第16話 不遇な次兄(1)

文字数 1,040文字

 物心ついた時には次兄と一緒に遊んでいた。
4歳下の弟とは喧嘩が絶えなかったのに。3歳上の次兄とは争った
記憶がない。子供心に次兄は普通でないという先入観があったのかも。

 祖母の洗濯について小川へ行って遊んでいるうちに、私は深みへ
ずるずると入った。手を引いて深みから連れ出してくれたのは次兄
だった。目が悪いと言いながら、その当時は、よく見えていたのだろう。
次兄のことを思い出すと、いつも、まず溺れかけて助けてくれたことが
脳裏をよぎる。

次兄、2〜3歳のころ、何か可笑しいぞと京都医科大学を受診したが、手術
は早い、もう少し大きくなってからということで時期、待ちをしていたという。
開戦。父の出征と傷痍、その上母の夭折。悪しきことが重なり次兄の目は
おざなりになってなっていたのだろうか。 
その後、いつ受診したか私は何も知らないが、手遅れだったと聞いた。
それでも小学1年生は村の小学校へ入学している。
不都合があったのだろう。次の年、県立もう聾唖学校へ転校した。
 資格取得までずっと寮生活だった。その間に宿命も、今の立場も
喜怒哀楽も呑み込んで、自分の人間性を形成していったのだろう。

 1年生から3年生へ飛び級したという。目の悪い分、頭脳明晰で
あり、神童であったようだ。

 学校の休みには家に帰っていて、祖母が格別大事にしていた。
ハリ、やいと、マッサージの資格を取り、村に帰った。
未来像が描けず、迷っている様子だったが「大学へ行きたい」と、
私と同時に父に告げた。
「一人なら炭を焼いたらなんとかなる。治城(長兄)には面倒をかけたく
ない二人は無理だ。お前たちでどっちが行くか決めな」
話し合う事はない。私は兄を諸手を挙げて推した。

 戦後のどさくさで栄養も滞りその上、胃を病いながら離れた地での学業は
辛かったと思う。祖母は小包で食べ物を送り通していたようだ。

 学業を終え、病を抱え、ふらふらで帰郷した。
命がけで取った教員の免許証も、持ち腐れ、教壇に立つことはなかった。

 次兄の闘病生活は私なりに支えた。
病名は幽門狭窄。遂に手術することになり厚生病院の佐村医師が執刀。
70年昔の医療は思い出しても身震いするほど野蛮だった。
術後、リンゲルは太い針で太腿に注射した。痛がった。散らすために私は
足を揉んだ。
また、長兄は戦地でマナリヤにかかったことがあるらしく、輸血した途端
高熱を出した。後で分かったことだが、マナリヤの熱だったのだ。
2か月後、退院した。若いとは何と素晴らしいことか。
 次兄はみるみる回復していった。

 








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