第14話 終焉

文字数 4,018文字

 暗殺組織『キャメロット』内では、先日の『モルドレッド』の通達以後、慌しい状況が続いていた。早々に組織を去る者、未だ進退を決めかねる者、何としても組織の存続を願う者。其々の主張がぶつかり合い、至る所で小競り合いが起こり、とても統制等は取れたものでは無かった。
「『モルドレッド』……。どうして、どうしてこんな事を……。これが……貴方が望んだ結末だと言うの?」
騒ぎの起こっている箇所を避けながら、『トリスタン』は組織の最深部を目指した。組織の最深部に在る牢獄、其処には『コード』の入力で使い物にならなくなった暗殺者達が……『トリスタン』の弟が幽閉されているのだ。
 「だ、誰……?」
『トリスタン』が牢獄の前に到着すると、黒いローブを纏った長い髪の女が居た。
「『モルドレッド』……いえ、暁の最後の指令を執行する者よ。」
女はそう言うと、牢獄の電子錠を解除した。途端に囚われていた者達が、わらわらと出口から外に向かった。『トリスタン』は、思わず弟の姿を捜していた。そしてその姿を認めると、喜びのあまりに駆け寄り、力の限りに抱き締めた。もう、二度と会う事は無いと……抱き締める事は無いと、『トリスタン』自身も諦めていたのだ。……奇跡だ。
「……伝言よ。『いつか、満天の星空を共に……。』って。」
女は低い声でそう呟くと、最後にふわりと優しい微笑を浮かべた。
「ねぇ、『モルドレッド』は何処に……。」
振り返った『トリスタン』が問い掛けたが、其処には既に女の姿は無かった。

 その女……『ギャラハッド』は、『アーサー』の部屋を訪れていた。
「憐れね……。」
『モルドレッド』に四肢を切り落とされ、床に横たわる『アーサー』に冷ややかな言葉を掛けると、『ギャラハッド』はその着衣を全て脱ぎ捨てた。全裸となった彼女は、『アーサー』の上に覆い被さると、ゆっくりとその着衣を脱がせて行った。
「やはり、暁は貴方を殺さなかったのね。こんな姿になってまで生きているなんて、本当に憐れだわ……。」
『ギャラハッド』の白く細い指が、『アーサー』の頬から首筋、胸元までを艶めかしくなぞった。
「済まない……。君を傷付けて来た、その報いだ。」
「本当に……酷い人。貴方を……貴方だけを信じ、貴方だけを愛して、此処まで付いて来たのよ。何度、貴方に裏切られても。……そんな貴方の傍に、最期まで一緒に居られるのは、きっと……世界中で私だけね。」
『ギャラハッド』は『アーサー』に静かに身体を重ね合わせ、濃厚な接吻を交わしながらそっと囁いた。
「愛しているわ、薫……。」
そうして彼女は、左手に握ったリモコンのスイッチを、躊躇いも無く押下した。涙に濡れたその横顔は、悲壮感を湛えながらも、何処か満ち足りた様にも見えた。長年に亘り渇望していた愛を、やっと手に入れたかの様に……。

 その夜、暗殺組織『キャメロット』は爆音と共に崩れ去った。永田町の地下で起こったこの爆発は、予測不能の地下直下型地震と報告され、各省庁は一時騒然とした。誰も、永田町の地下にこの様な組織が存在し、それが爆破に因って消し去られたとは想像も出来ないだろう。爆破時、組織の人間は全員が退避を完了し、死者怪我人共にゼロと報告された。『アーサー』と『ギャラハッド』を除いては……。

 翌日、内閣総理大臣官邸では、一人の男が愁いを帯びた表情で窓の外を眺めていた。
「総理、如何されましたか?」
「いや……何でも無い。只、少し思い出していただけだ。」
「そうですか。例の地震の件、余震は無い様ですよ。良かったですね。」
内閣総理大臣秘書官は、彼の愁いの原因は昨夜の地震だと考えたらしく、明るい口調で答えた。この時の秘書官には、彼がこの時に胸に抱えていた決意に、気付く余地は全く無かった。
「そうか、良かった……。それで……良かったのだ。」
 その日、夜遅くに秘書官が退出すると、男は執務室を内側から施錠した。そして、それまで着ていたスーツを脱ぐと、真新しいモーニングに着替え始めた。シャツ、パンツ、ネクタイ、ベスト、そして最後にコートを羽織りながら、姿見でその姿を確認した。その顔には、これまでの苦悶の日々が皺となって刻まれていた。そして、執務机脇の棚に在る、鍵の掛かった引き出しを開け、中から一本のキューバ産葉巻を取り出した。執務机の椅子に座ると、不慣れな手付きで吸い口をパンチカッターでカットし、燐寸でゆっくりと着火して行った。優雅な仕草で一口吸い込んだかと思うと、盛大に咳き込んでしまい、呼吸が整うまで暫くの時間を要した。
「やはり、君の様には格好良く行かない……か。……惨めだな。君を裏切る様な真似までして、やっとの思いでこの椅子を手に入れたのに、今ではこの有様だ。姻族の実力者達に操られるだけの傀儡総理だよ。」
少々不似合いな葉巻を、男が二時間程掛けて吸い終えると、辺りの空は既に白み始めていた。
「……さて、『コード』発動の時間だな。」
男は徐に立ち上がると、今度は棚からスキットルを取り出して来て、再び執務机の椅子に深く腰を下ろした。暫くは逡巡するかの様に目を閉じていたが、やがて意を決したかの様に、深く大きく息を吐き出した。
「……済まなかったな、薫、暁。来世では、きっと……。」
そう呟くと、男は一気にスキットルの中身を呷った。

 暗殺組織『キャメロット』解散の通達以後、組織内で『モルドレッド』の姿を見た者は居なかった。組織を離反した者達の中で、『コード』に因る自害をした者は居なかった事から、恐らくは『アーサー』は死んだものと考えられていた。では、『モルドレッド』は一体何処に消えたのか?
 古びたアパートのベランダで洗濯物を干しながら、『トリスタン』は嘗ての戦友でもある『モルドレッド』に思いを馳せた。アパートの和室では、彼女の弟がスヤスヤと寝息を立てていた。未だ元通りとは行かないが、少しずつ言葉も話せる様になり、『コード』入力に因る錯乱の後遺症は消えつつある。だが、何も無かった事には出来ない。組織が消え去ろうとも、それに因って犠牲となった者達の怨嗟の声は止む事が無い。彼等にとっては、一生の傷として残るのだ。
「さて、こんな時間だわ。そろそろ支度をしなくちゃ!」
洗濯物を干し終えて、出掛ける支度をしていると、眠っていた弟が起き出して来た。
「……ねーねー。おカナ……おナカ……空い……た。」
急いで弟に簡単な食事を用意して、それを食べさせ終えると、『トリスタン』は仕事場である近隣のファミリーレストランへと向かった。雲一つ無い青空を仰ぎ見て、彼女は目尻に涙を溜めつつ駆け出していた。
「……『モルドレッド』。何処に居るかは解らないけれど、きっと……生きて、生きてまた会えるよね……?満点の……星空の下で……。」

 その頃、『モルドレッド』は或る山奥の山荘に来ていた。思わず初任務を思い出していたのは言うまでもない。あの頃は未だ、何も真相を知らず走り続けるだけだった。戦いに勝ち残りたいと思った、生き残りたいと思った、自身の過去を知りたいとも思った。だが今は、何も知らなければ良かったと思う気持ちも有る。
 その山荘は、『ギャラハッド』が残したものであり、必要であればと『モルドレッド』に託されたものであった。科学班班長が残したものだけあって、暗殺組織『キャメロット』の研究室にも劣らない設備が整っていた。『モルドレッド』の身体の定期メンテナンスは勿論の事、四肢欠損時の様な大規模な修繕も可能であった。勿論、一から人工の肉体を作り出す事も……。そして今、彼女の目の前には、完成した人工の肉体が横たえられていた。既に脳も移植済みで、後は起動の為のスイッチを押すだけであった。だが、そのスイッチを押すべきであるか、彼女はずっと逡巡していた。今になって初めて、『アーサー』の覚悟を理解したのだ。人間の再生命化とそれに伴う責任について、嫌と言う程に考えさせられていた。
「……軟弱……だな。こんな事で迷うなんて。」
この世界の呪縛から、やっと解放されて自由になった彼を、またこの世界に連れ戻す事が正しい事なのか。命を賭してまで『モルドレッド』を守った彼の想いを、無駄にする事になるのでは無いか。幾ら考えても答えは出ない。
「こんな決断、悪魔にでもならなければ出来ないな……。ふふ……。良いさ、ならば悪魔になってやろうじゃないか。生まれ変わりを待つより、私が悪魔になる方が確実だ。」
 嘗て、己が最も軽蔑した人間と、全く同じ選択をしようとしていた。彼女も、今の自身と同じ気持ちだったのだろうか。今となっては、それを確かめる術は無い。悲しい微笑を浮かべると、『モルドレッド』は人工の肉体の後頸部に在る起動スイッチを押下した。人工の肉体はゆっくりとその瞳を開き、新たな偽りの生命をその身に宿した。彼の瞳は『モルドレッド』を捉え、ゆっくりとその唇を開いた。
「……綺麗だ。君は天使……?」
再生命化の後遺症とも呼べるものであろうか、『モルドレッド』が以前にそうであった様に、彼の記憶の全てが失われていた。
「違う。私は……悪魔。数多の罪を犯して、総一郎……お前を、再び現世へと繋ぎ止める、血塗られた悪魔だ。」
彼は手を伸ばして『モルドレッド』の頬に触れ、そのままそっと引き寄せた。
「凄く……綺麗だ。君となら、何度生まれ変わっても、共に地獄に堕ちても良いかも知れない。……そうだ、君の名は?」
「……暁、高柳暁。お前を地獄へと導く悪魔の名だ。」
二人はゆっくりとその顔を近づけ、美しくも激しい接吻を交わした。
「暁……。」
「……総一郎、私がお前に……再び愛という名の『コード』を刻んでやる……。」
罪を犯し堕落して行く天使達の様に、二人は互いに強く求め合い、激しく身体を重ね合わせた。

 翌日、日本の内閣総理大臣死亡の速報が、世界中を駆け巡った。死亡時の現場の状況は秘匿され、死因は心臓発作とだけ報道された。
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