第23話 行き着く先は
文字数 1,441文字
次の日、自分はあの古寺に向かった。
本来なら薬問屋に顔を出さねばならないが、今は気が気でなかった。
……確かめなくては。だけど……
確かめて、それからどうするのか。
先のことは決めていなかった。道中で考えようとしたが、今日に限って古寺への道はひどく短かった。
昨晩、奇山湧幻の語った内容が頭から離れない。
妖狐は人を誑かし、悪事をはたらくとも言っていた。自分は彼女と共にいたが、なにもされていない。そう自分自身に向けて叫ぶ。
そのとき、ふと思い出したことがある。
玉鏡はある家に用があり、相手の帰りを待っていた。
……まさか。
なぜそんなことを考えてしまったのか。自分の頭を呪った。
もしも彼女が妖狐なのだとしたら、
せめて誑かされる相手になりたかった。
◯
日暮れ前になって、彼女は古寺から出てきた。
深編笠を被り、顔を隠した虚無僧の格好だ。普段なら良心が許さなかっただろうが、今はその心さえ枯れていた。
彼女の後をつけた。着いたのは一軒の家だ。薬を売りにきた覚えがある。戸を叩くと家の者がでてきて、彼女はわずかに言葉を交わして中へ入っていった。
こっそりと持ち出した懸場帳を開く。日は沈んでいたが、月明かりでこと足りた。家主の名は安倍晴信 。妻子はなしとある。
自分は、この男が妬ましかった。
家には用心棒として雇った男がひとりいる。さっき応対した者だろう。
玄関は心張り棒を噛ませてあるのか開かなかった。裏口も試してみたが駄目だった。残るは窓だ。人のいる部屋は明かりでわかる。入れずとも中の様子を窺い知るだけならーー
「そこでなにしてやがる」
「……」
後ろを見ると体格のいい男が立っていた。例の用心棒だろう。
「表や裏で物音がして見に来てみりゃ、いつかの薬売りじゃないか。こんな夜更けになんの用だ」
用心棒は目に敵意を浮かべていた。内心ではこちらを盗賊と決めつけているに違いない。
「晴信殿に薬のことで用があります」
「なら俺が取り継ぐ。用だけ言え」
「言伝はできません。顔を合わせて言わなければならないことですので」
「なんだそりゃ。随分と都合のいい用だな」
身を引こうとして腕を掴まれた。用心棒をするだけあって力は強い。
「離してください。自分は晴信殿に用がある」
「駄目だ。お前は信用できん」
逃げようと全力で身を引いたが、相手の手は振り解けない。
用心棒が両手で掴みかかってきた。逃げるこちらとは逆方向に着物を引っ張る。
その瞬間を狙って体当たりを食らわせた。引き合っていた力が急になくなり、そこに大人ひとりがぶつかってきて、相手は仰向けに倒れた。
力が緩んだ隙に手を振り払う。すぐに怒鳴って襲いかかってくる。そう思ったが妙に静かだった。
用心棒は倒れたまま動かない。
油断を誘わずとも力ではあちらが勝っていた。警戒しながら近づき、その顔を覗き込む。
男は石で頭を打って死んでいた。
◯
恐れはなかった。
あの用心棒が出てきたなら、出入口が開いているはずだ。
裏口から忍び込み、物音をたてないよう家の中を探した。襖の隙間から光が漏れている。あそこに彼女がいるのか。
もうこの先には地獄しかない。
わかってはいるのに立ち止まれなかった。部屋からわずかに衣擦れ音がする。恐れはなかった。例え二人が同じ床にいようと、自分はなにも感じないだろう。
ゆっくりと襖の隙間に顔を押し付ける。
部屋には首から血を流した男と、手を血で汚した女がいた。
本来なら薬問屋に顔を出さねばならないが、今は気が気でなかった。
……確かめなくては。だけど……
確かめて、それからどうするのか。
先のことは決めていなかった。道中で考えようとしたが、今日に限って古寺への道はひどく短かった。
昨晩、奇山湧幻の語った内容が頭から離れない。
妖狐は人を誑かし、悪事をはたらくとも言っていた。自分は彼女と共にいたが、なにもされていない。そう自分自身に向けて叫ぶ。
そのとき、ふと思い出したことがある。
玉鏡はある家に用があり、相手の帰りを待っていた。
……まさか。
なぜそんなことを考えてしまったのか。自分の頭を呪った。
もしも彼女が妖狐なのだとしたら、
せめて誑かされる相手になりたかった。
◯
日暮れ前になって、彼女は古寺から出てきた。
深編笠を被り、顔を隠した虚無僧の格好だ。普段なら良心が許さなかっただろうが、今はその心さえ枯れていた。
彼女の後をつけた。着いたのは一軒の家だ。薬を売りにきた覚えがある。戸を叩くと家の者がでてきて、彼女はわずかに言葉を交わして中へ入っていった。
こっそりと持ち出した懸場帳を開く。日は沈んでいたが、月明かりでこと足りた。家主の名は
自分は、この男が妬ましかった。
家には用心棒として雇った男がひとりいる。さっき応対した者だろう。
玄関は心張り棒を噛ませてあるのか開かなかった。裏口も試してみたが駄目だった。残るは窓だ。人のいる部屋は明かりでわかる。入れずとも中の様子を窺い知るだけならーー
「そこでなにしてやがる」
「……」
後ろを見ると体格のいい男が立っていた。例の用心棒だろう。
「表や裏で物音がして見に来てみりゃ、いつかの薬売りじゃないか。こんな夜更けになんの用だ」
用心棒は目に敵意を浮かべていた。内心ではこちらを盗賊と決めつけているに違いない。
「晴信殿に薬のことで用があります」
「なら俺が取り継ぐ。用だけ言え」
「言伝はできません。顔を合わせて言わなければならないことですので」
「なんだそりゃ。随分と都合のいい用だな」
身を引こうとして腕を掴まれた。用心棒をするだけあって力は強い。
「離してください。自分は晴信殿に用がある」
「駄目だ。お前は信用できん」
逃げようと全力で身を引いたが、相手の手は振り解けない。
用心棒が両手で掴みかかってきた。逃げるこちらとは逆方向に着物を引っ張る。
その瞬間を狙って体当たりを食らわせた。引き合っていた力が急になくなり、そこに大人ひとりがぶつかってきて、相手は仰向けに倒れた。
力が緩んだ隙に手を振り払う。すぐに怒鳴って襲いかかってくる。そう思ったが妙に静かだった。
用心棒は倒れたまま動かない。
油断を誘わずとも力ではあちらが勝っていた。警戒しながら近づき、その顔を覗き込む。
男は石で頭を打って死んでいた。
◯
恐れはなかった。
あの用心棒が出てきたなら、出入口が開いているはずだ。
裏口から忍び込み、物音をたてないよう家の中を探した。襖の隙間から光が漏れている。あそこに彼女がいるのか。
もうこの先には地獄しかない。
わかってはいるのに立ち止まれなかった。部屋からわずかに衣擦れ音がする。恐れはなかった。例え二人が同じ床にいようと、自分はなにも感じないだろう。
ゆっくりと襖の隙間に顔を押し付ける。
部屋には首から血を流した男と、手を血で汚した女がいた。