第56話 お露の頼み

文字数 1,266文字

 あの人なら、きっと分かってくれる。

 金衛門(きんえもん)が風呂に入っている隙を見計らってお(つゆ)は畳の部屋に向かった。

「あら、どうかしましたか」

 襖を開ける。玉鏡はひとり書を読んでいた。金衛門が自慢がてら貸したものだろう。

「お休みのところ失礼いたします。私はこちらのお屋敷で下女をしているお露といいます」

 非礼を詫び、頭を床につける。改めて名乗ったのは礼儀だからというのと、きちんとした挨拶ができていなかったからだ。

「かしこまって、いったいどうしたのです。兎にも角にもその頭を上げなさい。用件はそれからです」

 お露は顔をあげる。そして言った。

「あの男を、金衛門を懲らしめてください」

 玉鏡の目がすっと細められる。目は口ほどにものをいうと聞くが、お露には玉鏡の意図がまるで分からなかった。それでも続けて言う。

「あの男は人の皮を被った鬼です」

 お露は金衛門について知っている限りのことを話した。
 金貸しは父の代からしていた。金衛門の父はいい人で、よそで財を築き、町へ帰ってきてからは金子が足りず困っている人を助けてくれた。
 儲かったらその一部を返してくれればよい。そう言って無理な取り立てもしなかった。

 しかし父が亡くなり、金衛門に代替わりしてからはひどいものだった。父親が貸した金子に不当な利子を付けて返すよう要求してきた。払えなければ家財道具から妻や子どもまで取られるのだ。

 金衛門には“七つ道具”と呼ばれる悪い仲間がいる。
 そいつらの中には人の字を巧妙に真似る者がいると聞く。証文を新しく作り直し、署名だけをそいつに写させる。そして元の証文は燃やしてしまう。そうすると、初めから高い金利を承知のうえで金子を借りたことになる。

 このままでは町ごと金衛門に食い潰されてしまう。だから——

「どうか、知恵をお貸しください」

 お露は深々と頭を下げる。額を畳につけ、じっと次の言葉を待った。

「それはまた、随分と苦労されてきたのですね。この町の人々は」

 苦労などというものではない。いっそ馬に蹴られて死んでほしかったが、お露は言いかけた言葉を呑む。
 きっとこの人はそれを善しとはしないだろうから。

「あなたは御仏の力を信じますか」
「はい、信じます」
「でしたら祈りなさい。そう遠くないうちに報いは訪れるでしょうから」
「……」

 なにかしてくれるわけでも、妙案を授けてくれるわけでもなかった。

 身勝手に期待していたお露にも非はある。それでも、と思ってしまいお露は首を振る。
 徳の高いお坊さんは聡明(そうめい)であると聞く。村に来ていた和尚とは違う。この人がいうのだ。遠回しにもなにか得るものがあるかもしれない。

 とはいえ、お露にはお経なんて分からない。これではいくら心の広い仏様でも助けてはもらえないかもしれない。

「なら、毎晩床に就くまえに南無阿弥陀仏と三回唱えなさい。そうすれば御仏もあなたの思いを汲んでくれるでしょいう」
「……分かりました」

 その日の晩からお露は寝る前に南無阿弥陀と唱えた。頭まで布団を被り、金衛門に聞かれないようにして。
 すると、少し胸が軽くなった気がした。

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