第10話 福のいない夜

文字数 1,364文字

 冷たい北風の吹く夜で、いやがる福をキャリーに入れ、ブランケットを被せ、私と家人は病院に向かう。道すがら、福は鳴き続けたが、病院に入るとピタリと鳴き止んだ。不思議に思いながら受付を済ませ、キャリーを膝にのせ、待合室の長椅子に座る。
 隣りを見ると、婦人の膝の上のキャリーの中にウサギがいた。鼻をひくひくさせて福を見ている。その婦人の向こうには、若い女性の抱えるカゴに、フェレットらしき長いものがせわしなく動いているのが見えた。

 正面には鳥籠が床に置かれ、長椅子に座った老人の足元でピッピと鳴いている。その横にはハムスター、その横に福と同じ猫族が1名、それぞれの飼い主の膝上のキャリーにおさまってじっとしている。
 窓際には大きな犬がハァハァいいながらお座りしていて、綱を握った若者が携帯電話をいじっていた。動物病院は町なかにあったが、何やら非日常化した、「動物の国」とでもいうような空間だった。福は、隣りのウサギばかり見つめていた。

「相田福ちゃーん」若い女看護士に呼ばれ、診察室に入る。
 院長らしい中年の医師が「こんばんは」と言う。
「よろしくお願いします」私が頭を下げる。
「その上に置いて下さい」と言われ、診察台の上にキャリーを置く。「フタを開けて下さい」と言われ、フタを開ける。福は複雑そうな顔をして、じっとしている。

 医師は、その福の様子を見て、「じゃ、そっと出して下さい」
 私は福をそっと抱え出した。「キャリーは下に置いて下さい」と言われ、下に置く。診察台は、体重計の役割も果たしていて、6.3㎏、と横に付いているデジタルが表示した。

 福はじっと伏せをしたまま、ウンともスンとも言わず、置き物のようにかたまっていた。
「…おとなしいですねえ」しばし沈黙の後、医師が言った。
「家では、こんなじゃないんですけど…」福の背中を撫でながら私が言う。
「こういうのを、借りてきた猫、っていうんですよ」と獣医は笑い、「しかし大きいですねえ。これは将来、ちょっとしたトラの子ぐらいになりますよ。骨格がこんな太いし」と福の腕を軽く握って言った。

 そして健康診断が始まった。獣医は福の口を開け、歯の状態を見た。次に身体をひっくり返し、お腹を診る。女の看護士ふたりが、仰向けになった福の両手足を持ち、軽く押さえた。福は、されるがままになっている。
「予防接種は受けた方がいいですよ」医師の進言に、飼い主も言われるがままにうなずいていた。
 腰のあたりに、その注射を打たれた瞬間、福はビクッと身体を震わせ、ニャア、と小さく言った。
 去勢手術の説明を受け(一泊の入院が必要であること、掛かる費用等)、日取りを決める。

 1週間後の手術日当日、「コレに入るとひどい目に遭う」と覚えた福は、キャリーに入ることをかたくなに拒んだ。家人と二人掛かりでやっと入れて、再び動物病院へ。
 福のいない、初めての夜。「今夜はゆっくり眠れるね」家人が言う。
「ああ、何年振り…半年振りか」帰宅の道すがら、私たちは、朝までゆっくり眠れる夜を、喜んだ。
 だが、家に帰ると、福のことが気になって落ち着かない。夜の9時を過ぎていたが、私は家人を散歩に誘い、わざとのように動物病院の前を通りすがった。
 立ち止まって耳を澄ましても、福の鳴き声は聞こえない。
 その夜、我々はうまく寝つけなかった。
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