第10話 教団の影

文字数 3,994文字

 その後、『モルドレッド』は幾つかの組織の任務をこなしたが、その度に監視をするかの様な視線を感じていた。組織の人間では無い。任務を妨害するでも無く、只じっと監視をして、任務終了と共に去って行く。何もして来ない所が、却って不気味であった。

 或る日、国会議員の贈収賄を告発するファイルを作成した、第一秘書の暗殺とそのファイルの回収という任務を、『モルドレッド』は任されていた。本来ならば、不正を告発するという正義の行いの筈なのに、何処か釈然としない気持ちを抱きつつも任務に向かった。皇居の東側に位置するホテルにて、そのファイルの受け渡しに関する密談を行うとの情報を得て、そのホテルの更に東側に在るビルディング屋上で待機をした。二脚銃架を装備した狙撃銃を構え、心臓を目掛けて一発の弾丸を発射し、対象が卒倒する姿を確認した。所が、狙撃銃を担いで走り出した『モルドレッド』の眼前に、見知った顔の少年が笑顔で立っていた。
「やあ!久し振りだね、僕の天使ちゃん。元気にしていたかい?」
行方不明の筈の慧だった。だが、話をしている暇は無い。
「待ってよ。君を傷付けるつもりは無いよ。」
ファイル回収の任務に先を急ぐ『モルドレッド』の行く先を、慧はゆるりとした優雅な動作で塞ぐ。
「君に……君だけに、伝えたい大事な情報が有るんだ。だから、少しだけ……。」
その瞬間、慧の背後から銃声がした。『モルドレッド』に覆い被さった慧の口元からは血が滴り落ち、彼が先程の銃撃で怪我をしている事は明らかだった。
「一寸、だいじょ……。」
心配する『モルドレッド』を抱き締めて、慧は語り掛けた。
「聞いてくれ。これは遺言だ。僕は家族を奪った教団が、憎くて憎くて堪らない。でも、僕だけの力ではどうしようも無いんだ。……お願い出来るかい、僕の愛しい天使……。きっとこれは、君の助けにもなる……。」
慧は『モルドレッド』に優しく接吻をしながら、口の中に何かを押し入れて来た。鉄分を含んだ味が、口腔内にじわりと広がって行った。そうしてそのまま、慧は微動だにしなくなった。口の中に入れられた物は、カプセルに包まれた超小型の補助記憶装置だった。
「慧……何で、こんな物の為に……。」
『モルドレッド』は、泣きながら慧の瞳をその手で優しく閉じてやった。そして、残された任務の為に、慧の遺体はそのままにその場を立ち去った。

 十数分後、ファイル回収というもう一つの任務の為、『モルドレッド』はホテル内の射殺現場に来ていた。鑑識官に扮した彼女は、件のファイルを服の中に隠して、そっとその場を後にしていた。

 組織の科学班にて、先程慧から受け取った補助記憶装置の解析が進められていた。最初に、『モルドレッド』宛てと思われるボイスメッセージが確認された。
【今、このメッセージを君が聞いてくれている頃、恐らく僕はこの世には居ないだろう。だがそれは、僕が目指した未来の為の、必然的な死であると思う。だから、どうか泣かないで欲しい。君と君の仲間に、僕が持っている全てのデータを託す。パスコードは君と僕が出会った日付けだ。君が持ち出した父のデータも、同じパスコードで行ける筈だ。君の進む先には、君が望む……何かしらの答えが待っている。……君の幸せを願っているよ。】
メッセージの再生が終わった後、科学班内にて誰も言葉を発する者は居なかった。突然、『モルドレッド』が部屋から駆け出して行った。その後を追おうとする『ランスロット』と『ガウェイン』を制止して、『トリスタン』が一言告げた。
「待って。あんた達じゃ話にならない。私が行く。」

 自室に戻った『モルドレッド』は、寝台に潜り込んで泣きながら自身を殴り付けた。
「止めなさい。そんな事をしても何にもならないわ。」
追い掛けて来た『トリスタン』の言葉にも、全く耳を貸さない様子である。『トリスタン』は『モルドレッド』を無理矢理引っ張り起こすと、大声で叫んでいた。
「殴るなら私を殴りなさいよ!貴方が辛い時は私も辛いの!私達はもう、家族も同然なのよ?……貴方が私を殴れないなら、貴方自身も殴っちゃいけないんだから!」
大泣きをしながら叫ぶ『トリスタン』の姿に、『モルドレッド』は少しだけ平時の様子を取り戻した。
「……ごめん。私、どうかしていた。」
それを見て少し安心したのか、『トリスタン』は優しく『モルドレッド』を抱き締めながら、トントンとその背中を叩いてやった。そして、そっと独り言の様に語り掛けた。
「辛いよね。でも、私達暗殺者は、その辛さを抱えながら生きて行くしかない……。大事なものを失いながら、それでも生きて行くしかないのよ。」

 翌日、『モルドレッド』が持ち出した慧の父親のデータと、慧から受け取った補助記憶装置内のデータの解析が終わり、潜入の任務に当たっていた暗殺者達が集められていた。科学班からの報告に依ると、教団の組織図や信者の名簿、敷地内の地図、教祖との遣り取りと思われるメール履歴等が確認されたそうだ。
「このコードネーム『ローラン』って、対象の慧って奴の事か?こっちのコードネーム『オリヴィエ』ってのが、対象の父親……二人共が教団の暗殺者だったって訳か。」
教団の組織図を確認しながら、『ガウェイン』が呟いた。慧の名を聞いた事で、『モルドレッド』の心臓の動悸が激しくなった。慧の背後からの銃撃は、明らかに『モルドレッド』を狙ったものだった。教団の別の暗殺者に依るものなのかは解らないが、慧は『モルドレッド』を庇って命を落とした。それはつまり、慧は『モルドレッド』の所為で死んだという事なのだ。『モルドレッド』が胸を押さえながら、突然の動悸に耐えて冷や汗を流していると、『ガウェイン』が再び声を発した。
「でもさ……あれ?何で教祖の部分だけ、データが塗り潰されているんだ?そいつを叩けば良いって言うのに。」
「確かに妙だ。これは誰の指示だ?」
『ランスロット』が科学班の担当者を問い詰める。
「そ、それが……『アーサー』様のご指示でして……。我々が内容を確認する前に、『アーサー』様がデータをご覧に……。その時に、マザーデータもお持ちになられました。」
吃りながら慌てて答える担当者に、『ランスロット』が更に問うた。
「では、『アーサー』以外は、マザーデータは見ていないのだな?」
「は……はい!我々の誰一人として見ておりません!」
暗殺者達全員が妙だと思った。教祖は一体誰なのか。『アーサー』にとって都合の悪い人物、今直ぐに消しては不味い人物……恐らくはこの組織にも関係する人物だろうと言うのが、その場の全員一致の見解となった。

 その日の夜遅くに、『アーサー』は外出をした。恐らく誰かと会う為だろうと推測し、『モルドレッド』は夜の闇に紛れて尾行をしていた。万が一にもばれてしまえば、懲罰は免れない行為だ。
 『アーサー』を乗せた車は、首都高速四号新宿線を降りて西新宿の街を緩やかに進むと、或るホテルの車寄せへと滑り込んで行った。間違いなく此処で誰かと会うつもりだ。そして、『アーサー』の足取りから察するに、その相手は既にこのホテルに到着している。そして、密談後は『アーサー』がホテルを出た後に、暫く時間を置いてその相手も出て来る筈だ。何としてでもその相手の顔を確認してやろうと思い、ホテルの車寄せから大通りを挟んだ向かいの公園にて、『モルドレッド』は待機する事にした。
 一時間程が経過し、『アーサー』を乗せた車が出て来た。帽子を目深に被っているので、表情までは確認出来ないが、黒いレースのカーテン越しに感じた、いつもの彼女の様子とは少し違う。『モルドレッド』の目には、泣いている様にも見えた。そして、更にその三十分後、車列を組んだ三台の黒塗りのセダンが現れた。中央車両の後部座席に乗っている人物に、『モルドレッド』は何故か既視感を覚えた。
「誰……だ?あの男は……。」
「あれは内閣総理大臣専用車の車列だ。乗っている人物は……見当が付くだろう。」
背後から突然に声を掛けられ、『モルドレッド』は慌てて身構えた。其処には、呆れ顔の『ランスロット』が立っており、『モルドレッド』の腕を掴んで説教を始めた。
「何をしているんだ!こんな事をしているのがばれたら、只では済まないぞ!こんな所からでは何も解らない。さっさと帰るぞ!」
無理矢理に腕を引いてその場を去ろうとする『ランスロット』に、『モルドレッド』は呟く様に言った。
「……二人共、泣いていた。何故……?『アーサー』も、黒塗りの車の人も……。」
「何を言っている?二百メートルは離れているんだぞ。しかも、この暗がりだ。そんな事が解る訳が……。」
確かに、常人では肉眼での識別は不可能だ。だがしかし、『モルドレッド』は確信を持って言った。
「見えるよ、私には。とても……悲しそうだった。」

 『モルドレッド』のその言葉を裏付けるかの様に、科学班からのデータ報告の日以来、『アーサー』は一切姿を現さなくなった。 それ所か、暗殺命令さえも下されなかった。そして、何の命令も無いまま二週間が過ぎた或る日、組織内の全ての暗殺者達に命令が下された。教団の暗殺者達は勿論の事、信者達も全て抹殺せよとの非情な命令だった。組織内では表立って反発の声は無かったが、一般市民である信者達までをも殺せという命令に、皆が少なからず動揺を抱えていた。
「これが、『アーサー』の選択か。……やはり、総理との間に何かが有ったな。」
人気の無い廊下で、『モルドレッド』と『ランスロット』が声を潜めて会話をしていた。
「この前のアレか?だがしかし、あんな長距離での暗闇での目視では……。」
「私は……今まで、狙撃の際にスコープを使った事は無い。こう言えば信じるか?」
「まさか……!」
驚く『ランスロット』に、ニヤリと片方の唇の端を上げて『モルドレッド』が微笑んだ。
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