奏者、指揮者によって同じ曲がこんなに変わるのか、と知りました。
趣味のページとして貼り付け続けました。
「ドン・ジョバンニ」で終わるつもりだったのに…。
(「モーツァルト24時間LIVE?」という記事も書いたのですが、その動画は著作権の申し立てから削除されたようです。で、こちらに書いた話も消しました)
第一楽章の雄大さ、そして最終楽章の悲しみと希望の疾走感がたまらないです。
この曲を作った頃のモーツァルトは、司教とウマが合わず、ザルツブルグを脱出したい、でも出来ないという、絶望的な状態だったそうです。
↓「グラン・パルティータ」。素朴な、朴訥とした楽器達が、戯れています。
純朴で、綺麗で、心洗われます。こちらも、マッケラスさんですね。
アントレッターさんの依頼を受けて作った曲なのでしょうか。
セレナード=「小夜曲」。
夜、広い庭で親しい人達とパーティーを開いているイメージ。
または、ひとりランプを灯して机にぼんやり頬杖ついて、夜を見つめるイメージでしょうか。
今が過去になる、その小さな夜を、楽しい想い出にとともに過ごす…
↓トン・コープマンさんの「ハフナー・セレナード」…を貼っていましたが、ちょっとうるさい印象。
マッケラスさんのに変えます。