第6話 初任務

文字数 3,477文字

 或る日、『アーサー』の側近から呼び出しを受け、『モルドレッド』は地下の或る小部屋に案内された。其処は、畳二帖程のスペースの薄暗い小部屋であり、宛らカトリック教会の告解室の様であった。小さな格子窓から、今回の任務の内容を伝えられる。内容は全て口頭で伝えられ、メモや録音等を残す事は一切許可されていない。任務の詳細を全て、一度聞いただけで頭に叩き込まなければならないのである。尤も、『モルドレッド』の超記憶を以ってすれば、それは至極簡単な事であった。
 今回の任務は、或る連続誘拐殺人犯の暗殺であった。犯人は年若い女性ばかりを狙い、誘拐後は数日の監禁の後、満月の夜に殺害するという手口であった。数日間の監禁の間、被害者は様々な拷問を受けたと見られ、身体には無数の殴打痕が確認された。口腔内の歯は殆ど残っておらず、手足の指の爪も剥がされた状態であった。そして膣内には、犯人のものと思われる大量の体液が残されており、釘や割れたガラス瓶が押し込まれた状態で発見されていた。一昨日、大臣の一人娘がその犯人に誘拐されたとの事だ。情報班の話では、娘は未だ危害を受けてはいない状況だそうである。報道規制が敷かれている為、未だ一般人の知る所では無い。
「犯人やその居場所まで特定出来ているなら、警察が逮捕に踏み切れば早い話では?」
『モルドレッド』が格子窓の向こうの男に伝えると、彼は逡巡した様子でこう返した。
「事はそう容易では無い。身の安全確保以上に、娘の身体の名誉を守らねばならん。」
仮に警察が突入して、大臣の娘が無事に救出されたとしても、事件が事件だ。彼女の貞操に関して、世間ではあらぬ噂が立てられるだろう。其処で、犯人を逮捕するよりも自殺に見せ掛けて暗殺し、尚且つ娘が誘拐されていたという痕跡まで消し去るのだ。
「そうか、解った。」
「失敗は許されない。健闘を祈る。」
そう言うと、男は格子窓を閉じて其処を立ち去った。

 次の満月は、約一週間後だ。今回の任務のタイムリミットである。『モルドレッド』は早速、現場周辺の地図を広げて、作戦を練りつつ進入経路等を確認した。
「何か手助けは必要か?」
『モルドレッド』の部屋に入って来るなり、『ランスロット』が後ろから声を掛けた。
「必要無い。……というか、ノック位はしろ。」
「これは失礼。以後、肝に銘じておく。」
全く悪びれる様子も無い『ランスロット』は、任務の準備に追われる『モルドレッド』には聞こえない位の小声で、こっそりと呟いた。
「今回は、姫のお手並み拝見……という事で、期待して待っているとするか……。」
 暫くは無言で様子を見ていた『ランスロット』は、何となく気不味く感じて、さり気無く声を掛けてみた。
「な、なぁ。その髪で任務に向かうのか?一寸、邪魔にならないか?良かったら、俺が結んでやっても……。」
『ランスロット』が未だ言い終わらない内に、『モルドレッド』はテーブルの上に置いてあったナイフを掴み、自身の長く美しい栗色の髪を、襟足からバッサリと切り落としてしまった。あまりに突然の事で、『ランスロット』は驚いて制止する余裕も無かった。
「な……何をしているんだ!」
「だって、お前が邪魔だと言ったから。」
「いや、でも!結ぶとか他に幾らでも方法が有るだろう。何も、其処まで……。」
「……私には、然して必要の無いものだ。そんなものが有っても、私の真に望むものは得られない。」
そう言った『モルドレッド』の寂しそうな横顔が、いつまでも『ランスロット』の脳裏から離れる事は無かった。

 作戦決行当日の夜、『モルドレッド』は黒いマントに身を包み、大臣の娘が監禁されているという山奥の山荘に向かった。辺りは街灯一つ無く、月明かりのみを頼りに進んで行く他は無かった。
 『モルドレッド』は漸く目的の山荘に辿り着き、室内に影を落とさぬ位置から天窓を覗き込んだ。山荘の二階では、拘束された大臣の娘がぐったりと横たわっている様子が窺えた。犯人の姿は見当たらない。彼女を助け出す事は出来たが、此処で助け出しては作戦の意味が無い。あくまでも、犯人を自殺に見せ掛けて暗殺するのが任務だ。

 待つ事二時間程、漸く犯人と思しき人物の人影が見えた。犯人の男は山荘の二階へと続く扉を開くと、満面の笑みを浮かべて大臣の娘へと歩み寄った。
「ごめんねぇ。待たせちゃったよねぇ。馬鹿な上司が煩くてさ、一寸だけ残業になっちゃったんだ。……でも、待たせた分だけ、君をいっぱい可愛がってあげるね……。」
そう言って、男はブリーフ一枚という出で立ちで、大臣の娘の目の前に立った。口元からは涎を垂らし、その腹部の大量の贅肉は、ブリーフの上に醜く覆い被さっている。そして、その手には金属バットが握られていた。
「嫌、嫌、嫌ぁぁぁぁぁーーーーー!」
状況を理解した大臣の娘は、気が狂った様に泣き叫んだ。
「あれあれぇ~?ご主人様が今から、気持ち良くしてあげようって言うのに、何だよこのメス豚がぁ~?良い子にしていないと、ミンチ肉にしてハンバーグに入れちゃうぞおぉ!」
大臣の娘は恐怖のあまり、震えながら失禁してしまっていた。
「あっれぇ~?悪い子だねぇ。悪い子にはお仕置きしないといけないんだけど、君は可愛いから特別だよ。僕がぜぇ~んぶ舐め取って、綺麗にしてあげ……。」
その瞬間、犯人の男の首には細い金属の糸が巻き付けられていた。
「……お前の肉は、ハンバーグにしたら、死ぬ程不味そうだな。」
次の瞬間、犯人の男の首が床に転がった。
「ひっ……!嫌ぁぁぁぁぁーーーーー!」
『モルドレッド』は発狂しそうな大臣の娘を優しく抱き抱え、ゆっくりと頭を撫でてやった。
「驚かせてごめん。大丈夫……私は君の味方だから。」
 大臣の娘の呼吸が落ち着いた所で、『モルドレッド』は静かに語り始めた。
「今から言う事を良く聞いてくれ。君はこれから、此処から西に向かって二キロメートル歩き、其処の交番で助けを求めるんだ。大学の野鳥研究サークルの活動でキャンプに来ていて、君は珍しい野鳥の写真撮影に夢中になって、山奥で一人迷ってしまった。そして、沢で足を踏み外して転落し、つい先程、命からがら山を降りて来たのだと。……その間、誰にも会わなかったと。良いか……君は誘拐なんてされていない。」
大臣の娘は未だ気が動転しているらしく、『モルドレッド』の腕を掴んで問い質した。
「貴方……貴方は一体誰なの?」
『モルドレッド』はコンパスを大臣の娘に手渡すと、そっと立ち上がりながらこう言った。
「忘れた方が良い。貴方の輝かしい未来の為にも……。」

 その後、大臣の娘は無事に保護された。『モルドレッド』の計画通りに、野鳥研究サークルでの野外活動中の事故という事になった。だが、彼女はそんなサークルは聞いた事も無いし、証言した他のサークルメンバーという学生達も、全く知らない人物ばかりであった。何がどうなっているのか、彼女自身にも全く解らなかった。だが、一つだけ確かなものがある。あの日、彼女を助けた黒ずくめの謎の人物の存在だ。
「……綺麗な人だったなぁ。女の人……だと思うけれど、私も恋をするなら、あんな人としてみたいなぁ……。」
そう言って空を見上げた大臣の娘の頬は、ほんのりと桜色に染まっていた。そして、その手にはあの時のコンパスがしっかりと握られていた。

 翌日、『モルドレッド』は任務を終えて帰還し、地下の長い廊下を歩いていた。薄暗い廊下の先に、ぼんやりと人影が見えた。『モルドレッド』は一瞬、出迎えに来た『ランスロット』かと思ったが、良く見ると長身の彼とは背格好が違う事が解った。
「初任務、ご苦労だ。『モルドレッド』。」
その人影の男はゆらりと近付いて来ると、『モルドレッド』の襟首を掴んで無理矢理に引き寄せた。
「『ランスロット』を倒した、天才新人暗殺者だと……?俺は貴様等は認めんからな!何れ俺がお前……を……。」
引き寄せた衝撃で『モルドレッド』のフードが滑り落ち、その容貌が顕わになった。その途端に、男は絶句して何も言わなくなったかと思うと、顔を真っ赤にして走り去って行ってしまった。
 「……アイツ、落ちやがったわね。」
気付くと、『トリスタン』が直ぐ後ろに立っていて、にこやかに出迎えてくれていた。
「初任務成功おめでとう!流石は私の姫だわ!お祝いのパーティー、もう準備出来ているわよ!」
そう言って抱き付いて来る『トリスタン』を受け止めながら、『モルドレッド』は先程の出来事を思い出していた。
「……走って逃げられてしまった。私の顔、そんなに凶器なのかな……?」
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