第6話 汝は主役か脇役か、ただ、それは神のみぞ知る
文字数 3,173文字
「おはよう、桐音」
翌朝、遼太郎は学校を訪れると一番に桐音の席へ足を運んだ。そこには、正しい位置に両腕を付けた桐音の姿があった。五体満足の身体を見て、遼太郎はほっと胸を撫で下ろした。
「……おはよう」
桐音は相変わらずの固い表情。しかし、それでも挨拶を交わしてくれる様になっただけ一歩前進だろうか。
「あのブレザー、血がついちゃったから新しいのを用意した」
そう言って彼女はビニール袋に包まれた、北陽高校の制服である真新しいクリーム色のブレザーをさし出した。
「そこまでしてくれなくて良かったのに」
「流石にあれだけ血塗れじゃあ、もう着れないから」
命の恩人にそこまでしてもらうのは憚られたが、遼太郎もブレザーが無いのは困る。
「後で金は払うわ」
そんな話をしていると、
「おやおや~」
二人の間にそっと滑り込むようにして入ってくる一人の女子生徒。
「二人って仲良かったんだー。知らなかったよー」
間延びした甲高い声で話し出したのは、鹿島櫻子。二人と同じクラスの女子生徒だ。肩くらいまで伸ばした薄い栗毛。くりくりと大きな瞳をしたあどけない顔立ち。頭につけた桃色のリボンや立ち居振る舞いと合わせて、同い年ながらどこか年下の様な幼さを感じさせるクラスメイトだった。
「そうなんだ、昨日俺達は友達になったんだ」
遼太郎ははっきりと言い放ってやる。
「うおー、すごいぜ! どんなテクニックを使ってこんな美少女を落としたんだい?」
櫻子はいつものように目を輝かせて、おどけた調子で声を上げる。
「ふん、瀬戸川遼太郎様にとっちゃ、ちょろいもんよ」
それに合わせて、ふざけた冗談を飛ばして誤魔化す。別に妖怪の事を口外してはいけないルールはないそうだが、「妖怪から助けてもらって仲良くなったんだ」というのは、流石にぶっ飛び過ぎている。
ガタリ。
櫻子の言葉に一言も応じずにいた桐音は、無言のまま、自分の席から立ち上がった。
そして、そのまま教室の扉に手をかける。
「あれ? 宍戸さん、もうホームルーム始まるよ」
「………………」
ちらりとだけ櫻子を一瞥して、そのまま何も応えず桐音は教室を出て行ってしまった。
「また失敗した?」
櫻子は整った眉を八の字にして呟く。
「いや、マジな話。リョウ君はどうやって宍戸さんと仲良くなったわけ?」
「昨日、帰り道でたまたま同じになってな」
まあ、嘘はついていない。
「帰り道ならフレンドリーになるの?」
「いや、別にそういう訳でもないと思うけど……」
そして、櫻子は大きく嘆息して言った。
「やっぱり私が嫌われてる? こんな風にぐいぐい行っちゃうとうざいのかな?」
「そんな事ねえよ」
遼太郎はこのフレンドリー娘の事が好きだった。一緒に居ると明るく楽しい気分になれる。それはきっと彼女が一緒に居る相手の事を慮れる人間だからだ。彼女はそれだけ優しい人間なのだろう。遼太郎はそう思っていた。今だって、クラスで浮きがちな桐音を気にかけていて、遼太郎と話している今を好機とみて接近を試みたのだろう。
「あいつはちょっと不器用なんだよ」
桐音だって決して悪い奴じゃない。仲が良いわけでもないクラスメイトを助ける為に自らの身を呈する事ができる人間だ。そんな奴が悪い奴な訳が無い。
「そっかぁ。せっかくこうしてクラスメイトになれたんだから、もっと仲良くしたいのになぁ……」
それは遼太郎にとっても素敵な事に思えた。自分は桐音には大きすぎる借りがある。これからも借りを増やしてしまう事があるかもしれない。だから、少しでも彼女の為になる事を見つけられたらどんな些細な事でもしてやりたいと思うのだ。
櫻子と桐音が友達になれれば、桐音の為になる。
正直、御節介かもしれない。うっとうしいと思われるかもしれない。
しかし、昨日の戦いの終わり。名前で呼んでほしいと言う桐音とは、ほんの少しであるが心が通った様な気がした。だからきっと、人との繋がりそのものを避けている訳ではないのだ。
櫻子と桐音の間の橋渡しをしよう。遼太郎はそう決意した。
昼休み。普段ならば桐音はチャイムと同時にどこかに消えてしまう。いつもと同じ様に教室の喧騒を振り切り、静かに教室を後にした桐音の背中を遼太郎は追った。
「桐音」
教室の前の廊下で、遼太郎の声に振り替える桐音。
「一緒に昼飯食わねえか?」
桐音の顔は眉一つ動かさない鉄面皮のままだ。
「食堂でおごるからさ」
「……行く」
一瞬の沈黙の後、やはり、何の感情も映さないままに桐音は小さな声で了承した。
「だってさ」
遼太郎は教室の扉から顔を出した櫻子に向かって言った。
「おー、流石だぜー、リョウ君。あの宍戸さんを落としちゃうなんて」
「……………」
桐音は櫻子と遼太郎を交互に見つめ、どこか非難がましい目で遼太郎を睨む。
「櫻子も一緒だけど、いいだろ?」
「えっと、ダメかな……?」
櫻子の身体がぶるりと震えたことが遼太郎にはわかった。何も考えずに相手の懐に入っていく様な、ただのお気楽娘ではないのだ。相手の懐に入ろうとして、すげなく振り払われたら? そんなことを考えない人間が居るはずが無いのだ。人に拒絶されるのは、やっぱり怖い。
でも、だからこそ、そんな風にビビりながらでも相手に歩み寄ろうとしている櫻子はやはりすごいと遼太郎は思った。
何を考えているのだろうか。桐音は、少しの間黙り込み、小さな声で言った。
「別にいい」
それだけ言うと桐音は足早に食堂の方へと歩いていってしまう。
「やった」
櫻子と遼太郎は顔を見合わせる。櫻子の顔に歓喜の色が表れる。
「あれ、櫻子ちゃん。お弁当食べないんですか」
教室の中からクラスメイトの三条が現れて言った。長い髪をおさげにした大人しい女子生徒だ。いつも櫻子と一緒に居る所をよく見かけるが、意識しないと見逃してしまいそうなほど影が薄い。
「あ、ごめん。今日はリョウ君と宍戸さんと食べる約束しちゃったんだ。光ちゃんも一緒に食堂行こうよ」
「あ……えっと……」
三条は櫻子と遼太郎の間で落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「……お、お弁当あるし今日は遠慮しとくね」
三条はすたすたと歩いていく桐音の背中をちらりと見て、おどおどとした調子で言った。
「そっか、ごめんね。また明日一緒に食べよ」
櫻子は申し訳なさそうに両手を合わせて謝り、三条の方を気にしながらも、足を止めようとしない桐音の方へと走っていった。
「ねえねえ、私も『桐音ちゃん』って呼んでいーい?」
「……別にいい」
「私の事も、櫻子で良いからね」
「…………」
遼太郎はそんな二人の姿を見ながら言った。
「わりいな、三条。今日は櫻子を借りるぜ」
「あ……あの、だ、大丈夫です」
三条は蚊の鳴く様な小さな声で言った。そういう彼女の顔は少し赤い。どこか怖がられている様な気がするが、彼女は元々誰に対してもそんな態度な気もする。
遼太郎は二人の背中に追い付く。櫻子がほとんど一方的に話し続け、「誕生日はいつ?」とか「好きな食べ物は?」とか質問をぶつけている。桐音は相変わらずの仏頂面で淡々と答えを返していく。しかし、その表情はどこかいつもよりも柔らかく見えた。それは遼太郎の都合のよい想像なのかもしれない。しかし、二人が打ち解け合うのは、そう遠くない未来のことであると感じられた。
あんな風に誰に対しても明るく接していける櫻子は本当に眩しいと、遼太郎は思った。
翌朝、遼太郎は学校を訪れると一番に桐音の席へ足を運んだ。そこには、正しい位置に両腕を付けた桐音の姿があった。五体満足の身体を見て、遼太郎はほっと胸を撫で下ろした。
「……おはよう」
桐音は相変わらずの固い表情。しかし、それでも挨拶を交わしてくれる様になっただけ一歩前進だろうか。
「あのブレザー、血がついちゃったから新しいのを用意した」
そう言って彼女はビニール袋に包まれた、北陽高校の制服である真新しいクリーム色のブレザーをさし出した。
「そこまでしてくれなくて良かったのに」
「流石にあれだけ血塗れじゃあ、もう着れないから」
命の恩人にそこまでしてもらうのは憚られたが、遼太郎もブレザーが無いのは困る。
「後で金は払うわ」
そんな話をしていると、
「おやおや~」
二人の間にそっと滑り込むようにして入ってくる一人の女子生徒。
「二人って仲良かったんだー。知らなかったよー」
間延びした甲高い声で話し出したのは、鹿島櫻子。二人と同じクラスの女子生徒だ。肩くらいまで伸ばした薄い栗毛。くりくりと大きな瞳をしたあどけない顔立ち。頭につけた桃色のリボンや立ち居振る舞いと合わせて、同い年ながらどこか年下の様な幼さを感じさせるクラスメイトだった。
「そうなんだ、昨日俺達は友達になったんだ」
遼太郎ははっきりと言い放ってやる。
「うおー、すごいぜ! どんなテクニックを使ってこんな美少女を落としたんだい?」
櫻子はいつものように目を輝かせて、おどけた調子で声を上げる。
「ふん、瀬戸川遼太郎様にとっちゃ、ちょろいもんよ」
それに合わせて、ふざけた冗談を飛ばして誤魔化す。別に妖怪の事を口外してはいけないルールはないそうだが、「妖怪から助けてもらって仲良くなったんだ」というのは、流石にぶっ飛び過ぎている。
ガタリ。
櫻子の言葉に一言も応じずにいた桐音は、無言のまま、自分の席から立ち上がった。
そして、そのまま教室の扉に手をかける。
「あれ? 宍戸さん、もうホームルーム始まるよ」
「………………」
ちらりとだけ櫻子を一瞥して、そのまま何も応えず桐音は教室を出て行ってしまった。
「また失敗した?」
櫻子は整った眉を八の字にして呟く。
「いや、マジな話。リョウ君はどうやって宍戸さんと仲良くなったわけ?」
「昨日、帰り道でたまたま同じになってな」
まあ、嘘はついていない。
「帰り道ならフレンドリーになるの?」
「いや、別にそういう訳でもないと思うけど……」
そして、櫻子は大きく嘆息して言った。
「やっぱり私が嫌われてる? こんな風にぐいぐい行っちゃうとうざいのかな?」
「そんな事ねえよ」
遼太郎はこのフレンドリー娘の事が好きだった。一緒に居ると明るく楽しい気分になれる。それはきっと彼女が一緒に居る相手の事を慮れる人間だからだ。彼女はそれだけ優しい人間なのだろう。遼太郎はそう思っていた。今だって、クラスで浮きがちな桐音を気にかけていて、遼太郎と話している今を好機とみて接近を試みたのだろう。
「あいつはちょっと不器用なんだよ」
桐音だって決して悪い奴じゃない。仲が良いわけでもないクラスメイトを助ける為に自らの身を呈する事ができる人間だ。そんな奴が悪い奴な訳が無い。
「そっかぁ。せっかくこうしてクラスメイトになれたんだから、もっと仲良くしたいのになぁ……」
それは遼太郎にとっても素敵な事に思えた。自分は桐音には大きすぎる借りがある。これからも借りを増やしてしまう事があるかもしれない。だから、少しでも彼女の為になる事を見つけられたらどんな些細な事でもしてやりたいと思うのだ。
櫻子と桐音が友達になれれば、桐音の為になる。
正直、御節介かもしれない。うっとうしいと思われるかもしれない。
しかし、昨日の戦いの終わり。名前で呼んでほしいと言う桐音とは、ほんの少しであるが心が通った様な気がした。だからきっと、人との繋がりそのものを避けている訳ではないのだ。
櫻子と桐音の間の橋渡しをしよう。遼太郎はそう決意した。
昼休み。普段ならば桐音はチャイムと同時にどこかに消えてしまう。いつもと同じ様に教室の喧騒を振り切り、静かに教室を後にした桐音の背中を遼太郎は追った。
「桐音」
教室の前の廊下で、遼太郎の声に振り替える桐音。
「一緒に昼飯食わねえか?」
桐音の顔は眉一つ動かさない鉄面皮のままだ。
「食堂でおごるからさ」
「……行く」
一瞬の沈黙の後、やはり、何の感情も映さないままに桐音は小さな声で了承した。
「だってさ」
遼太郎は教室の扉から顔を出した櫻子に向かって言った。
「おー、流石だぜー、リョウ君。あの宍戸さんを落としちゃうなんて」
「……………」
桐音は櫻子と遼太郎を交互に見つめ、どこか非難がましい目で遼太郎を睨む。
「櫻子も一緒だけど、いいだろ?」
「えっと、ダメかな……?」
櫻子の身体がぶるりと震えたことが遼太郎にはわかった。何も考えずに相手の懐に入っていく様な、ただのお気楽娘ではないのだ。相手の懐に入ろうとして、すげなく振り払われたら? そんなことを考えない人間が居るはずが無いのだ。人に拒絶されるのは、やっぱり怖い。
でも、だからこそ、そんな風にビビりながらでも相手に歩み寄ろうとしている櫻子はやはりすごいと遼太郎は思った。
何を考えているのだろうか。桐音は、少しの間黙り込み、小さな声で言った。
「別にいい」
それだけ言うと桐音は足早に食堂の方へと歩いていってしまう。
「やった」
櫻子と遼太郎は顔を見合わせる。櫻子の顔に歓喜の色が表れる。
「あれ、櫻子ちゃん。お弁当食べないんですか」
教室の中からクラスメイトの三条が現れて言った。長い髪をおさげにした大人しい女子生徒だ。いつも櫻子と一緒に居る所をよく見かけるが、意識しないと見逃してしまいそうなほど影が薄い。
「あ、ごめん。今日はリョウ君と宍戸さんと食べる約束しちゃったんだ。光ちゃんも一緒に食堂行こうよ」
「あ……えっと……」
三条は櫻子と遼太郎の間で落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「……お、お弁当あるし今日は遠慮しとくね」
三条はすたすたと歩いていく桐音の背中をちらりと見て、おどおどとした調子で言った。
「そっか、ごめんね。また明日一緒に食べよ」
櫻子は申し訳なさそうに両手を合わせて謝り、三条の方を気にしながらも、足を止めようとしない桐音の方へと走っていった。
「ねえねえ、私も『桐音ちゃん』って呼んでいーい?」
「……別にいい」
「私の事も、櫻子で良いからね」
「…………」
遼太郎はそんな二人の姿を見ながら言った。
「わりいな、三条。今日は櫻子を借りるぜ」
「あ……あの、だ、大丈夫です」
三条は蚊の鳴く様な小さな声で言った。そういう彼女の顔は少し赤い。どこか怖がられている様な気がするが、彼女は元々誰に対してもそんな態度な気もする。
遼太郎は二人の背中に追い付く。櫻子がほとんど一方的に話し続け、「誕生日はいつ?」とか「好きな食べ物は?」とか質問をぶつけている。桐音は相変わらずの仏頂面で淡々と答えを返していく。しかし、その表情はどこかいつもよりも柔らかく見えた。それは遼太郎の都合のよい想像なのかもしれない。しかし、二人が打ち解け合うのは、そう遠くない未来のことであると感じられた。
あんな風に誰に対しても明るく接していける櫻子は本当に眩しいと、遼太郎は思った。