第4話 審判

文字数 2,881文字

 地下闘技場に入ると、観覧席には数人の人影が在った。中央の円形闘技場を囲む形で、周囲に階段状に観覧席が設けられているのだ。闘技場に強い照明が当てられている所為で、観覧席の各人の顔までは判別出来ないが、恐らくはこの組織の長官である『アーサー』と呼ばれる人物も、其処に居るに違いなかった。
 アキラと『ランスロット』は、円形闘技場の中央を挟んで、互いに見合う形で立っていた。帯刀した『ランスロット』とは対照的に、アキラは何も装備していない様に見えた。
「本日これより、格闘にて新入りの入団判定を行う。対戦相手は我が精鋭『ランスロット』、この者を殺せば入団を許可する。」
何処からともなく聞こえて来た『アーサー』の声に、観覧席では悲鳴にも似た騒めきが起こった。
「そんな、『ランスロット』様を……!」
「いやいや、その様な事、新入りには到底無理であろう。」
そんな中、観覧席の最上段の端に位置する席から、鋭い視線を向ける者が居た。
「へぇぇ……あいつの死が拝めるなんて、そりゃ今世紀最大の見物だ。」
「ふ、不謹慎ですよ。お謹み下さいませ、『ガウェイン』様。」
『ガウェイン』と呼ばれた男は、側近に諌められつつも、全く意に介さぬ様子であった。プラチナブロンドの髪を掻き上げ、その男は碧い瞳を細めながら、闘技場に向けて不敵に微笑んだ。

 間も無く二人の格闘が開始され、周囲の観覧席に居る全員が固唾を呑んで見守った。『ランスロット』が帯刀した太刀でアキラを攻め、それをアキラが懐の小脇差で防ぐという攻防が、暫くの間続いた。だが、これが本気の闘いでは無い事は、『アーサー』も見抜いていた。その時、『ランスロット』がアキラ目掛けて振り翳した太刀先に、アキラがトンと足先を乗せて立った。そして、次の瞬間にはアキラの身体は虚空を舞っていた。観覧席に居る全員が気付いた時には、アキラは『ランスロット』を後ろから裸締めにする形となり、完全に彼の身体の自由を奪っていた。
「……お願いだ、暫く倒れた振りをしていてくれ……。」
耳元でアキラにそう囁かれ、頸部を圧迫された『ランスロット』はそのまま卒倒してしまった。この時、アキラは『ランスロット』が自身の作戦に応じてくれたと思っていたが、実はそうでは無かった事は後になって知る。
 アキラは、倒れた『ランスロット』の服を切り裂くと、観覧席に居る全員に語り掛けた。
「皆よ!私が何故、小脇差で闘いに臨んだか解るか?小回りの利かぬ太刀では、人間の腹肉を捌き難いからだ!嘗て胆力の有る武士は、切腹の際に己の臓物を並べて見せたと言うではないか。今からそれを、負け犬のこいつの身体で再現して見せよう!」
そう言ってアキラは、『ランスロット』の腹部を左手で三度押し撫で、右手で小脇差を突き立てようとした時だった。
「其処まで!」
『アーサー』の鋭い制止の声が飛んだ。
「未だそれは死んではおらぬが、今回の勝敗は決着した。神聖な闘技場を、それの臓物で穢されては敵わんからな。良かろう、お前を我が暗殺組織『キャメロット』の一員として迎えよう。」
観覧席からは一様に安堵の声が漏れ聞こえ、中にはアキラを賞賛する声も有った。
「チッ、殺し損なったか!」
唯一『ガウェイン』のみが、『ランスロット』が助かった事に対して不服であった様だ。『アーサー』は少し考える様に間を置き、更に告げた。
「そうだな……お前には『モルドレッド』のコードネームを授けよう。期待しているぞ。」
アキラは『アーサー』の声がした方向に跪くと、恭しく頭を垂れて敬礼をした。しかし、彼女のその目に宿る光は、服従というよりも反旗の光を帯びた怪しいものだった。

 地下闘技場からの長い廊下を、意識が朦朧とした『ランスロット』を担ぎながら、アキラ……いや、『モルドレッド』と名付けられた暗殺者は歩いていた。
「御機嫌よう!先程は素晴らしかったわ、『モルドレッド』。」
背後から声を掛けられ、咄嗟に振り返った『モルドレッド』の視線の先には、愛らしい少女が一人佇んでいた。小柄で華奢な体躯に、亜麻色の長い巻き毛を垂らすその姿は、フランス人形の如き美しさを湛えていた。だが、気配を一切感じさせないまま、この至近距離まで近付いているのはどういう事か。『モルドレッド』は思わず警戒した。
「初めまして!私は『トリスタン』よ。先程の格闘を観させて貰ったけれど、貴方って本当に凄いのね!ねぇ、貴方を私の『推し』にしたいのだけれど、良いかしら?私、貴方に恋をしてしまったの!」
そう言って、爪先立った少女は『モルドレッド』の頬に接吻をした。
「え……?」
『モルドレッド』が気付いた時には、少女は既に数メートル先を跳躍し、笑い声を上げながら廊下の向こうに消えていた。
「……気を付けろ。」
先程まで『モルドレッド』に担がれていた『ランスロット』が、ゆっくりと身体を起こしつつ話し掛けて来た。
「アイツはこの暗殺組織『キャメロット』の、ナンバー二と謳われる暗殺者だ。愛らしい外見を武器にして、油断している標的を容赦無く始末するクソババァだ。」
「え……?」
あんなに愛らしい少女を、クソババァ呼ばわりする事に、『モルドレッド』は一瞬違和感を覚えた。
「あぁ、アイツはああ見えて、お前より一回りは年上だぞ。」
「えぇぇぇぇぇ~?」
『モルドレッド』の雄叫びにも似たその声は、地下闘技場からの長い廊下に木霊した。

 『ランスロット』を彼の部屋まで運び込み、『モルドレッド』は漸く一息吐く事が出来た。
「それにしても、本当に助かった。打ち合わせ無しの咄嗟の演技だったのに、あそこまで的確に応じてくれるとは……。この恩はいつか、倍にして返してやるからな!」
小脇差を突き立てようとした時の、腹部の切り傷を消毒しながら、『モルドレッド』は軽快に話し始めた。
「おい、お前!本当に俺の腹を掻っ捌く気だったのか?」
「まさか!聞く所に依ると、組織でのお前の序列はナンバー一だ。そのお前を、たかが一暗殺者の入団判定如きで、『アーサー』が見す見す見殺しにする訳が無い。」
「……要は、賭けたのか。」
不信感満載の表情で、『ランスロット』が訊く。
「まぁ、そう言えなくも無いが……。百パーセントの確信の有る賭けだ。私が『アーサー』なら、お前を失う事は絶対に阻止するからな。」
慣れた手付きで、包帯を巻いて行く『モルドレッド』を見ながら、『ランスロット』は自身が卒倒した時の状況を思い出していた。頸部を圧迫された事が、卒倒した理由では無い事は明白だ。あの時、『モルドレッド』が至近距離で耳元で囁いた。彼女の息が……声が……、存在そのものがとても近過ぎたのだ。何か良くない感情を抱き始めていると、『ランスロット』は頭の中で考えていた。
「……ありがとう。今夜は良く休んでくれ。」
そう言って、包帯を巻いた『ランスロット』の腹部に口付けをすると、『モルドレッド』は静かに部屋を後にした。
 その『モルドレッド』の口付けの所為で、悶々とした『ランスロット』がなかなか寝付けず、苦悶の末に意味不明な呪文を唱えていた事は、今は此処だけの秘密である。
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