第14話 消えた弾(1)

文字数 826文字

 父に初めて会ったのは、まだ5歳に満たないころだった。
というより、父は記憶の中にはなかったのだ。昭和12年9月、杖に縋って
白ずくめの姿で現れた父を怖いものでも見るように眺めた。
中国戦線で負傷し野戦病院を経て内地に送還された同じころ母は夭折した。
従って妻危篤も妻死す。の報も宙に浮き、母の旅立ちに父は遅れ、葬儀も
母の棺も長い間父の帰りを待っていた。野辺送りが済むともう父の姿は
なかった。
 父不在の家には、曽祖母、祖母、と残された4人の子供が暮らしていた。
1年余を経て復員した父は、農繁期以外働くこともなく引き籠ったたまま
だった。すでに小学生であった私の目には、父は単なる怠け者としか映ら
なかった。その内、意中の人に巡り会っても、祖母や親戚中の全てから反
対され、失意の中にいたことなど知る由もなかった。
「胃腸病み」の父によく背中を叩かされた。叩き始めると際限がなく
「もうよい」とは決して言わない。そこで300回と約束して叩き始める。
「ヒンミヤコ10、ヒンミャコ20・・」と数えて300。素早くその場を
去る。逃げ遅れると今度は「背中を踏め」と言う。仕方なく父の背中に乗る。
痩せ細った身体は骨張って立つことが不安定な背中だった。ふと見下ろす首
筋に白いミミズバレが覗いて見えた。
「首の傷はどうしたん」
「戦争で撃たれたんだ。まだ取り切れていない弾が胸に2発残っているが婆ちやん
のお陰で助かったのだ」
「へーどういうこと」
「婆ちゃんが野戦に備えて持っておれと乾燥した鰹節を持たしてくれた。それを
左の胸のポケットに入れていたら、鰹節が弾を受けてくれて命拾いしたんだ」
 幼い私は戦場のシーンを想像することもできず、ただ面白がって様子を聞いた。
父は嫌がりもせず、話を続けた。
「戦闘中に敵の機銃掃射を浴び、弾が何発も当たって倒れた。倒れる時はこれ
までだ。ここで死ぬんだと『天皇陛下、万歳』と叫んだまでは覚えている」
「すごい『天皇陛下、万歳』と言って兵隊さんは死んでいったんだ」







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