第24話 玉鏡と青年

文字数 962文字

 その青年がやってきたのは雨の日だ。

「ーーどうかされましたか」

 境内には雑草が好き放題に生えている。青年は呆けたように草の中に佇んでいた。何者かと思い、境内にあげて茶に眠り薬を盛った。

 薬売りというのは嘘ではないようですね。
 ……あら、これは。

 荷物の中に帳簿があった。懸場帳である。
 人間の足でこれだけの家々を回れるのかと思えるほど、顧客とその住処が書き連ねられていた。流し見ていたとき、覚えのある名前を見つけた。

安倍晴信(あべのはるのぶ)、通りすがりの陰陽師だ』

 その男とは牛鬼に縁のある村で会った。見ない顔だったので、人だかりの中でも目を引いたのを覚えている。

『ここな少年は私の打った式神の瓜助だ。旅の道中、荷物持ちを任せている』

 飄々としていながらも利口。そのうえ姓は安倍という。重ねて問うと男はあの安倍晴明(あべのせいめい)の血筋であると素性を明かした。
 母の仇である。村で玉鏡の企てを暴いたのもこの男だった。

 人間の言葉を借りるのは癪ですが、『ここで会ったら百年目』というのでしたか。

 住処はここからさして離れてもいない。しかし、あの青年が起きると厄介だ。
 玉鏡はよその部屋を見て顔をしかめた。獣の足跡に、抜け落ちた毛が散らばっている。

 好きにしてよい、とは言いましたが、流石に羽目をはずしすぎですよ。

 足下に擦り寄ってきていた白狐が面長な顔をあげる。胴が異様に長い。配下の管狐(くだぎつね)の一匹である。

 玉鏡は尺八を咥えた。
 息を吹くと夜を思わせる音色がする。そして、命じられるがままに四匹の管狐たちは各々の痕跡を消し始めた。

           ◯
 
 懸場帳にあった住処を訪れると、留守を任されている男がでてきた。用心棒として雇われている。家主は遠出しており帰りもいつになるかわからない。男はそう言った。

 玉鏡は引き退るふりをして、管狐を見張りに付けた。家主が戻れば、すぐ報せるよう命じてある。

 その間、差し当たっての問題は仮住まいだった。並大抵の男は色仕掛けで落とせる。
 しかし町の男衆は酒と汗の臭いに塗れていた。そばにいるだけで鼻が曲がりそうだった。見てみたが空き家もない。

 これは、またあの襤褸寺に戻るしかありませんね。

 戻る頃には青年も目覚めているだろう。あるいはもう起きてしまっているのかもしれない。

 玉鏡が古寺に着くと、青年はもういなかった。

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