我道創作論:作品構成の鍛練

文字数 6,752文字


 今回は『作品創作方法』に関する独学持論──殊に『構成』について綴りたいと思います。
 はい、定番句いくよ?
 あくまでも私の独学持論ですので、万人に当てはまるものでもなく、またプロ視点の『正解』とは程遠いかも知れません。
 その点は寛容に御容赦下さい。


 さて、まず大前提として呈しておきたいのは「書きましょう」です。
 ええ、逃避する屁理屈を並べるぐらいなら、重い腰を上げて実践的に〝書く〟べきです。それは一欠片の踏ん切りで出来る。実は難しい事ではない。
 よく見掛ける〝ウンチク披露だけで書いた気になっているハナタカ優越くん〟と〝小品であろうとも実践して書いた経験がある者〟の差は当然ココ。
 これが確実な雲泥差として根であり、仮に同じ論だとしても〝真実味〟が全然違う。
 ウンチクなんざ誰でも簡単に得られます。大雑把に編集されたTV特集観て、雑学本読んで、ネットサーフィンすりゃ刷り込まれるんですから、そりゃ手頃で楽だわさ。だけれども〝実体験から学んだ知恵(知識に非ず)〟や〝脳内シミュレートだけでは儘ならない現実的苦労〟を知らないで語っている無責任論ですから何の役にも立たんです。ただの『受け売り』です。どんなに〝創作者目線〟で理論武装を飾れたとしても、本質面は〝理屈屋オタク止まり〟にしか過ぎない。逆立ちしたって〈創作者〉ではない。
 だったら、小品でも駄作でもコラムでも詩でも〝書いた〟方がン倍も実践的に役立ちます。そこから得たものは〝現実結果〟であり〝勉強体験〟だから。そして、そうした〝経験〟は、これから先も貴方の創作活動の血肉として役立ちます。
 うん〈創作〉としては、そっちの方が勝ち組。
 だって、貴方(そして私)は〈創作者〉として大成したいのであって〈評論家〉として一花咲かせたいワケじゃないもの。
『知識は肴に非ず
 己が創造の肥やしと心せよ
 百聞雑多の威光は麩に似たりて
 鍛冶一振りの前には虚甚だし』
 とは、私の自戒創作詩w
 だって『寿司のハウツー』読み耽っただけで〝寿司屋レベルの品〟を作れる?
 握った事はおろか自己調合にベターな酢飯すら作った事も無いドビギナーが?
 そういう事www

 そして同時に、脳内構想は『自己満足な妄想』でしかありません。
 それに対して『表現媒体(漫画・イラスト・小説・フィギュア・コスプレ・写真etc )』といった具現化形態を与えて、現実世界に顕現させなければ、いつまで経っても『共有認識』などされません(読者は〈テレパシスト〉ではありませんからね)。
「こんな設定考えたんだ♪」と口頭だけで脳内構想を説明して「へぇ~、スゴ~い♪」なんて〝おべっか〟を貰っても、その場限りです。おそらく相手にしても〝その場限り〟で、そのまま軽い雑談レベルで忘れるw
 実感的に伝わる具体的形態を取らなければ〝脳内妄想〟は現実として伝わらないですし、他者の心に『作品』として刻み込む事すら出来ないのです。

 何よりも脳内構想は〝好きなだけ拡張できる〟から、あれよあれよと大作化します。
 そりゃそうだ。
 だって〝醒めない夢〟に〝ずっと浸っていられる〟んだもん。そりゃ居心地いい。
 けどね?
 それ、書けませんからーーーーッ! 残念!
(ジャカジャン♪)
「脳内TVアニメは完結クールが永遠に訪れない……斬り!」
 うん、絶対にそんな大作は書けない。
「何も知らないクセに上から偉そうに! 私の作品愛は大作でも書きあげられるほどに深いんだ!」とか思うでしょ?
 でも、分かるんですよね……私も〝そっち側〟だったからw
 そう、例の『大剣斬』以前は、私も〝そっち側〟だったのですよ。
 自分の好きな既存作品を模倣して、自分の御気に入りの主人公を溺愛して、段々と設定過多にチート化していって、その無双活躍に酔いたくて然も1年スパンアニメが何年もシリーズ展開したかのような妄想に『●●編』『●●編』『●●編』と拡張して……そうした作品プロットが幾つもあった。
 つまり、コレは早い話〝シリーズ拡張の妄想カタルシスに酔っていた〟というだけで、こうして〈実践型書き手〉に回って鑑みれば「こりゃ書けんわwww」と自虐失笑。
 何よりも、そうした膨大な拡張設定が〝無理〟という事実は『大剣斬頓挫事変』が立証している。仮に分業なら『大剣斬』も完成したかもしれませんが、個人作業ではまず無理……そして『小説』は個人作業です。
 コレ、趣味妄想なら別にいいんですよ?
 所詮は〝個人の趣味遊び〟なんだから、いくらでも好きなだけ妄想していい。
 例えば〈凰太郎ヒーロー〉なんかが、そう(それでも最低限の共有形態として『イラスト添付型図鑑』にしてありますけど)。
 で、コレみたいに『プロット』のみという形態ならば基礎設定だけを公表すればいいから『エピソード』は要らないし、それならば可能。

 だけど『小説』は違う。
 うん『闇暦戦史』『FSF』と『凰太郎ヒーローWORLD』は根本から違うのです。
 実際に『物語作品』として〝書く〟となれば〝ラスト〟を設けなければならないし、そこへ向かって『起承転結/序破急』を展開する全体図を構築しなければなりません。

 そして、それを確立するために必要な点が、ふたつ。

 ひとつは〝脳内情報断捨離〟──つまり〝物語展開や相関図をスッキリ整然化〟するという事。
 そのためには無制限拡張された脳内構想から〝必要な要素〟だけを見極めて残し〝不必要な要素〟は思いきって捨てる作業が不可欠(逆に不足要素は加算される場合アリ)。
 消えるキャラクターや設定すらありますが、そこは泣く泣く断捨離して〝次の機会に転用〟と温存すればいい。
 当コンテンツ収録『創作秘話:孤独の吸血姫』で触れましたが、雛形段階の〈カリナ・ノヴェール〉は現在と全然異なるキャラクター設定でした。では、この没設定が無駄になったかというと、巡り巡って闇暦第三弾『獣吼の咎者』の主人公〈夜神冴子〉へと転用されています。
 このように〝いつか流用する〟という可能性に温存しておくという有効手もあります。もったいなくは無い(ただし〝構想〟自体を忘れないようにw)。

 もうひとつの必須要素は〝執筆モチベーションを維持して最後まで駆け抜ける〟という事──つまりは〝根性論〟です。
 いつまでも執筆意欲が持続すると思う?
 アマイアマイw
 人間、萎える(私も含むw)。
 たまに『スタート時は意気揚々』→『こまめなコンスタンス更新』→『次第にローペース化が目立ち、最悪時は更新されなくなってくる』→『やがてフェードアウト未完』というのを見掛けますが、コレは(ほとんどの場合)脳内TVを長期シリーズ化してしまった負の温床です。
 実際には〝TVアニメ1年分〟なんて書けません……というか〝1クール分量〟ですら厳しい。もしも〝それ〟をやろうとするなら『闇暦』ぐらいの文量をコンスタンス更新にこなさないと成立しない(闇暦は1~2クールで終われる量だと見積もっています)。
 言っておくけど結構なキツさだよ?
 あの文字量はwww
 で、それを成立させるためには「このぐらいの章構成で完結させよう」→「じゃあ、1章辺りは全何節構成かな?」→「1節当たりの文字数は、この程度を目安に行こう」という全体的な予定見積もりを組むという工程が有効。
 あくまでも〝予定図〟なのでキッチリ厳守する必要はありませんし、状況如何で変動しても構いません……が、やはり〈ゴール〉は定めた方が善いですね。
 随時ノープラン更新で書き足していく姿勢だと、次第に萎えたり、行き詰まったり、破綻したりする可能性が高い。
 ですが、全体図をキッチリ定めると〈ゴール〉が見えるので、無自覚でも〝そこ〟へ向かって足を進める流れが確立します。つまり〝終わらせる流れ〟を自然と綴っていく形になりますから、当然(いつかは)〝終われる〟という事。
 例として『闇暦』は〝1章当たり全8節/1節当たり約6000~8000文字数前後/全3章+序章(倍文字数)+終幕(半文字数)〟という構成に(一応は)一貫しています。
 一方で『FSF』の方は全章数こそ一貫していませんが、それでも〝大凡5~6章予定+エピローグ/1章当たり全8節(ただし1節辺りの文字数は『闇暦』の半分強程度)〟と最低限のルールは定めています。
 ちなみに、この〈ゴール〉は全体的構成だけでなく、各章各節にも適応されます。章自体にも起承転結がありますし、節自体にも起承転結はある。これの累積と相互的関連性が大局的に『作品全体』という構図を形成しているのです。言わば〈ミニゴール〉ですかね。
 こうした〝結末を定めて、そこへ向けた執筆をする方法〟は『帰納法』と呼ばれます。
 と、ここで老婆心から警告!
 これで「全体構想さえ定めれば完成できるんだ!」と安直に捉えて、章&節をべらぼうに増やさないようにw
 それじゃ『元の木阿弥』です。
 わざわざ『闇暦』を例として提示したのは、そのため。
 あの作品ボリュームでも、これだけの分量です。
 そして書き上げるには、かなりの執筆時間と労力を要します(新作着手時は約3ヶ月~6ヶ月越の長期インターバルを貰いますが、それでも『完成』には至りません)。



 さて、古くから「勉強のために映画を観ろ」という創作訓示がありますが、私的に一番適しているのは『Vシネ』とか『TVスペシャルドラマ』程度の〝こじんまりとした密度〟だと思います。
 というか、おそらくこの論は〝手塚治虫〟大先生が言い始めたのだと思うけれど、手塚先生の時代には適したテキストメディア媒体が『映画』しかなかったからというだけの話で、現在は『ビデオ作品』『ショートムービー』『動画』etc と幾らでも在る。TVアニメですら『1年スパン大前提』から脱却して『1クール制:2クール据えればヒット作扱い』が主流ですしね(現在『1年スパン』は〝子供向け玩具の長期展開を前提とした作品〟だけに特化しています)。
 こうした『短時間でスッキリ完結している作品』を観て〝起承転結の構成〟〝緩急を意識したシーン挿入タイミング〟〝最低限必要な情報の取捨選択〟を養った方が、壮大で大局的連続性を大前提として構成されている『TVアニメ(殊にマニア向け)』を手本にするよりも善い。
 で、この勉強法を実践する際に多くの人は、どうしても『作品像』『演出』『キャラクター設定』『奇抜な発想』『感受する雰囲気』とかに意識を持っていきがちだけど、私的に一番吸収学習すべきだと呈したいのは『構成』&『緩急』の方(まぁ、この『緩急』も結局は『構成論』の一端ですけどね)。
 先述の『演出』だの『キャラクター設定』だのなんかは身構えなくても自然体で育める要素。メディアに触れた回数さえ多ければ受動的にも成長する。
 けれども『構成/緩急』は能動的な勉強意識に吸収しないと培われ難い。
 いわゆる『起承転結/序破急』というものですね。
 作品の完成度自体は言わずもがなですが、何よりもこれこそが〝読者との真っ向勝負そのもの〟と言えますし、その際には大きな〈武器〉となるからです。『如何に読者の好奇心を惹くか』『如何に読者をエモらせるか』『如何に読者をトリックに欺くか』『如何にラストをスッキリ纏めてカタルシスを高められるか』などは、この『構成力/緩急』に掛かってきます。極論、設定や作品像が凡百の域でも、コレが成立していれば(ある程度は)惹き付けられる。
 まぁ、実際には『TVアニメ』や『映画』からでも養えはします。如何なるメディア媒体であろうと『物語』であれば、その時間枠内での〈起承転結〉は構築されていますから。
 ただ多くの人達は〝大局的構成〟にばかり傾倒しがちで、エピソードそのものから学ぶ姿勢を失念してしまう。
 それじゃ身につきにくい。
 最終回までの全体構想で捉えるんじゃなくて、いま現在観ている〝30分〟の中から汲み取る方が大事。
 映画なら全三部作引っ括めてでははく、いま現在観ている70~90分から汲み取る方が大事。
 そうした単発的構成が積み重なって、その結果が〈作品全体の重厚な構成〉という大局的構図となっているんです。
 それどころか、コレは『お笑い』ですら、そう。コントにしても漫才にしても落語にしても『物語形式』になっているものには必ず『起承転結/序破急』が敷かれています(無い場合は、よっぽどのヘッポコですw)。

「私も、いつかはこんな大作を!」と夢見るのは善いです。
 うん、おおいに善い。
 そうした〈夢/妄想〉こそが〈創作モチベ〉の根底動機へと直結していますからね。
 ですが〝基礎的部分〟を失念して〝大局的完成図〟ばかり夢想していても身にならない。
 嬉々と買ってきた『ガンプラ』を箱積み保管しているだけと同じです。うん、説明書の完成写真を見て満足しているようなモン。実際に〝組む〟事をしなけりゃ、いつまで経っても〈ガンダム〉で遊べない。そのためには、まず手足から組まなきゃね?



 ここまで〈構成力〉について語りましたが、では〝それだけ〟で書き上げられるかと言えば「んなワキャあない!(byタモさん)」
 もうひとつ、同等にして重要な項があります。
 それは冒頭でも触れた『書き上げる熱意』。
 根性論。
 コレは完全に個人実践で養うしかないから、講釈あーだうーだしてもしょうがない。「書け?」としか言えない。
 とはいえ執筆ビギナーに対して、ある程度のアドバイスはしておけます。
 書き慣れていない内に『長編』を作成するというのは、相当厳しく険しいです。
 これは焦らずに根気よく続けて〝完成〟へと導くしかない。
 うん、焦る必要はない。
 何ならライフワークと据えて、コツコツと書き溜めた方がいい。数行でも数文字でもいいから継続的に。
 貴方がコンテストを意識していたり、猶予期間を勧告されている状況下なら、ともかくとして。
 かといって、ダラダラやっていいものでもない。それは次第に弛緩した甘えに書かなくなる竜頭蛇尾フラグです。
 この辺は自覚の問題だから結局は根性論。

 執筆ビギナーへの御薦めは、そうした長編をメインと据えてコツコツと書き進める傍らにも、時折『掌編』を書く事ですか。
 掌編──ショート・ショート──つまり〝超短い読みきり作品〟ですね。
 これ、実は〝いい事尽くし〟です。
 掌編は否が応でも短いので〝余計な要素〟を入れる隙はありませんし、また〈オチ/ゴール〉の結実に進むしかない。
 先述の構成力やら発想力やらを磨く練習場とも機能しますし、文章表現力を鍛える場数にもなる。殊更、掌編の場合はオチこそが〝肝〟となりますから発想力と構成力は鍛えられます。
 また、ちょっとした頑張りで完成しますから、長編では届き難い〝作品が完成した時の達成感〟を手頃に味わえるのも大きい。この達成感や心地好さこそが創作モチベを継続させる後押しになっているというのもありますからね。
 完結作品という事は必然的に『公表可能作品数』が増えたという事ですから、貴方の投稿弾数が増えたという事にも直結しています。投稿すりゃ〝読まれる機会〟も常駐的に据えられるワケで、これが巧い事〝読者流動〟と機能すれば、これまた創作モチベの維持に繋がります(そこそこ自信もつくはずです)。
 つまり実践的鍛練且つ実用的実績になる。
 そして、貴方が夢見ている『長編完成』への礎ともなる。
 え?
「掌編なんかに労力と時間を割いているのが勿体無いよ! そんな暇があったら少しでも長編に還元しなきゃ!」って?
 なるほど。
 ま、それも一理ありますが……一方で〝掌編を書くメリット〟が大きい事も簡潔に説明しましょう。
 『急がば回れ』w

 ちなみに現状WEB小説界で『短編』と称されてまかり通っている長さは、私的には『掌編』ですね……『短編』と称した場合は『長篇の1章分もしくは半章分の長さ』程度はあるべきだと考えています。
 うん『闇暦』や『FSF』の1章分~半章分。


 と、まぁ、偉そうに語ってきましたが、これらはあくまでも『凰太郎流創作論』──万人に当てはまるものかは分かりませんw
 異論を抱くなら、それも善し。
 異論を抱けるという事は確固たる『貴方なりの創作論/創作矜持/ポリシー』が有るという事でしょうから、その〈事実〉の方こそが尊いし素晴らしい。

 ただ、締め括りとして提示しておくなら……「書け?」ですw
 うん、実践していない人は、まず一欠片の勇気で踏み出して『書く』べきです。
 自己作品の完成図を悶々と夢想してフラストレーションとしているなら『書く』べきです。
 この大前提無くして『創作論』も何も無いですからねw



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