第1話

文字数 2,206文字

 ミロク、それが僕の名前である。漢字にすると弥勒である。仏教の未来に現れて衆生を救うとされる弥勒菩薩から取って、名づけられた。このお話は、過去や未来に行けるという仏教の都市伝説的なタイムトラベルができる時計を拾ってしまった哀れな僕の物語だ。

 少し僕の自己紹介をしよう。もし時間があれば是非、立ち聞きして欲しい。

 僕は仏教の真言宗の家系に生まれた。何代目かはもう分からないのだが相当古い歴史を持つ由緒正しい? 家系である。

 だがこの時代において由緒正しい仏教の家系だからといっても何のメリットもない。

 一応、在家という扱いになるのだが、仏教の世界で名を売ろうとするならば、出家しなければ何の意味もないのだ。

 しかし、在家ではお寺を持った家でなければ出家する事はできないという決まりになっている。また、あるいは寺の住職の弟子になるかどちらかである。

 これは、何という理不尽なルールなのだろう。僕は仏教の世界では僧侶の方たちから修行という名の洗礼を受けることすらできない。そのスタートラインにすら立たせて貰えないのである。

 この六道輪廻である迷いの世界から抜け出すチャンスも貰えないのだ。

 僕は極楽浄土には行けないのだろうか……。

 いや、在家だから行けないという訳でもないのだろうが、成長のスピードが他の僧侶よりも劣る、つまり精進する機会を与えられないと仏教の世界で競争すらできないのだ。なんという不幸なのだろう。

 仏教系の大学を出ればお師匠さん、いわゆる師僧を見つけて弟子になることもできるのだろうが完全に運である。縁がないと弟子になることもできない。それに……。

 僕は高校を出ていないのだ。

 いや、この時代では決して珍しいことではない。言い訳に聞こえるかも知れないが子供の世界も色々あると言うことだ。

 僕は高校を中退してからというもの無気力で目標もない自堕落な生活を日々、送っていたのだった。

 ……お釈迦さま、ひどいよ。

 一体、僕が何をしたと言うんだ。僕には極楽に行く機会も与えられないというのだろうか。

「地獄で会おうぜ」

 僕は謎の世界の住人に謎の挨拶をして、ビールを口に入れる。

 あ、年齢は成人しているからそこだけは大丈夫である。気にしなくていい。

 働く気力も起きないなあ。この娑婆世界は色々と大変であるのだ。

 僕は働き者の体質と言われるいわゆる日本人タイプではないのだ。ただ単に働くことが自分には向いてないのである、人には向き不向きがあるのである。いや、そういう日本人は今、確実に増えていて社会問題にもなっているのだ。

 そうそう、君のご想像通りニートという奴なのである。

 だが、それが何がいけない! 働かないことは罪なのか!? 悪いことなのか!? いいじゃないか働かなくても……。困るのは結局最後は自分だろう。他人になんて関係あるもんか! 

「おれは働きアリじゃないんだっつーの!」

 僕は完全に酔っぱらってしまっていた。僕の毒舌がボロアパートの一室に響き渡る。

 君の姿をいつも観世音菩薩様が見ておられるぞという両親に耳にタコができる程言われた子供時代のことを思い出す。

「それがどーした! 観音様さあ、だったらおれを救ってみろよ。今すぐにさあ!」

 僕は涙をベッドに垂れ流して子供の様に泣いていた。

 パジャマが涙で汚れまくりである。

 観音様に向かって口調がすっかり変わってしまった「おれ」は号泣した後で静かに目を閉じた。せめて、今日はいい夢が見れます様に……。

「うう、がんじーざいぼさーつ、がんじーざいぼさーつ、がんじーざいぼーさつ……」

 ……ぐすん。

 ……。

「荒れているようだなミロクよ、私はおまえのそんな姿は見たくはないよ!」

 ……。

 ……はて、何か声が聞こえた気がするのだがビールが入ってしまった睡魔には勝てそうにはなかった。

 子供時代の頃は幸せだったな、夢の中で少年に戻ろう。幸せな夢をな……。

 ……。

 めーぐれ、めーぐれ、ミロク。もーどれ、もーどれ、ミロク。

「ミロク様! 一体何をしておられるのです! あなたがいるそんな世界は偽物なのです。なぜそんなことにお気づきになられませぬ!?」

「だが僕はこんな世界で花なんか咲かせることはできない!」

 はああとため息が周囲に木霊する。

「情けないこと! そんなことの為にミロク様はお時間をお使いになられて……」

 誰なのかは分からんが僕の夢に勝手に入り込まないでくれ。僕は幸せな夢を見たいだけさ。

 できるなら、子供の頃に戻りたい……。

「それが願いなのか?」

「そうだ! それができれば僕は一生、お釈迦さまにお仕えしても構わない! 僕の人生は僕のものだろう。こんな不遇な立場で何か咲かせることなんかできやしないのだから」

 ……。

 分かった、分かった。おまえの願望を叶えてやろう。

 ……。

 え?

 僕は一瞬戸惑いを覚えてその言葉を疑ってしまった。

 ほ、ほんとうに? 僕は心で言葉を返した。

「明日、〇〇〇〇という川にある時計が落ちているからそれを拾ってきなさい。それを拾うとお前の人生は一変するであろう。ただし悪用はするな」

「は、はい!?」

 そして銀色のフラッシュが起こって僕の夢は目覚めを迎えて現実へと返された。

 ……チュンチュン。

 ……。

「今のは夢……?」

 と、ともかく夢で言われた川に行ってみるか……。

 僕は狸に化かされたと思って半信半疑で家の玄関のドアを開けるのであった。
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