第53話 掛け軸の女

文字数 1,284文字

「長旅で疲れているだろう。ひと晩といわず、好きなだけ泊まっていくといい。今、茶をもってこさせる。おい」

 金衛門(きんえもん)に言われ、お(つゆ)は茶を沸かした。盆に茶碗と茶請けの菓子を乗せて部屋に向かう。

 玉鏡と金衛門は畳の間にいた。押し入れや床の間があり、これでも屋敷の中では小さい方だ。

「どうだ、気に入ったか」
「ええ、とても立派なお部屋ですこと。金衛門様には足を向けて寝られません」

 物音をたてないよう茶碗と菓子を置いて隅に下がると、金衛門は上機嫌に笑った。

「口のうまい女だ。おだててもなにも出んぞ」
「まさか。思ったことを直に述べただけですよ」
「ははは、そうか、そうか」

 それから金衛門は床の間に飾った金箔の施された鯉の彫り物を自慢し始めた。この屋敷には至る所に金衛門の蒐集した——もとい借金のかたで巻き上げた——品々が飾ってある。

「見事なものですね」

 腰を据えた玉鏡が茶を啜る。

「気に入ったものがあれば、くれてやってもいいぞ」
「ご冗談を。私のような者にはもったいのうございます」

 しかし大変なのはこれからだ。
 客人がきたことで夕餉(ゆうげ)の準備はふたり分になる。急いで料理を作り、椀に盛り付けていく。金衛門は玉鏡との話に夢中になっていたらしく夕餉が遅いと怒鳴られることはなかった。

 支度を終え、お露は金衛門を呼びに行く。
 玉鏡にずっと自慢話を聞かせていたのか、金衛門は紐をほどいて木箱から壺やら何やらを出して披露していた。

「これなどは絶品だぞ、ははは」

 木箱から出されたのは掛け軸だった。そこに描かれていたものを見て、お露は思わず目を逸らした。

 女の人が裸で水浴びをしている絵、だった。

 乳房から髪の一本にいたるまで緻密に描かれた女体はなまめかしくさえあった。目に入ってしまった裸体が頭から離れない。

 同時にあんなものを見せる男の品性を疑った。そして見てしまった。畳の上にぞんざいに置かれた桐の箱。寺の和尚が御守りにとお露に寄越した、あの箱だ。

 あれが……御守り……。

 胸が悪くなるようだった。恐る恐る顔を部屋に向けると、玉鏡は気を悪くした様子はなく、うんうんと相槌を打っていた。
 お露が夕餉の準備が整ったと言い、ふたりが食卓へ移る。

 夕餉の席で金衛門と玉鏡は座布団に座り、お露は金衛門の後ろに控えていた。なにかあった際はすぐに動けるようにだ。
 幸い金衛門は上機嫌で何事もなく夕餉は進んだ。途中で金衛門はまた自慢話を始めた。今度は食器皿だ。そこから話が転がり玉鏡が尋ねた。

「では、この座布団も」
「それは寺から頂戴したものだ。宗派は忘れたが、兎に角貧乏くさい名だった」

 金衛門は笑っていた。坊さんの前でよくそんなことを言える。お露は金衛門の背中を睨む。
 椀が空になってからも金衛門は上機嫌だった。下男が風呂を沸かし、支度が整ったことをお露が伝えに行くと、玉鏡に先に入るよう言伝を頼まれた。

 玉鏡は縁側から部屋に戻ってきた所だった。雨が降っているのに何をしていたのだろうと思っていると、すっと尺八をしまった。

 そういえば、虚無僧は尺八を吹きながら諸国を行脚すると前に父から聞いたことがあった。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み