第15話 それから

文字数 1,453文字

 以上、述べたことが、福が我が家に来てからの、印象的で、忘れられないことのすべてである。
 4年が過ぎ、5年が過ぎ、6年、7年、8年、9年… 福はただひたすらに、寝る→食べる→遊ぶ、寝る→食べる→遊ぶ、を繰り返した。
 冬は炬燵の中で股をおっぴろげ、夏はフローリングでころころして、寝てばかりいた。きらきらボールとタコ糸だけは、好んで追いかけた。

 人間の膝には、けっして乗ってこなかった。だが、寒い冬の夜は、家人の布団に来るようになった。そして布団の中に入るのではなく、掛け布団の上に乗って、そこでまるまって眠るのだった。
 恋人は、「重い重い」と悲鳴をあげ、布団の中で身体を揺すり、福をやんわり落とし続けた。あきらめた福は、私の布団にやって来た。

 私は「おいでおいで」と両足を広げた。掛け布団越しに、福が私の四股の間にまるまると、その重みでまわりの掛け布団が沈み、福の身体は布団に包まれる形になった。これはいかにも暖かそうで、福も私も気に入った。
 だが、寝返りが打てない不自由さと、福が徐々に私の股間に侵攻してくるので、結局私も、福をやんわり落とすことになってしまった。

 毎晩鳴いて、安眠は妨がれ続けたが、助けられた時が一度だけある。
 私が目覚まし時計を無意識に止めて、すっかり寝入ってしまっていた朝だった。バンバンバンバン、ものすごい勢いで肩のあたりを叩かれたのだ。目を開けると、目の前に福の大きな顔が、ドアップで迫っていた。
「なんでいるの? なんでいるの?」とでもいうふうに、福は真剣な表情で私をじっと見つめていた。おかげで、私は遅刻せず、出勤時間に間に合った。

「夜鳴きしなければ、ほんとに良い猫なのにね」家人が言った。
 まったく、夜鳴きさえしなければ、福は完璧な猫だった。家の襖や柱を爪で傷つけることもなく、食卓に刺身があっても、手を出そうとしなかった。
「爪はダンボールの爪とぎで磨ぐ。あれは人間の食べ物。これが自分の食べ物。」と、福の中できっちり判別されているようだった。
 トイレに関しては特に厳格で、用を済ますと必ず「早く片づけろ」とニャアニャア言った。
 友人が遊びに来て、5、6時間部屋にいた間、福はずっと押し入れに隠れていたが、突然低姿勢でトトトと出てきて、トイレに行き、用を済ますと、またトトトと押し入れに戻って行った。
「福」と呼べば耳を動かし、「ご飯」と言えば振り向いた。「掃除するよ」と声を掛けると、ニャアアアと抗議の声をあげ、押し入れに入って行った。
「行ってくるね」には、玄関マットの上であのドタッをして、私たちを行かせまいとがんばった。

 容姿については、お腹のたるたるを除けば、実に美麗、この上なかった。短毛の純白、雪のような純白に全身が覆われ、唇と鼻、耳と肉球だけがピンク色だ。そして左目はブルー、右目はゴールドである。その目の縁は、アイシャドウをしたようにキリリと明確に黒く縁どられ、鼻は「ジャングル大帝」のレオのようにツンと高く、品がよく、総合的に凛とした、聡明な顔立ちだった。
 その顔の、両目の下の毛は、左右に外へ向かっていて、よくよく見ると神秘的だった。「獣王」あるいは「獣神」がこの世に実在するとしたら、このような毛の向き方によって神聖な顔になるのだろうと思われた。
 尻尾は、胴体と同じくらいの長さで、歩く時はピン!と直立し、眠る時は身体に沿って弧を描き、その可愛い鼻や目をアイマスクのように覆った。
「肥満傾向の猫用フード」を食べてもらい、体重の加減も小康状態を保っていた。
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