42.ブランコ

文字数 2,670文字

 久しぶりに実家に帰ることにした。

 確か高校を出て以来なので、十年以上実家には帰っていなかったことになる。顔を見せることはもちろん、連絡すらもろくにしなかった両親にわびの一つも入れなければならないし、自分の部屋のものなども大半はほったらかして、あわただしく都会に出て行ってしまった。すなわち、家族とはいえ完全に不義理を重ねた状態での帰郷だったので、さぞかし風当たりも強いだろうと思いながら最寄りの駅に降り立ったのだが、両親は下にも置かぬほどの歓待をしてくれて、到着した晩はしたたかに父と飲み明かし、昔話に花を咲かすことができたほどだった。

 翌日。二日酔いの頭をおさえながら台所に顔を見せると、母は水の入ったコップを差し出して苦笑しつつ、「少し散歩にでも行ってきなさいよ」なんて言う。別に用事があって帰ってきたわけではないし、実家の私の部屋も母が定期的に整理整頓をしてくれていたので、ありがたいことに不要なものを捨てるといった作業は後回しにしても良さそうだった。私はズキズキするこめかみを押さえながら甘露のような水を飲み干し、母の言葉に甘えて外出をすることにしたのだった。

 近所は懐かしい景色を随所に含みつつも細部が入れ替わっており、さながら間違い探しのような様相を呈していた。昔ながらの商店が駐車場に変わっていたかと思えば、スーパーは当時と全く変わらず営業を続けていたり、当時から古めかしい戸建てだった家はほとんどその景観を変えることすらせず、その前の通りをほうきで掃く御老体も、若干髪の薄さが進行したこと以外は変わらず元気にその姿をさらし出し、すっかりエトランゼと化してしまった私にも変わらず会釈をしてくれた。

 そういった景色を尻目に歩いていくと、やがて一つの公園に差し掛かる。その公園は、砂場といくつかのベンチ、そしてうんていとブランコが申し訳程度に設置された決して大きくはない、名前もよく知られていないような場所だった。

 幼少期、私はこの公園に足しげく通っていたのを思い出した。それこそ毎日といっていいほどこの公園で遊んでいた。ときにはひとりで、ときには友人を連れて、またあるときにはこの場所で友人を作りに。それこそ昨晩の父との酒の席でも話に上がるほど、この公園に通っていたのだった。しかし、あるときから急におまえは行くことを止めちゃったなあと、昨晩、酔った父は赤ら顔で語っていた。
 私自身も、この公園が好きでよく通っていたことは覚えている。そして、あるときを境に行かなくなったことも覚えていた。だが、それは小さい頃の話だ。ただでさえ移ろいやすいであろう幼少期の興味が他に移ったことで足が遠のいた、ただそれだけのことだろう。昨日、父からその話をされた際、深酔いの悦楽の中で冗舌にそう答えたことを、私はまだ残る頭痛の中で思い出した。

 公園には誰もおらず、私は頭痛のせいかとても歩き疲れていた。その状態で目についたのは遊具の一つであるブランコ。大人しくベンチに座るという考えもなくはなかったが、酔いによる脳の揺らぎをブランコの実際の揺れで相殺できないだろうかという、まだ酒が抜けきっていない者にありがちなばかげた考えで、気がつくと私は2台あるブランコの片方に腰を下ろしていた。

 とはいっても、腰を下ろした程度では二日酔いは楽にならない。そこで、先ほどの考えの通り、私はブランコをこいで揺れに身を任せることにした。揺れで胃の内容物を戻してしまう可能性もあったが、それはそれで楽になるはずだ。そんなふうに思いながら、ブランコをこぎ出してその速度をどんどん上げていった。

 こぐ速度に比例するかのようにブランコは角度を上げ、次第に空が視界に入ってくる。雲が申し訳程度に存在しているが、おおむね澄んだ水色のきれいな空。ガンガン響く頭をもたげてその空を見上げていると、かつての記憶がふっとよみがえる。


 そう。あれはこの公園に寄り付くことをやめた最後の日。私はここで一人の少女と出会ったのだった。背も年格好も変わらないであろう彼女は、私が公園に到着したとき、すでに片方のブランコをこいで遊んでいた。彼女をひと目見た私はあまり見ない顔だなと思いながら、右の、今、こいでいるこのブランコをそっと陣取ったのだった。

 おそらく初対面であっただろう僕らはしばらくの間、二人だけの公園で、隣通しでブランコをこいでいた。

 やがて、僕らの間にはとある意識が生まれていく。それは好意とか、恋などといった甘美なものではなかった。端的に言えば敵意。

 彼女は、この公園の主は自分だとばかりに勢いよくブランコをこぎ出した。横目にそれを見た私も、意識してブランコを揺さぶる。隣り合った二つのブランコはみるみるうちにその速さを増していき、前へ後ろへと波にもまれる小舟のように大きく揺れ動いていった。
 だが、その大きな揺れの中でも私たちの敵意の炎は消えることはなかった。彼女はそれこそ天にも届くほどブランコを揺らし、私の意気をこれでもかと削いでくる。私もそれに張り合うように、一回転するような勢いでブランコをこぎ、彼女に食らいついていく。

 加速していく最中に見せる、二つの頂点でブランコが動きを止める瞬間。天と地の図像が視界にとどまる刹那。その何度めかの天が眼前に映し出されたとき、そこに奇妙な違和感が生じた。

 水色のきれいな空。その中央にぽつんと一つの物体が浮かび上がっている。二つの短いおさげを揺らして、スカートをはためかせて、体を大の字にした少女が宙に浮いていた。直後、不快な鈍い音が響き渡り、公園は再び沈黙する。

 私は反射的にブランコを止め、音のした場所へと走り出した。そこにはさっきまで隣で敵意をあらわにしていた少女が転がっていた。勢いのついたブランコから思わず手を離してしまい、空中に躍り上がったあと頭から地面に落ち、額から血を流してすでに動かなくなっていた。

 彼女の割れた頭蓋をみて、私は思わず天を仰ぐ。ああ、あの日も今日のようなきれいな空だった……。


 ━━過去から現実に戻った私は、相変わらず二日酔いの治まらない頭でブランコをこいでいる。そうだ。あの後、急に怖くなった私は彼女を置いて逃げ出した。それ以来、この公園に来ることを止めたんだった。そのことを思い出した瞬間、刺すような視線を感じて前方に目をやった。


 額にみにくい傷跡がある女━━死んでなかったあの少女が、殺意のこもった目でこちらを見つめていた。


 総身の力が抜け、視界が揺らぐ━━今度は私が、宙に浮く番だった。
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