第12話 離反

文字数 5,730文字

 自室のコンピュータで、『ランスロット』は先程受け取った超小型補助記憶装置の内容を確認していた。念の為に、組織内との回線は全て切断してある。
 内容は主に、組織内での生体工学研究に関するものであった。『ランスロット』の父親でもある、安齋教授が主導したその研究は、二十年以上前から始まっていた。研究の初の実用は十七年前、当時十歳の少女の脳を、人工の肉体に移植したというものだった。不慮の事故で四肢と臓器の損傷が著しく、命が助かる見込みの無い少女の脳を、研究開発中の人工の肉体に埋め込んだのだ。そして、移植手術をする過程、その後のメンテナンス過程、実社会での運用過程を記したものだった。
「まさか……こんな事が……!」
到底は信じ難い内容であったが、これが真実であれば、全ての不可解な事柄に説明が付く。濃硫酸を浴びながらも無傷で、三週間の間に五年程の肉体の成長を成し遂げた。そして、常人を遙かに凌駕する身体能力や、超記憶、超速読等の能力。彼女が人工の肉体を具えていれば、全ての事象が符合する。
 更にファイルを開いて行くと、抹消された筈の彼女の過去に関するデータが見付かった。何故彼女に過去の記憶が無いのか、何故『アーサー』が彼女を特別待遇で受け入れたのか。覚悟は有るかと科学班班長が尋ねて来たのは、正にこの事だったのだ。彼女が人工の肉体を持つ生命体である事実よりも、彼女の過去に関する事実の方が、『ランスロット』をより酷く動揺させた。
 『ランスロット』は、超小型補助記憶装置に再びラミネート加工を施すと、衣服を脱いで寝台に横になった。傍らの棚に置いてあるウォッカの瓶を手に取ると、一口、もう一口と呷った。最後にもう一口を口腔内に含むと、一気に自身の腹部に吹き掛けた。そして、持っていたナイフで切れ目を入れ、その中に先程の超小型補助記憶装置を押し込み、裁縫用の糸と針でそれを閉じた。酷く悶え苦しんだが、それは麻酔無しの施術の痛みの所為では無い。『モルドレッド』に関する真実を知った事が、彼に至上の苦しみを与えた。脂汗を額に滲ませ、彼はそのまま深い眠りに就いていた。
「……ア……キラ……愛し……てい……る。」
譫言を呟く彼の目元からは、一筋の涙が零れ落ちた。

 復帰した『モルドレッド』は、『ガウェイン』と共に暗殺任務に就いていた。教団の暗殺者、『テュルパン』の暗殺が目的であった。用心深くなかなか姿を現さない為、やっと掴んだチャンスである。渋谷の街を変装して尾行していたが、唐突に『モルドレッド』が『ガウェイン』に小声で問い掛けた。
「所で、何故腕を組むんだ?」
「尾行は自然でなければならないからだ。男女で尾行する際には、恋人役を演じる事が最も自然だ。恋人であれば、腕を組むのが自然だろう?」
「成程……。そういうものか。覚えておこう。」
丸っきりの嘘では無いが、大部分が『ガウェイン』の願望に依る尾行スタイルであった。先日の濃硫酸の一件を、概要でしか聞いていない『ガウェイン』は、『モルドレッド』の身体の変化に胸の高鳴りを隠せずに居た。
「な、なぁ!何故、お前は組織の暗殺者になったんだ?」
尾行をしながら『ガウェイン』がボソボソと尋ねた。特に訊きたいと思った訳では無いが、緊張して他に何も話す内容が浮かんで来なかっただけである。
「失われた己の過去を求めて……。私は只、自身のルーツを知りたい、それだけだ。」
予想外とも言える答えが返って来て、『ガウェイン』が何と言えば良いか思案していると……。
「では、お前は何故?何の為に此処に居る?」
『モルドレッド』の心臓を射抜く様な質問に、『ガウェイン』は自然と在りのままの心情を吐露していた。
「……俺は。俺は……自ら選択をする為だ。前にも少し話したけれど、俺の実家は英国の公爵家でね。自由なんてものは何処にも無かった。親が言う通りの服を着て、親が言う通りの教育を受け、親が言う通りの相手と結婚をする……!会った事も無い、好きでも無い女とだ!其処には俺の意思なんて一切介在しない!全ての意思を奪われるなんて、そんなのは死んだも同然だ。」
「……。」
「だから、此処へ来た。此処では俺は、自身の意思で生きられる。組織の規則で自由恋愛は出来ないけれど、誰を好きになるかは自由だ。だから、お前を……。」
そう言い掛けた時に、視線を感じた『ガウェイン』が『モルドレッド』の方を向くと、真っ直ぐに見詰める彼女の視線にぶつかった。沈み掛けた夕日に照らされた、彼女の儚さを湛えたその美しい表情に、『ガウェイン』は再び恋をした。そっと彼女の顎に手を添えると、その唇に優しく接吻をした。
「愛している……。」
以前とは違い、優しく気遣う様な接吻だった。

 「対象が建物内に入った。このまま尾行する。」
「解った。俺は隣の建物から狙撃のタイミングを窺う。……無理はするなよ。」
『モルドレッド』が追跡、『ガウェイン』が狙撃を担当し、其々が対象の行動を見張っていた。『テュルパン』はテラスカフェでコーヒーを注文して、手元に携えていた文庫本を読み始めた。『モルドレッド』は少し離れた席に着き、同じくコーヒーを注文した。メールを打つ振りをしながら、注意は常に斜め横の対象に向いていた。
 『テュルパン』はコーヒーのお代わりを注文し、一時間程が経過した頃だった。『モルドレッド』はふと、或る不自然さに気付いた。通常、カフェ等に設置されている様な椅子では、その硬い座り心地の所為か、人は無意識に座る姿勢を変える。だが、『テュルパン』は一時間以上も姿勢を変えず、ずっと同じ体勢のまま本を読んでいた。何かが可笑しいと感じた『モルドレッド』は、持っていた手鏡越しに『ガウェイン』の様子を窺った。
「……!」
隣の建物に待機している筈の『ガウェイン』の姿が、何処にも見当たらないのだ。何百メートル離れていようが、『モルドレッド』の視力であれば目視可能な筈である。『ガウェイン』の身に何かが有ったと直感した『モルドレッド』は、隣の建物に向かおうと立ち上がった。その瞬間、目の前のテーブルにチャイナマーブルの様な球体が転がり、瞬時に爆発を起こした。咄嗟に身を守ったお陰で命は無事ではあったが、『モルドレッド』の左腕は血塗れで制御が利かなかった。
「クソッ!」
ぶらりと垂れ下がる左腕を、残った右腕で勢い良く引き千切ると、『モルドレッド』は全速力で『ガウェイン』が居る筈の建物の屋上に向かった。

 到着した其処で、『モルドレッド』は愕然とした。『ガウェイン』が両足から大量の血を流し倒れている。その傍らには、先程までテラスカフェに居た筈の『テュルパン』がゆったりと座っていた。
「な……何故……?」
『モルドレッド』が驚愕するのも無理は無い。彼女が全速力で走れば、誰にも追い付けはしないからだ。どんな陸上の世界記録をも、余裕で塗り替えてしまう、常人離れした駿足であったのだ。
「ふふ……驚いた?」
微笑を湛える『テュルパン』に、『モルドレッド』が懐の小脇差で切り掛かろうとした瞬間、突然に後ろから羽交い締めにされた。驚愕の表情で振り返る『モルドレッド』の目に、先程まで目の前に居た筈の『テュルパン』の姿が在った。
「な……何……だと?」
目を凝らすと、其処には『テュルパン』が二人居た。
「兄さん、ありがとう。助かったよ。」
「お前も、良くやったな。」
言葉を交わす二人はどちらも現実世界のものであり、凡そ幻覚等の類では無い。
「僕等は、二人で一人。二人で世紀のボマー『テュルパン』なんだ。生まれ付き脚が悪くて義足の兄さん、生まれ付き腕が悪くて義手の僕。僕等双子は二人で一人なんだ。」
『モルドレッド』には、先程の事が漸く理解出来た。『モルドレッド』より先に移動したのでは無く、元から二人は其処に居たのだ。
「兄さん、この女はどうしよう?何処から爆破したら良い?」
「……そうだな。左腕はもう無い様だから、脚からやったら良いんじゃないか?」
『テュルパン』弟が爆薬を取り出した時、背後から何者かが忍び寄る気配がした。それと同時に、無数の爆薬が爆発する音が辺りに響いた。その煙幕の所為で、暫くは周囲の様子を目視する事が出来なくなった。
 漸く煙幕が落ち着いた頃、『モルドレッド』は自身の上に覆い被さる重みを感じた。ゆっくりと身体を起こすと、それが人間である事に気付いた。ずるりと滑り落ちたそれは、倒れていた筈の『ガウェイン』であった。次の瞬間、『テュルパン』兄弟の全身に、細い金属の糸が巻き付いたかと思うと……。
「兄弟仲良く『お揃い』にしてやろう。」
その言葉と共に、『モルドレッド』が金属の糸の端を軽く引くと、鮮やかに二人分の四肢が血飛沫と共に飛び散った。その様は、夜の闇に花開く季節外れの花火の様であった。
「お前達はこれから、『達磨』兄弟とでも名乗れば良い。」
氷の様な冷徹な目でそう告げると、『モルドレッド』は『ガウェイン』を右腕一本で担ぎ上げ、そのまま其処を立ち去った。

 『モルドレッド』は可能な限りの全速力で、組織までの道を走り抜けた。千切れた左腕から滴る血もその痛みも、その時の彼女には気にもならなかった。只、『ガウェイン』の命を救う為だけに行動した。
 過去の記憶が欠落した得体の知れぬ自身を、好きだと言ってくれた。己でさえ愛せた事の無い自身を、只、愛していると言ってくれた。彼を救いたいという感情が、恋愛感情なのかは今は解らない。だが、その想いの強さが、夜の街を駆け抜ける彼女に涙を流させていた。
「……もう、良い。此処で……降ろしてくれ。」
青山通りを抜けて永田町の組織までは後少しという所で、『ガウェイン』が口を開いた。『モルドレッド』は思わず足を止め、『ガウェイン』の様子を窺った。
「無事か……!もう少しだからな。必ず助けてやる!」
「……俺は……ここまでだ。」
『ガウェイン』の出血量からして、今此処で会話が出来ている事は奇跡に近い。体温もかなり低下しており、意識レベルも危うい状況であった。
「この程度の傷で何を言っている!軟弱者め!」
『ガウェイン』を元気付ける為だったか、自身を奮い立たせる為だったか。だが、そう言う『モルドレッド』の声は涙で震えていた。
「……じ……ぶんの……身体……は、良く……解って……いる。最……期に、話を……。」
『モルドレッド』がゆっくりと『ガウェイン』を降ろすと、『ガウェイン』は未だ微かに動く左腕を伸ばし、力無く『モルドレッド』の頬に触れた。『モルドレッド』はその手に自身の右手を重ねた。重ねた二人の手に、『モルドレッド』の涙が止め処なく零れ落ちた。
「……済……ま……ない。最……後ま……で……守っ……て……やれな……く……て……。」
『ガウェイン』の呼吸は次第に弱くなり、話す言葉も聞き取り辛くなっていた。
「……あ……いし……て……い……る……。」
息も絶え絶えにそう告げると、『ガウェイン』の左手から力が抜け、ゆっくりと『モルドレッド』の頬から滑り落ちて行った。

 『ガウェイン』の遺体を連れて組織に戻った『モルドレッド』は、組織内の庭園墓地で弔いの祈りを捧げていた。正式な追悼式を行う事は許可されなかったのだ。教団への惨殺命令が下って以降、組織内で暗殺者の自殺が後を絶たず、暗殺者個人での追悼式を行う余裕は無かったのも有る。だがそれよりも、暗殺者個人への弔いは不要との『アーサー』の意向であった。
「ごめん。こんな形でしか送ってあげられなくて。」
真新しい『ガウェイン』の墓標に、『モルドレッド』はゆっくりと手を合わせた。その時、背後に人の気配がした。振り返ると、『ランスロット』と『トリスタン』が、其々に花を手に立っていた。
「お別れを言いに来たわ。」
「安らかに眠れ、ヘンリー。」
献花をする『ランスロット』が呟いた言葉に、『モルドレッド』ははっとした。
「何故……本名を?」
「俺達暗殺者は、暗殺者となった時にその名を棄てる。常にコードネームで認識され、誰にも本名を呼ばれる事は無い。だが、死んだ時位は、その名を呼んでやっても良いかと思ってな……。」
「……そうか。そうだな……。どうか、安らかに……ヘンリー……。」
そう言って泣きながら墓標に覆い被さる『モルドレッド』に、二人がこれ以上の言葉を掛ける事は無かった。

 その夜、人目を忍んで『アーサー』の部屋を訪ねる、背の高い人影が在った。その人影が訪れてから暫くは、何か言い争う様に話し合っていたが、程無くしてその人影は部屋を後にした。その日のその時間だけ、普段は配置されている筈の警護が一人も居なかったのは、とても奇妙な事であった。

 翌朝、『モルドレッド』が自室の寝台で微睡んでいると、背後に『ランスロット』の気配がした。何処かへ出掛けて来た帰りだろうか、酷く疲れている様に感じた。心配で起き上がろうとすると、制止する声が聞こえた。
「良い、そのままで聞いてくれ。」
押し殺した様な『ランスロット』の声に、『モルドレッド』は嫌な予感がした。
「俺はこれから組織を抜ける。真実を知った以上、もう此処には居られない。……『アーサー』を暗殺する……!」
『アーサー』暗殺という言葉に、『モルドレッド』はピクリと身体を震わせた。その頭を、『ランスロット』は優しく撫でながら言った。
「最後かも知れないから言っておく。俺は、ずっとお前が好きだった。恐らくは……初めて出会ったその時から。何度も何度も拭い去ろうとしたが、想いは日に日に大きくなるばかりだった。お前に接吻をしたいと……抱きたいと何度も思った。……だが、この想いは……罪だ。」
声を聞いているだけで、『ランスロット』が泣いている事が解った。『モルドレッド』は振り返りたい思いを抑え、寝台の上で背を向けたまま、じっと彼の言葉を聞いていた。
「済まない。この事は忘れてくれ……。」
その言葉が聞こえて来たと共に、『モルドレッド』は勢い良く寝台から起き上がったが、其処には既に『ランスロット』の姿は無かった。

 その日の午後、『モルドレッド』に非情な命令が下された。『ランスロット』暗殺……のみならず、その遺体を無傷で持ち帰るというものだった。
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