第13話 愛憎

文字数 6,756文字

 情報班の調査通り、『ランスロット』が潜んでいるという街外れの教会に、『モルドレッド』は一人辿り着いていた。『テュルパン』の一件で失った筈の左腕も、完全に元通りになっていた。
 其処はもう何年も使われておらず、宛ら廃墟の様であった。正面の扉は朽ち掛けており、錆びた錠前は既に解錠されていた。扉を押して中に入ると、昼間だというのに中は薄暗く、窓からの明かりのみが頼りであった。
「久し振りだな、『モルドレッド』!」
教会の正面の壇上には人影が在り、『モルドレッド』には、その声を聞いただけで誰なのかが解った。
「お前を寄越すとは、流石は『アーサー』だな。俺の最大の弱点を熟知している。」
「『ランスロット』……私は、お前を殺したくは……。」
『モルドレッド』が話し掛けると、『ランスロット』は太刀を構えて声を張り上げた。
「構えろ!今から殺し合いだ。」
その言葉に、『モルドレッド』は思わず懐の小脇差を構えたが、その腕は震えており、とても戦える状況では無かった。
「嫌……だ。戦いたくない。お前を……殺したくない……。」
太刀を構えた『ランスロット』が眼前に迫った時、『モルドレッド』の手から小脇差が滑り落ち、その瞳からは大粒の涙が溢れた。
「嫌だ……。お前を殺す位なら、お前に殺された方が良い。」
「……殺せる……訳が無いだろう!」
『ランスロット』は持っていた太刀を投げ捨て、『モルドレッド』を力の限りに抱き締めた。
「愛している……。誰よりも……何よりも……!」
二人の唇が触れ合ったかと思うと、それは次第に濃厚な接吻へと変わって行った。そしてそのまま、二人は感情の赴くままに、激しく身体を重ね合わせた。

 教会の割れたステンドグラスの間から、満天の星空が見えた。二人は星空を眺めながら、他愛無い言葉を交わしていた。
「若しも……さ、若しも、私達が暗殺者で無ければ、どんな未来が待っていたのだろう……。」
「普通に出会って、普通に会話して、普通に笑い合って、普通に……。」
「好きになっていた。」
「あぁ、きっとどんな出会い方をしても、お前の事を好きになっていたと思う。」
「私も……。」
再び濃厚な接吻を交わす二人の上に、無情にも夜明けの日差しが照らし始めていた。
「……時間だ。」
『ランスロット』は起き上がると、『モルドレッド』の小脇差をその腹部に突き立て、そのまま横に刃先を引いた。一気に噴き出した血を見て、『モルドレッド』の表情が固まった。『ランスロット』は、その中からラミネート加工された超小型補助記憶装置を取り出すと、『モルドレッド』に渡しながら言った。
「これが……お前の求めていた真実だ。良いか、組織に戻るまでに内容を全て確認しろ。コンピュータは必要無い、お前のこめかみ部分にスロットが有る。これを確認した後の判断は、全てお前に任せる。」
ショック状態で状況を上手く飲み込めない『モルドレッド』に、『ランスロット』は更に畳み掛けた。
「俺はお前を殺せない。だが、お前も俺を殺せない。だから、俺がお前の暗殺任務を遂行してやる。」
『ランスロット』は『モルドレッド』の背後に廻り、そっと左手でその両目を覆い隠した。まるで、二人の罪深い行為も全て、覆い隠してしまうかの様に……。
「総一郎……安齋総一郎だ。最期だけは本当の名で呼んでくれ。」
「そ、総……一郎……。」
「ありがとう。愛している、暁……。若しも、生まれ変われたら、その時は……。」
スッと刃物で切り裂く様な音がして、『モルドレッド』の両目を覆う『ランスロット』の手がゆっくり滑り落ちて行った。そっと後ろを振り返った『モルドレッド』は、目に映る光景を現実と受け止める事が出来なかった。其処には、頸部から大量の血を流し、微笑みながら横たわる『ランスロット』の姿が在った。

 一時間程は放心状態であったが、先程の『ランスロット』の言葉を思い出し、『モルドレッド』は超小型補助記憶装置を取り出した。そっとこめかみ辺りにそれを近付けると、シュッという音と共にそれは頭の中に取り込まれてしまった。その瞬間に、『モルドレッド』の脳内にあらゆるデータが映し出された。組織の成り立ちから、『モルドレッド』自身の過去や超再生とも呼べる身体の秘密、そして『ランスロット』や『アーサー』との関係性まで、全て彼女が求めていた真実が其処には在った。
 真実を知るべきであったのか、それとも知らずにいるべきであったのか、何れが正しい答えであるかは解らない。只、知ってしまった以上、何も行動を起こさない訳には行かなかった。『モルドレッド』は血塗れの『ランスロット』を抱え上げると、少しの間何かを考える様子であったが、そのまま何処かへと教会を後にした。

 組織の地下会議室にて、『モルドレッド』は黒いレースのカーテン越しに『アーサー』の前に立っていた。抱えていた『ランスロット』の遺体を降ろすと、ニヤリと笑いながら『モルドレッド』が言った。
「任務完了です。お望み通りに……。」
『アーサー』は遺体を前に、暫くは無言であったが、呟く様に漸く口を開いた。
「無傷でと……言った筈だが。」
『アーサー』の言葉通り、『ランスロット』の遺体は頭部の損傷が激しく、教会で息絶えた時とは様子が違っていた。頸部からでは無く頭部からの出血が酷く、その所為で、本人であるかどうか顔を確認する事も難しい。
「済みません。あの『ランスロット』を討ち取る為には、多少は手荒な攻撃も已むを得ませんでした。ご容赦下さい。」
「……そうか。ご苦労であった。」
地下会議室を後にしながら、『モルドレッド』は独り言の様に呟いた。
「貴方には……総一郎の脳は、死んでも渡さない……。」

 地下会議室からの帰り道、『モルドレッド』を尾行する気配があった。
「誰だ?」
廊下の影から現れた姿を見て、『モルドレッド』は眉を顰めた。
「そんなに邪険にしないでよ。あのデータを渡してあげたのは私なのにさ。」
『モルドレッド』の眉がピクリと動いたのを確認し、その人物は続けた。
「『ランスロット』……いえ、総一郎の脳をあの人に渡さなかったのは賢明ね。」
「何の用だ。暗殺組織『キャメロット』科学班班長……、いや、暗殺者『ギャラハッド』。」
そう呼ばれたその人物は、長い髪を掻き上げると妖艶に微笑んだ。
「良く調べているのね……。でも、警戒しなくても良いわ。私は貴方の味方よ。だって、総一郎を苦しみから救ってくれたのだもの……。」
理解の追い付かない『モルドレッド』に、ゆっくりと一歩ずつ近寄ると、『ギャラハッド』は彼女の肩に腕を廻して抱き付いた。そして、息を吸い込んで、その匂いを嗅ぐと……。
「ふふ……良かった。総一郎は想いを遂げたのね。」
『モルドレッド』はピクリと身を強張らせ、反射的に『ギャラハッド』から身を引こうとしていた。
「貴方は彼を受け入れた。禁断の恋ではあるけれど、貴方はそれを後悔はしていない。」
『ギャラハッド』からは、先程までの妖艶な微笑みは消え、悲しげな表情だけが其処には在った。『モルドレッド』と同じく、罪深い恋に身を焦がし、地獄の業火で焼かれる苦しみを味わった者の表情だった。
 彼女は、とても苦しげに、生き血を搾り出すかの様に語り始めた。
「私はね、あの人を愛していたの。あの人とは大学時代の同期でね、その頃からずっと、強くて美しいあの人に憧れていたの。あの人は私の想いを受け入れてくれて、私達は恋人同士として大学時代を過ごしたわ。勿論、幾度と無く身体の関係も持った。……私はこのまま、あの人と愛に包まれた人生を過ごすのだと思っていたわ。」
『ギャラハッド』は『モルドレッド』の肩に頭を乗せ、少し黙っていたかと思うと、意を決した様にまた話し始めた。
「……夢を、見ていたのかしらね。同性での恋愛なんて上手く行く筈は無いのに……。大学卒業と同時に、私はあの人から別れを切り出された。一言、『結婚するから。』って。その時、あの人のお腹の中には既に子供が居たの。結婚相手だと言っていた男との子供よ。でも、その男は政界でのより強固な後ろ盾を狙って、あの人を棄てて大臣の一人娘と結婚した。残されたあの人は、一人でお腹の中の子供を生み育て、二十年前にこの組織を設立したの。」
『ギャラハッド』は頭を少し起こし、決意を込めた瞳で『モルドレッド』を見詰めながら言った。
「……その男を殺す為に。」
信じられないという表情の『モルドレッド』に、更に『ギャラハッド』が続ける。
「暗殺組織『キャメロット』が、内閣総理大臣直轄の秘密組織というのは表向きよ。実際は政界の動きを探り、その男を亡き者にせんが為の組織……。でも、最近の組織の在り方は常軌を逸しているわ。教団の信者というだけで、無関係の一般市民まで暗殺するなんて……。」
『モルドレッド』の両肩を掴み、正面から目を見据えて言う『ギャラハッド』の姿は、とても嘘偽りを言っている様には見えない。
「もう、こんな事は終わらせなきゃいけない。お願い、あの人を……止めて。あの人を救って……!」
「若し……それが、あの人を殺す結果になっても?」
目に涙を溜め、『ギャラハッド』はゆっくりと頷いた。
「……解った。その依頼を引き受けよう。但し、此方からも頼みたい事が有る……。」

 『ギャラハッド』と別れてから、『モルドレッド』は自室への暗い廊下を歩きながら、一人思案に暮れていた。『アーサー』を止める為には、先ずは『コード』の発動を阻止せねばならない。『コード』の入力方法も、その発動方法も、全て『アーサー』のみが知る極秘事項であった。『コード』の発動を阻止する為には、『アーサー』を殺してしまう他に方法が無い様に思えた。だが、それは未だ時期尚早だ。だとすれば、『モルドレッド』が取り得る手段は限られている。
 その夜、組織内の皆が寝静まった頃を見計らって、『モルドレッド』は行動に移した。『アーサー』の部屋に通ずる階段や廊下に配置された警護を、その口に咥えた吹き矢から発せられる麻酔針で、次々と眠らせて行った。難無く『アーサー』の部屋まで辿り着き、扉を解錠して忍び込もうとした時だった。
「……入りなさい。鍵は開いている。」
その言葉通り、ノブに手を掛けると扉は施錠されておらず、そのまま室内に入る事が出来た。『モルドレッド』が室内に入ると、『アーサー』は部屋着のまま、ソファに腰掛けて葉巻を燻らせていた。
「来ると思っていた。」
『アーサー』を拘束すべく、一瞬でその背後に近付いた時、『モルドレッド』の超感覚とも呼べる並外れた聴覚が或る音を捉えた。微細なモーター音だ。
「ま……さか……。」
『コード』の所為だけでは無い、これまで組織内で絶対的な権力を誇って来た理由が其処に有った。初めて黒いレースのカーテン越しでは無く、直接目視したその容貌は、恐ろしい程に『モルドレッド』に瓜二つであった。『モルドレッド』より年齢を重ねてはいるが、髪の色から肌の色、その瞳の色まで、何もかもが生き写しであったのだ。驚愕する『モルドレッド』に、『アーサー』はニヤリと不敵な笑みを浮かべて答えた。
「その、まさかだ。機械の身体を持つ者は、お前だけでは無いのだよ。人間の時と同じ姿にする必要は、全く無かったのだがね。……其処は私の個人的な感傷の所為だ。」
『モルドレッド』は、そっと重心を低くして構えの体勢を取った。いざ格闘となれば、『モルドレッド』も無事では済まなくなる。彼女と同等、若しくはそれ以上の戦闘能力を有していると予測出来るからだ。
「待て。戦う気は……もう無い。お前は……私を詰問する為に来たのだろう?」
身構えた『モルドレッド』の動きが止まった。
「私が……瀕死のお前の脳を、機械の身体に移植する様に安齋教授に指示した。勿論、私自身の脳もだ。……それは、再び生きてお前の笑顔を見たい……只それだけの理由だ。……赦せとは言わない。お前の覚悟は、既に総一郎の脳を奪った時から解っている。……さぁ、これから先はお前の好きにするが良い。」
『モルドレッド』は震える手で『アーサー』を拘束し、その眼前に一枚の誓約書を差し出した。それは、この暗殺組織『キャメロット』の全指揮権を『モルドレッド』に移譲するというものであった。
「では、此方にサインを。」
言われるがままに『アーサー』がサインを済ませると、『モルドレッド』はその四肢を、懐の小脇差で容赦なく切り落として行った。
「最後に一つ訊く。『コード』の解除方法を教えろ。」
小脇差に付着した血を拭いながら、『モルドレッド』が冷たく問うた。
「……そんなものは無い。」
「何…だと?入力をしたのだから、それを解除する方法も有るだろう!」
激昂した『モルドレッド』は、横たわる『アーサー』の身体に跨ると、その襟首を力の限りに掴み上げた。
「違う。そうでは無い。『コード』等というものは端から存在しなかったのだ。」
「嘘だ!これまでに『コード』の所為で死んだ人間も大勢居ただろう!」
尚も問いに対する答えを得られない事に、『モルドレッド』は戦慄する程の苛立ちを覚えた。右手で『アーサー』の首を締め付け、そのまま床に押し付けて行った。
「……人間の認識等は至極曖昧なものだ。最初に存在すると定義されれば、それを存在するものとして捉え、その後は疑いすら抱こうとはしない。尤もらしい事象を見せ付けてやれば、彼等はそれを信じて疑わなくなる。全ては、皆の脳内に刷り込まれた幻だったのだよ。」
『アーサー』を押し付ける手を弛め、『モルドレッド』は更に納得の行く説明を求めた。
「ならば、『コード』入力時の錯乱はどう説明する?それに、現在も組織の地下最深部に囚われた人達は……!」
「人間の精神は脆い。強い心理的外傷を与えれば、容易に崩壊して行く。だが、その耐性は個々人に依って大きく異なる。耐性の強い者は、お前の様に暗殺者として働き、耐性の弱い者は、心を失って地下の牢獄行きとなる。真の暗殺者としての資質が示されるのだよ。」
きっと、『トリスタン』の弟の様に、これまでに大勢の人間を犠牲にして来たのだ。憤怒の思いを抑える術を知らず、『モルドレッド』は『アーサー』の身体を床に叩き付けた。
「そんな事をしてまで……あの男を殺したかったのか!」
「あぁ……殺したかったよ……。いや、それは違うな。……そんな事をしてでも、あの男の傍に居たかった……。私が今まで、道具として利用して来た人間と同じく、私自身も脆い精神の持ち主だったのだよ。」
ゆっくりと背を向けて、離れて行く『モルドレッド』の後ろ姿に、『アーサー』は涙を浮かべながら言葉を掛けた。恐らくこれが、本当に最後の言葉になるだろうと。
「……済まないな、暁。お前にも、総一郎にも、母親らしい事は何一つしてやれなかった……。永遠に……赦さないでくれ……。」
『アーサー』のその言葉を聞く時には、『モルドレッド』は部屋の扉を開けて、廊下へと向かっていた。その扉を後ろ手で閉め、一息吐いた彼女の頬には、一筋の涙が光っていた。

 『アーサー』の部屋を後にし、『モルドレッド』は組織の情報班に全暗殺者への通達を命じた。全権移譲に因り『モルドレッド』が暗殺組織『キャメロット』の長官となった事、そして現在発令されている全暗殺命令の即時取り消し、更には近日中に『キャメロット』を解散するという事。それ等を伝える際の『モルドレッド』は、労しい程に憔悴しきっていた。其処には、計画通りに事を運んだ喜びの表情は微塵も無く、只管に母親の愛情を求め、そしてそれがもう得られないと解った子供の様な、痛々しい程に傷付いた表情だけが残された。

 翌朝、夜が開ける前の未だ薄暗い時間に、『モルドレッド』は内閣総理大臣公邸を訪れていた。内閣総理大臣の寝室のバルコニーに降り立つと、手摺りに腰掛けて東の空を眺めた。暫くすると、一人の男がバルコニーに姿を現した。
「御機嫌よう、総理。」
『モルドレッド』はバルコニーの手摺りから降りると、その男の前に優雅に跪いた。
「ご報告に参りました。私、この度『キャメロット』の新長官に就任致しました、『モルドレッド』と申します。近日中に組織を解散する予定でございます。付きましては、総理の方の教団の方々にもご解散頂きたく、お願いに参りました。」
「解散だと……?薫は……『アーサー』は無事なのか?」
「お答えする理由がございません。……では、是非ともご英断を……。」
言い終えると、『モルドレッド』はひらりとバルコニーから宙に舞い、一瞬で朝焼けの光の中に姿を消した。
「ま……待ってくれ……!若しかして、暁……なのか……?」
男は目頭を左手で覆いつつ、涙を浮かべながら『モルドレッド』の去った方向を見詰めた。
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