33.アイドルと橋梁
文字数 3,001文字
ときおり、散歩に行くことがある。
日光を浴びるためだったり、頭が煮詰まってしまったときの気分転換だったり、医者に少しは体を動かせと言われている身だったりと理由は山ほどあるが、とにかく1時間ばかり家の周りの道をてくてくと踏みしめる。そんな作業に勤しむ時間を作っている。
でも、こんなことは別に珍しいことではなく、他の人だって散歩くらいはしているだろうし、犬などを飼っている人なんかは朝晩、いや、ことによったら朝昼晩と愛するペットとともにリードを携えて出ていく人もいるだろう。
そんな珍しくもなんともない散歩に関する話だ。
私が散歩道にしているコースは4つあり、ざっくりと説明するとわが家からそれぞれ東西南北に30分ほど歩いた先にある目標物まで歩き、そこにたどり着いてから引き返して約30分の復路を歩く。そのようにして1時間を過ごすという段取りになっている。その目標物というのはもちろんコースによって違っている。あるコースではコンビニエンスストアだったり、またあるコースではバス停だったりとさまざまだ。
その一つ、西へと向かうコースは目的地を橋としている。このコースの終点には小川に橋がかけられており、その橋の上の道路にはちょうどよく歩行者用信号と横断歩道が設置されている。私はその場所まで歩くと、その橋を縦断するような形でその道路上の横断歩道を渡り、反対側に移動して帰路に着いているのだ。
私は4つある散歩コースの中でも、この道が一番気に入っていた。景観が良いし、それほどきれいではないとはいえ川というものはいいものだ。また、このコースは比較的坂が少なく歩きやすいので、精神的にも楽だ。これらの理由で、朝、今日の散歩コースを決める際に
(橋、渡りにいこうかな)
としばしば考える。折り返し地点の橋がそのコースの名称になるくらい私の中で印象が深かったし、それぐらい私はその橋に親しんでいたのだった。
そんなふうに散歩を続けていたある日。
その日も快晴の中、お気に入りの橋コースを歩く私。快調な足取りはやがて件の橋に差し掛かる。だが、橋上で光る歩行者用信号は危険を知らせる赤い血の色で、そこを渡ろうとするものを威嚇していた。
私はその赤色を認識して素直に立ち止まり、近くの電信柱にへばりついている歩行者用ボタンを押下する。別に急いで家に帰らなければならない理由などない。ここで信号に引っかかっても家に着くのはだいたい1時間なのだ。
私は橋のど真ん中で信号の色が変わるのを待ち続ける。歩行者が足止めをされているわけだから、当然、私の目の前を種々雑多な車が通り過ぎていく。彼らは各々の目的地へと急ぐためにタイヤを回転させて橋を横切っていく。
そのとき、気付いた。
「ブォォォォン。ブオー。ギューン」
「ガタガタガタガタン、ガタッ」
(…………)
揺れる。
この橋、車が通るたびに激しく揺れるのだ。最初、地震が起きたのではないかと思ったくらいに。そのため思わず身構えたが、車が通り過ぎると揺れはあっさり収まる。しかし次の車がやって来ると、再びものすごい勢いで橋はグラグラと揺れ、その上に立つものを脅かしてくるのだ。
私は信号が青になるまでの時間、車が通るたびに橋上で恐ろしい揺れを味わった。とてつもなく巨大なダンプカーが通りがかったときは、もう駄目かと諦めかけたほどだった。
やがて信号が青になる。私は渡ろうとする車たちを左右にモーセのように横断歩道を渡り、いつものように帰路に着いた。
家にたどり着き、橋上で起きた出来事を反すうする。
車が通るたびに発生するあの揺れ。あれではあの橋はもうそれほど持たなさそうだ。近い未来に崩壊してしまう可能性が高いということは、建築に関して素人の私でも容易に想像できる。
私はその瞬間を脳裏で夢想する。今日のように信号を待っている私。そこに今日のような大きなダンプカーが大量の荷物を積んで通りがかる。それが橋に差し掛かった瞬間……。
もろくも橋は真っ二つになって崩れ落ち、私は無力感を抱えつつその裂け目へと落ち込んでいく。バランスを崩したダンプカーが荷物をまき散らしながら私の上へと覆いかぶさり、私は下敷きになって川底へと沈んでいく……。
そんな夢想を頭の中に展開したとき、その恐ろしさに身の毛がよだった。が、次に去来したのは、そんな目に遭ってしまいたい、そんな破滅願望のようななんともいえない思いだった。
もちろん死ぬのは嫌だ。しかも、ダンプカーにつぶされるだなんて。でも、心の奥の奥の奥に、そうなってしまいたい、その瞬間に立ち会ってしまいたい、それで全てを終わりにしてしまいたい、そんな半ば禁忌に近い感情が渦巻いている。
あの橋が好きだから? いや、あの橋は好きだけれど、殉じたいという気持ちではない。どちらかというと、ちょっと壊れたおもちゃやプラモデルをいっそ修復ができないくらい完璧にぶっ壊してしまいたい、というプリミティブな破壊願望のほうが近い気がする。
いや、もっと近いものがあった。小さい頃しばしば男子に発現することがある、女の子にちょっかいをかけて気を引こうというやつ。恐らく小さい子に特有のあの行為。あれなのかもしれない。
女子にはそういうのがあるかどうかわからないが、男子は気になる女子にくだらないちょっかいを掛けて気を引こうとすることがままある。まあ、大抵の場合は成功しないのだが。それがだんだんエスカレートしていくと、その志向はときにディスプレイの向こう。見目麗しいアイドルの方々に向かうときがある。
他ならぬ私がそうだった。小さい頃、ぼんやりとテレビを見ていると、同じ人類とは思えないほど美しいアイドルのお姉さんたちが華やかな衣装を着て歌ったり踊ったりをしていて、それにほのかな恋心を抱いていたものだった。しかし、彼ら、彼女らも見目麗しいだけではやっていけない。ときに仕事の幅を広げるべく、バラエティなどにも進出して意外な一面を見せなければならないときがやってくる。
昨今のアイドル事情はてんでよくわからないが、私が小さい頃はその手のバラエティで風船がよく用いられていた記憶がある。罰ゲームなどと称して、水の入った風船を割って男性アイドルをびしょぬれにさせたり、単純に割って大きな音を出すことで女性アイドルなどに悲鳴をあげさせたりしていたのだ。
今回の橋の一件、なんとなくこのときの感情に近い、と思ってしまった。風船が割れるまでのドキドキと、橋が崩れ落ちるまでのドキドキ。ついに風船が割れて、画面の向こうの美人がうろたえるさまと、大好きな橋が無残にも橋でなくなっていくさま。整ったものがそのきれいな装いを半ば強制的に破壊されてしまう。そこにサディスティックな感情を無意識に見いだしていたのではないだろうか。
だが、小さい頃はサディスティック一辺倒だった私が、今回の橋の件では、自分は橋上にいて橋の破壊に巻き込まれたいというふうに心境が変わっていた。マゾヒスティックな性向なのか、自殺願望なのかは分からないが、この長い月日が良くも悪くも自分を変えてしまったんだろうと思うと少々感慨深い。
ちなみに先日、件の橋を訪れたら、工事中の立て札がかかり、橋の補強工事を施しているという旨の説明が書かれていた。無残な橋の崩落と私の川への落下は、もう少し先のことになりそうだ。
日光を浴びるためだったり、頭が煮詰まってしまったときの気分転換だったり、医者に少しは体を動かせと言われている身だったりと理由は山ほどあるが、とにかく1時間ばかり家の周りの道をてくてくと踏みしめる。そんな作業に勤しむ時間を作っている。
でも、こんなことは別に珍しいことではなく、他の人だって散歩くらいはしているだろうし、犬などを飼っている人なんかは朝晩、いや、ことによったら朝昼晩と愛するペットとともにリードを携えて出ていく人もいるだろう。
そんな珍しくもなんともない散歩に関する話だ。
私が散歩道にしているコースは4つあり、ざっくりと説明するとわが家からそれぞれ東西南北に30分ほど歩いた先にある目標物まで歩き、そこにたどり着いてから引き返して約30分の復路を歩く。そのようにして1時間を過ごすという段取りになっている。その目標物というのはもちろんコースによって違っている。あるコースではコンビニエンスストアだったり、またあるコースではバス停だったりとさまざまだ。
その一つ、西へと向かうコースは目的地を橋としている。このコースの終点には小川に橋がかけられており、その橋の上の道路にはちょうどよく歩行者用信号と横断歩道が設置されている。私はその場所まで歩くと、その橋を縦断するような形でその道路上の横断歩道を渡り、反対側に移動して帰路に着いているのだ。
私は4つある散歩コースの中でも、この道が一番気に入っていた。景観が良いし、それほどきれいではないとはいえ川というものはいいものだ。また、このコースは比較的坂が少なく歩きやすいので、精神的にも楽だ。これらの理由で、朝、今日の散歩コースを決める際に
(橋、渡りにいこうかな)
としばしば考える。折り返し地点の橋がそのコースの名称になるくらい私の中で印象が深かったし、それぐらい私はその橋に親しんでいたのだった。
そんなふうに散歩を続けていたある日。
その日も快晴の中、お気に入りの橋コースを歩く私。快調な足取りはやがて件の橋に差し掛かる。だが、橋上で光る歩行者用信号は危険を知らせる赤い血の色で、そこを渡ろうとするものを威嚇していた。
私はその赤色を認識して素直に立ち止まり、近くの電信柱にへばりついている歩行者用ボタンを押下する。別に急いで家に帰らなければならない理由などない。ここで信号に引っかかっても家に着くのはだいたい1時間なのだ。
私は橋のど真ん中で信号の色が変わるのを待ち続ける。歩行者が足止めをされているわけだから、当然、私の目の前を種々雑多な車が通り過ぎていく。彼らは各々の目的地へと急ぐためにタイヤを回転させて橋を横切っていく。
そのとき、気付いた。
「ブォォォォン。ブオー。ギューン」
「ガタガタガタガタン、ガタッ」
(…………)
揺れる。
この橋、車が通るたびに激しく揺れるのだ。最初、地震が起きたのではないかと思ったくらいに。そのため思わず身構えたが、車が通り過ぎると揺れはあっさり収まる。しかし次の車がやって来ると、再びものすごい勢いで橋はグラグラと揺れ、その上に立つものを脅かしてくるのだ。
私は信号が青になるまでの時間、車が通るたびに橋上で恐ろしい揺れを味わった。とてつもなく巨大なダンプカーが通りがかったときは、もう駄目かと諦めかけたほどだった。
やがて信号が青になる。私は渡ろうとする車たちを左右にモーセのように横断歩道を渡り、いつものように帰路に着いた。
家にたどり着き、橋上で起きた出来事を反すうする。
車が通るたびに発生するあの揺れ。あれではあの橋はもうそれほど持たなさそうだ。近い未来に崩壊してしまう可能性が高いということは、建築に関して素人の私でも容易に想像できる。
私はその瞬間を脳裏で夢想する。今日のように信号を待っている私。そこに今日のような大きなダンプカーが大量の荷物を積んで通りがかる。それが橋に差し掛かった瞬間……。
もろくも橋は真っ二つになって崩れ落ち、私は無力感を抱えつつその裂け目へと落ち込んでいく。バランスを崩したダンプカーが荷物をまき散らしながら私の上へと覆いかぶさり、私は下敷きになって川底へと沈んでいく……。
そんな夢想を頭の中に展開したとき、その恐ろしさに身の毛がよだった。が、次に去来したのは、そんな目に遭ってしまいたい、そんな破滅願望のようななんともいえない思いだった。
もちろん死ぬのは嫌だ。しかも、ダンプカーにつぶされるだなんて。でも、心の奥の奥の奥に、そうなってしまいたい、その瞬間に立ち会ってしまいたい、それで全てを終わりにしてしまいたい、そんな半ば禁忌に近い感情が渦巻いている。
あの橋が好きだから? いや、あの橋は好きだけれど、殉じたいという気持ちではない。どちらかというと、ちょっと壊れたおもちゃやプラモデルをいっそ修復ができないくらい完璧にぶっ壊してしまいたい、というプリミティブな破壊願望のほうが近い気がする。
いや、もっと近いものがあった。小さい頃しばしば男子に発現することがある、女の子にちょっかいをかけて気を引こうというやつ。恐らく小さい子に特有のあの行為。あれなのかもしれない。
女子にはそういうのがあるかどうかわからないが、男子は気になる女子にくだらないちょっかいを掛けて気を引こうとすることがままある。まあ、大抵の場合は成功しないのだが。それがだんだんエスカレートしていくと、その志向はときにディスプレイの向こう。見目麗しいアイドルの方々に向かうときがある。
他ならぬ私がそうだった。小さい頃、ぼんやりとテレビを見ていると、同じ人類とは思えないほど美しいアイドルのお姉さんたちが華やかな衣装を着て歌ったり踊ったりをしていて、それにほのかな恋心を抱いていたものだった。しかし、彼ら、彼女らも見目麗しいだけではやっていけない。ときに仕事の幅を広げるべく、バラエティなどにも進出して意外な一面を見せなければならないときがやってくる。
昨今のアイドル事情はてんでよくわからないが、私が小さい頃はその手のバラエティで風船がよく用いられていた記憶がある。罰ゲームなどと称して、水の入った風船を割って男性アイドルをびしょぬれにさせたり、単純に割って大きな音を出すことで女性アイドルなどに悲鳴をあげさせたりしていたのだ。
今回の橋の一件、なんとなくこのときの感情に近い、と思ってしまった。風船が割れるまでのドキドキと、橋が崩れ落ちるまでのドキドキ。ついに風船が割れて、画面の向こうの美人がうろたえるさまと、大好きな橋が無残にも橋でなくなっていくさま。整ったものがそのきれいな装いを半ば強制的に破壊されてしまう。そこにサディスティックな感情を無意識に見いだしていたのではないだろうか。
だが、小さい頃はサディスティック一辺倒だった私が、今回の橋の件では、自分は橋上にいて橋の破壊に巻き込まれたいというふうに心境が変わっていた。マゾヒスティックな性向なのか、自殺願望なのかは分からないが、この長い月日が良くも悪くも自分を変えてしまったんだろうと思うと少々感慨深い。
ちなみに先日、件の橋を訪れたら、工事中の立て札がかかり、橋の補強工事を施しているという旨の説明が書かれていた。無残な橋の崩落と私の川への落下は、もう少し先のことになりそうだ。
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