第11話

文字数 14,620文字

 第十章 ゲロと夢
 
 僕と島津は毎日、手を繋いで登下校をしていた。少しずつ会話をする事も増えたけれど、やっぱり手を繋いでいるところを誰かに見られるのは、とにかく恥ずかしかった。
 同級生からも「朝からアホ夫婦は熱いねーフーフー」と言われたりした。僕が不思議に思ったのは、どうして島津はその言葉に対して何も言い返さへんのか。僕は島津に聞いてみたくなった。
「同級生から悪口を言われても、なんで島津は何も言い返さへんの?」
「言い返したところで、何も変わらへんよ。ほっといたらええねん」
 島津は、なんか冷めている感じがする。でも、なんか大人な感じもする。島津って本当にアホなんやろか。分からなくなった。
 
 そして目の前の遮断器が下りた。僕はいつも遮断器について、不思議に思っていることがある。遮断器のカンカンカンという音のリズムと、遮断器の赤いランプのリズムは、最初は同じリズムでひとつも狂っていないのに、途中から赤いランプのリズムが遅れて狂い始める。大人な感じがする島津に聞いてみようと思った。
「島津に聞きたい事があるねん。遮断器のカンカンカンのリズムと、遮断器の赤いランプのリズムあるやんか。最初は一緒やのに、なんで途中から赤いランプのリズムは遅れて狂ったりするん?」
 島津は遮断器の赤いランプに目を向けた。そしてしばらくの間、島津は赤いランプを見ていた。
「ほんまやな、赤いランプが遅れるな。あんたは、そういうところに気づくやろ? 誰もそんなとこ気にもしてないのに。だから、あんたは仲間はずれの素数やねん」
「もう、その仲間はずれの素数っていう言葉は止めてくれへん? 頭が蓄膿症になるねん」
「仲間はずれの素数、どういうところが蓄膿症になるんよ」
「その素数という言葉な、色がないねん。仲間はずれのやったら、黒色が頭に浮かぶねんけど、素数という言葉には全く色がないねん。だから頭が蓄膿症になるねん」
「あんたは、言葉から色が見えるんか?」
「そうや。だからその素数という言葉は、止めて欲しいねん」
 それから島津は、ずっと遮断器の赤いランプを見ているようだった。僕は水色の電車が遮断器を通過する時のガタンゴトンの音だけで、何両編成かを数えていた。そしてその電車は六両編成だと思った。
 
 学校に到着すると、島津と手を繋ぐ事は嫌なので無理にでも離した。手を繋ぐのは、登下校の間だけでいいはず。
 そして僕はいつもと同じ様に、給食室のおばちゃん達の白い長靴を眺めた。窮屈そうな白や、ぶかぶかな白、懐かしいような白、明日のような白。やっぱり、白は無量大数だと思った。また、何かを忘れてしまいそうな感じになった。
 
 そして僕は教室に入った。隣の席は相変わらず島津だったけれど、少し会話が増えたからやろか。あんまり嫌な気持ちにはなっていなかった。
 その時、校内の非常ベルが鳴り響いた。クラスの子達は一斉に、廊下へ出た。僕も廊下に出てみると、教室前には暗い白の装置があって、赤い文字で『消火栓』と書いてあった。
 その装置の上の真ん中には、赤いランプがチカチカとリズムを取っていたけれど、リリリリリリリという赤い音の連続みたいなリズムとは、最初から狂っていた。
 しばらくすると校内に『火災が発生しました、火災が発生しました』と、ゆっくりとした機械のような低い男の声が流れた。
 僕はその声を聞いて、給食室のおばちゃんが危ないと思い、急いで給食室へ走る事にした。

 給食室に到着すると、大きなガラス窓から、白い長靴の給食おばちゃん達が、運動場の方を見たり、大きい木のしゃもじで鍋を混ぜたりしている。いつもと同じ光景だった。どうやら、給食室が火事ではなかったみたいだ。
 
 そして、ピンポンパンポンという校内放送のチャイムが鳴り、「全校生徒と全職員にお知らせします。火災は発生していません。繰り返します。火災は発生していません。以上」と怖い声の校内放送が流れた。その怖い声は、この小学校で一番暴力を振るう竹原先生の声だった。
 給食室のおばちゃん達というより、白い長靴が無事だった事が嬉しかった。僕は再び白い長靴を見て、給食室にはやっぱり白がいいと思ってずっと眺めていた。
 
 それからどれぐらいの時間が経過したのか分からなかったけれど、僕は教室に戻った。教室には先生がいて、クラスの男子が僕を指でさし「先生、非常ベルを押したの絶対に山岡に決まってる。神様に誓ってもええわ」と言った。
「先生、山岡しか犯人はいません。今返ってきたし、逃げてたんやと思います。絶対に非常ベルを押した犯人は山岡です。神様に誓ってもいいです」
 僕が非常ベルを押した犯人になってる? 僕も言い返さないと、このままやと犯人にされてしまうと思った。
「僕とちゃうわ。一億円賭けてもええわ!」
「おまえしか、非常ベル押す奴はおらんのや!」
 すると先生は「こら山岡君、そんなに簡単に一億円を賭けるって言ったらあかんよ! 山岡君には、一生かかっても稼げない額なんよ」と、なぜか僕は怒られた。
「ほれみぃ。山岡しか犯人はおらへんのや。先生、山岡が犯人です。神様に誓ってもいいです」
「先生、もう山岡しか非常ベル押す奴はおらへんのやから、山岡でええやん。山岡以外に犯人はいないって、神様に誓ってもいい!」
 クラスの子達は口々に僕が犯人だと言っていた。
 本当に意味が分からなかった。神様に誓ってもいいって、どういうこと?
 そして先生は「あんたら、いい加減にしいよ! 山岡君自体が、非常ベルみたいなもんやのに、わざわざ機械の非常ベルを押すわけないやろ!」と赤黒い声で怒鳴った。
 さすが先生は僕の味方だった。クラス中の口々にしている声が止まって、引き続き先生は「山岡君が非常ベルを押した犯人みたいな茶番はいいから、正直に非常ベルを押した子は、手をあげりよ。いつまでたっても、授業は始まらんよ」と、僕以外にクラスの中に犯人がいると言っている感じだった。
 クラス中の子達が、それぞれに顔を見つめ合ったりしていた。僕と島津は目が合い、島津は首を左右に二度振っていた。僕は島津が犯人とは思っていないよと、少し笑顔で応えた。
 そういう状況がしばらく続いて、一人の女の子が手を上げた。それは、可愛い白いゲロした吉田さんだった。僕には信じられなかった。あんなに可愛いくて白い吉田さんが、どうして非常ベルを押したんやろか。
 そして先生は「吉田さん、もう二度と非常ベルは押したらあかんよ」と、ピンク色みたいな声で優しく言っていた。
 先生の言葉はそれだけだった。
 
 斜め前の席にいる吉田さんの後ろ姿は、どこか黒色っぽい感じだった。いつも見ている吉田さんは、可愛い白だったのに、どうして黒になってしまったんやろか。黒になってしまったら、僕は吉田さんと結婚が出来ない。それに先生はどうして吉田さんに対して、一言みたいな言葉で終わったんやろか。僕はどうしたらいい?
 そしてクラスの子達が口々にしていた、「神様に誓ってもいい」という言葉の神様。
 僕にとって神様という言葉は、パンを匂った時みたいな薄黄色が頭に浮かぶ。神様と薄黄色には、どういう繋がりがあるんやろか。
 そして先生は僕に対して、簡単に一億円を賭けたらあかんと言ったけれど、他の子達が「神様に誓ってもいい」という事に対しては、何も言わなかった。僕にはそれが蓄膿症だし、吉田さんが白から黒へ変わってしまった事にも頭が蓄膿症になって、僕の頭は混乱して、もう頭は心臓発作になっていた。いつものように先生に頭を治療してもらうしかない。
 僕は終わりの会が始まるまでの間、「もう出る、もう出る、そこにトイレがあるのに、勝手におしっこが」という感じで待っていた。

そして終わりの会が始まった。先生は、もうすぐ冬休みが始まる話をしていた。
 僕は終わりの会が終わった直後に教卓へ向かうから、一緒に下校する予定の島津にその事を言うことにした。
「島津、ごめんやけど、放課後に先生にどうしても頭の治療をしてもらわんとあかんねん。先に帰って」
「あんたは、先生の言いつけを忘れたんか? 先生がいいというまで、ウチらは手を繋いで登下校せなあかんねん。せやったら、ウチも一緒に放課後残ってあげるよ」
 島津はいつから優しくなったんやろか。島津の事を考えると余計に頭が混乱しそうになった。そして、先生は「下校中は寄り道せんと、みんなはよ帰りよ。日直当番の人、挨拶」と言った。
 そして日直当番から「みなさん、さようなら」の挨拶が終わり、僕はすぐに先生の教卓へ走った。
「先生、先生! 一生に二度目のお願いがあります!」
「山岡君は、一生のお願いを昔に使い果たしてしもたからね。一生に二度目のお願いをしにきた生徒は初めてやよ。それでまたいつものように頭が蓄膿症なんか? 頭が蓄膿症になったら、考えたらあかんって言ってるやんか」
「もうそれを通り過ぎて、頭が心臓発作になってるねん。三つも四つも分からへんことだらけやねん。だから蓄膿症じゃないから、先生に頭の手術をしてもらうしかないねん」
「先生はこれからマル付けをせなあかんのよ。三つも四つも言われても、先生も忙しいんやよ。何かひとつにしいよ」
 何かひとつと言われても、僕は何を取ればいいのか分からへん。僕は頭の中を全部治してもらいたいのに、どうしてもひとつが浮かばない。また僕の頭は余計に混乱してしまう。僕はもうしんどくなって、先生の教卓の上に上半身を万歳みたいにバタって乗っけて、先生に小声で悲しそうに言った。
「先生、僕には、どれのひとつを取っていいか分からへん。僕は疲れたよ」
「山岡君、それはフランダースの犬ごっこか?」
「フランダースの犬? 僕には、そういう犬はおらへん」
「島津さんは山岡君を待ってるんか?」
「ウチは山岡君を待ってるけど、山岡君の心臓発作の原因を知りたいから、後ろで聞いてる」
 そして先生は「山岡君、もう時間の無駄やから、全部聞いてあげるから、そのフランダースの犬ごっこはやめりよ。その前に、山岡君を知る為にも、先生から質問があるんよ。今日は頭が心臓発作って言ってはるけど、それはどういう感じなん?」と聞いてきたので、僕は「うーん、心臓が赤い打ち上げ花火みたいにバーンと破裂しそうな感じやねん」と先生に教えてあげた。
「それで、蓄膿症はどんな感じなん?」
「蓄膿症は、深緑色のドロを鼻に入れて、鼻をかんでもずっとドロがある感じ」
「それで急性中耳炎は?」
「耳の中を銀色の長い釘で、カンカンカンと金槌で打たれてるみたいな感じ」
「最後に糖尿病は、どんな感じなん?」
「黄色いとろけるチーズみたいにドロドロと溶けた感じ」
「山岡君は、糖尿病以外の病名は意味を知っている感覚なんやね。それが頭の中で起きてはるんやね」
 僕はどこで病名を覚えたんやろか。きっとテレビかもしれない。
「うん、そんな感じ」
「とりあえず、それは分かったから、それで何を悩んでるんよ」
「前にな、吉田さんが給食の時にゲロ吐いた事があってん。みんな、もらいゲロしてた時、先生覚えてる?」
「あの時ね。ちゃんと覚えてるよ」
「あの時な、吉田さんのゲロ、焦げ茶色みたいに嫌な匂いやってんけど、その嫌な匂いの中からな、白い牛乳の匂いがしてん。吉田さんの胃袋に入って出てきた白い牛乳の匂いはな、とても可愛いと思ってん。吉田さんのゲロから可愛い白の人やとおもたから、僕はいつか吉田さんと結婚すると思ってん」
「山岡君、その話を聞いて先生は、いっぱい聞きたい事が出てくるねんけど、なんで可愛いと思っている吉田さんと結婚まで出来るとおもったん?」
「吉田さんは可愛い白い人やから、吉田さんに毎日プレゼントするねん。白い絵を描くねん。毎日の白い絵はな、吉田さんと僕が遊んだり、吉田さんとあやとりしたり、吉田さんと探検ごっこしたり、吉田さんと猫を育てたりするねん。そういう全部白い絵をいっぱいプレゼントするねん。でもな、それだけでは吉田さんが僕と結婚してくれるとは思ってないねん。吉田さんが給食中にゲロを吐いた時、とても恥ずかしそうやってん。だからな、吉田さんがゲロを吐いても恥ずかしくならへん為に、吉田さんのゲロをすぐに食べてあげるねん。吉田さんの為に吉田さんのゲロをすぐに食べてあげたら、きっと吉田さんは僕と結婚してくれると思うねん。僕がいるとゲロで恥ずかしくならへん人生を吉田さんは過ごせるから、僕と結婚すると思うねん」
 僕の話を聞いた先生は、とにかく困った表情をしていた。僕はあまり話すのが得意じゃないから、きっと先生は僕の話が分からないんやと思った。
 そして先生は「山岡君ね、吉田さんに対する気持ちはわかるねんよ。だけどやね、あの給食の時は、もらいゲロとかでうるさかったやろ? きっと山岡君だけよ、吉田さんのゲロに対して可愛いと思った人は」
吉田さんの事を可愛いと思っていいのは、世界で僕だけだと言ってもらえていると思って、嬉しい気持ちになった。そして先生は話を続けた。
「山岡君以外の人は、ゲロを吐く人が続出していた事にしか興味なかったと思うよ。先生から見たらの話やよ。だからね、先生には山岡君の事が超難問に感じてしまうんよ。その山岡君の超難問を解くには、沢山、山岡君の事を知る為に山岡君といっぱい、お話せなあかんねんけど、先生はあんまり時間がないんよ。今日は悩みを聞くけど、明日からは島津さんに何でも相談しいよ。その為にも登下校は手を繋いで帰らせているんやから」
 僕は先生の話を聞いて、また混乱しそうになった。もう先生は僕の悩みを、僕の頭を手術してくれないと言っているように思った。これからは島津が? 
 先生は島津に「島津さん、ひとつ聞くけど、先生は仲間はずれの素数なん?」と質問した。
「先生は仲間はずれの素数と違うよ」
「山岡君も聞いたやろ? 先生は仲間はずれの素数じゃないねんよ。山岡君の事は理解しにくいんよ。だから、同じ仲間はずれの島津さんなら、もっと山岡君の事を理解してくれるはずやから、明日からは島津さんに悩みを打ち明けりよ」
 僕の気持ちは寂しくなった。先生は、僕の事が嫌いになったのかもしれん。
 そして僕は「うん、わかった。そうする」と諦めて言った。
「それより先生は山岡君に聞くねんけど、さっきの吉田さんの話で、沢山の白が出てきたけど、山岡君にとって白は、どういう感じなん?」
「僕にとって白は無量大数」
「無量大数? 山岡君にとって、無量大数はどういう意味?」
「それは知ってるねん。親戚のおばちゃんに買ってもらった子供大百科事典に載っててん。無量大数は、世界で一番大きい数字って。いっぱいってことやと思うから、無量大数やねん」
「山岡君は、知らないところで勉強してたんやね。それで、吉田さんは無量大数の可愛い人やから、このまま結婚出来るかって事で悩んでいるん?」
「違うねん。朝の非常ベルを押したの、吉田さんやった。今日の吉田さんの後ろ姿な、黒色になっててん。このままやったら、吉田さんに白い絵も描けなくなるし、なんで吉田さんは黒色になったんやろうって。それに、先生はあんまり吉田さんに叱ったりしなかったし、それも不思議やねん」
 先生は相変わらず、困った表情だった。
「山岡君に聞くけど、また黒色についてどう思っているんか教えてくれる?」
「黒色は透明人間みたいな感じ。なんにもないし、なんか白とは反対みたいな感じ」
「山岡君は、吉田さんの姿が無量大数からゼロみたいになったから、困っている感じなんやね?」
「うん、そんな感じ」
 先生はずっと困っている感じだった。そんなに僕の言っている事は、困る感じなんやろか。
「二人には秘密にして欲しい事があるんよ。吉田さんは家の事情で、いろいろありはるねんよ。きっと吉田さんは、興味本位で非常ベルを押しはったんじゃないんよ。非常ベルを押して、吉田さんは誰かに助けてを求めたと先生は思うんよ」
 吉田さんも、僕の家みたいに騒がしい事が起きてるんやろか。でも、非常ベルを押すぐらいやったら、僕に言って欲しかった。
「きっと山岡君は、吉田さんへの強い思いがあるから、吉田さんの異変に気づいて、白から黒になったんやと思うよ。先生も吉田さんに強く言わなかったんはね、そういう吉田さんの家の事情を知ってるからなんよ」
 だから、吉田さんは白から黒に変わったんや。なんとなく分かった。
「先生、なんとなく分かった。吉田さんはまた白になるかな?」
「それは先生でも分からんよ。山岡君からみて、今度は青色とかになるかもしれへんやん? その時に感じた色から、また吉田さんを見て、どう思うかってその時に考えよ。今は黒に変わったのは、吉田さんは家の事情で、大変な時やから黒に変わったって思うようにしたらええと思うよ」
「先生、吉田さんのことは分かった。あと聞きたいんはな、非常ベルの犯人探しをしてた時な、みんな神様に誓ってもいいって言ってはってん。神様ってなんなん? 僕からしたら、神様の言葉は薄黄色やねん。それはな、パンの匂いを嗅いだ時に感じる薄黄色やねん。だから神様はパンになるねんけど、みんなはパンに誓ったことになるん?」
「山岡君は、色を感じる天才やね。ゲロの匂いからも色を思い浮かべはるし、神様という言葉からも色を思い浮かべはるし。先生にはそういうのないねんよ。山岡君は、神様はいると思う?」
「それが分からへんねん。先生は神様はいると思う?」
「神様がいるかどうかは、別にどっちでもいいんよ。先生から見た神様について、教えてあげようか?」
「うん、教えて」
「例えばね、山岡君に分かりやすいように説明するよ」
「うん、お願いします」
「もし神様がいたら、その神様は成功も失敗もしてはるねんよ。山岡君は言葉を見ても、吉田さんの後ろ姿を見ても、匂いからも色と結びつける事が出来る。これは普通の人には持ってない感覚なんよ。山岡君を創ったのは色の神様が創ったと先生は思うんよ。色の神様は、物事と色とを結びつける山岡君を創って、物事から色を感じ取れるようにして、普通の人とは違う世界を山岡君に見せてあげてる事をしはってん。これは神様の成功やと先生は思うよ」
「え? みんな色が見えてへんの?」
「色は見えてるけど、物事と色とを結びつけるのは、普通の人はあまりないんよ。山岡君は絵が好きやろ? 絵の具で色を自由に使える、山岡君だけの色の世界を絵で表現する事が出来る。それは凄い才能になるんよ」
「僕って才能があるんや」
「でもね、山岡君がこの世に誕生させたのは神様の失敗やねんよ。山岡君はずっと仲間はずれやんか。山岡君からしたら、仲間に入りたいのに、ずっと仲間はずれ。それは神様の失敗。山岡君が悪いんと違うねんよ。神様が悪いねんよ。だからね、神様というのは、成功も失敗もしはるから、普通の人間と変わらへんねんよ。山岡君が言うように、神様は普通のパンなんよ。ここまで山岡君は分かる?」
「うん、凄く分かる。やっぱり先生は天才や」
「それでやよ、他の生徒達が神様に誓ってもいいわに対して何も言わへんかったのはね、他の生徒達が神様に対して、どう思っているかを先生は知らないから言えないんよ」
「それってどういう意味?」
「他の生徒達は、神様に対して尊敬してはるかもしれへんし、単に流行っているから神様に誓ってもいいわって言ってるだけかもしれへんし。前にも山岡君にお話した事あるねんけど、愛は地球を救うの愛は、その人の視点でどう思ってるか分からない、すごくデリケートな言葉なんよ。神様も愛も難しい言葉やから、先生は何も言えないんよ」
 僕には愛が分からないし、神様も分からない。だから、神様に誓ってもいいって言葉の意味も分からなかった。言葉は難しいと先生は言っているのだと思った。でも、僕が言った一億円を賭ける事に対しては怒っていた。先生に聞くしかない。
「先生、僕が一億円を賭ける事には怒ったけど、それはなんでなん?」
「一億円を賭けてもいいわに対して注意したんはね、山岡君はまだ一億円に対して蓄膿症になってないやろ? 山岡君が本当に一億円について蓄膿症になったら、きっと違う言葉で言ってたと思うよ。昔、九九は雛人形やって言ってたみたいにね。違う?」
 僕はまだ一億円について蓄膿症にはなってなかった。
「うん、まだ一億円について蓄膿症になってない」
「それに、山岡君は一億円を持ってるん?」
 僕が一億円なんて持っているはずがない。
「全然持ってない。家に二十円ぐらいしかないねん」
「山岡君は一億円を持ってないのに、一億円を賭けるって言ってるねんよ。山岡君は、嘘をついた事になるねんよ? 分かる?」
「うん、分かる。ごめんなさい」
「素直でよろしい。山岡君は、今のままやったら一億円を稼ぐ事は出来ない事を、先生が教えてあげるわ」
「はい」
「山岡君はさっき、吉田さんと結婚したいから、白い絵を描いて毎日プレゼントしたいって言ってたやんか。男の子ってね、だいたいの子は、何かプレゼントする時に、物をお金で買って、それを渡したりする子が多いんよ。山岡君は、自分で絵を描いて自分で創った物を吉田さんにプレゼントしようとしてるやろ? それって、すごく大事な才能になるんよ。普通の子は、あんまり考えつかない発想になるんよ。そこまでは分かる?」
 僕には分からなかった。
「先生、僕が吉田さんに絵を描いてプレゼントするのは、普通の事やと思うねんけど」
「それが、普通じゃないねんよ。女の子は、手作りのプレゼントとか上げたくなるけど、男の子はお金で買って済ませようとするんよ。そのうち、山岡君にも分かる時が来るから。山岡君が、吉田さんと結婚したいというのは夢になるんよ。その夢を実現したいから、山岡君なりに考えて、吉田さんに自分で創った白い絵をプレゼントしようとするのは、山岡君は夢に向けて走りだそうとしてるんよ」
「他の子は、そんなことせえへんの?」
「する子もいるやろうけど、小学二年生でそこまで夢の発想をして、自分で創った物をプレゼントしたい子は、今まで先生してきた中で、見た事がないんよ。先生がね、山岡君を難しく感じるのは、そういうところもあるんよ。山岡君は一億円を稼ぐんじゃなくて、一億円以上の才能を持ってるんよ。先生でも欲しいぐらいの沢山の才能。でもね、一億円を賭けてもいいわって嘘をついてばかりしてたら、その才能を発揮する事ができなくなるんよ。嘘ばかりついてたらね、自分の本当の気持ちが分からなくってね、自分の素直な気持ちも失って、夢を追いかける事が出来なくなるんよ。素直な気持ちを持ち続けた人にしか、その才能は発揮出来ないし、夢を実現する事も出来なくなるんよ。山岡君は、物事と色を結びつける才能を持っているけど、嘘ばかりついてたら、その才能も失ってしまうんよ」

 先生の話は長いけど、言っている事はなんとなく分かる気がする。僕は嘘をついてる時、嘘がバレへんかずっと気になる。ずっと嘘がバレへんか考える人生は、しんどそうと思った。
「先生、なんとなく意味が分かった気がする。嘘ついてる時な、嘘がバレへんか気になって、頭が便秘みたいになるねん。ウンコがずっと頭に詰まってる感じになるから、分かる気がするねん。そんな時に絵とか描かれへんし、吉田さんと結婚する事も考えられへん」
「山岡君、頭が便秘になるのと、頭が蓄膿症になるのと、どういう違うがあるん? 先生からしたら、どっちも詰まってる感じがするねんけど」
「お母さんがな、いつも便秘って言うねん。何日もウンコが出ないの便秘って言うらしいねん。僕も便秘するねんけど、便秘は焦げ茶色になるねん。あっ!」
 僕は今、何か分かった気がする。
「山岡君、どうしたん?」
「先生、ちょっとまって。分かった気がするねん」
 ゲロの匂いも、ウンコの匂いも、便秘の時も、嘘をついてる時も焦げ茶色。そして僕は、焦げ茶色は嫌いな色。吉田さんがゲロを吐いた時、最初は焦げ茶色みたいに臭かった。でも、吉田さんのゲロの中から、白い牛乳みたいな可愛い白があった。
「先生、分かったわ」
「何がわかったん?」
「ゲロの匂いもな、ウンコの匂いもな、便秘の時もな、嘘をついてる時もな、全部、焦げ茶色やねん。僕はな、焦げ茶色は嫌いやねん。好きな色は、白と青紫色やねん。吉田さんのゲロは最初な、焦げ茶色みたいに臭かってんけど、ゲロの中から可愛い白の匂いがしたから、吉田さんの事が白になって、吉田さんの事が好きになったんやと思うねん」
「山岡君にとっては、焦げ茶色は嫌いなんやね」
「うん。それでな、吉田さんも白やし吉田さんと結婚するのも白やし、先生が言ってた夢って、白色になると思うねん。白色の夢を見たかったら、嘘つきの焦げ茶色はあかんって事やろ?」
「山岡君から見たら、そういう事になるんやろうね」
「嘘ついてたら、頭が便秘みたいに焦げ茶色になって、白い吉田さんが焦げ茶色で見えなくなって、吉田さんと結婚できひんくなるんや。白色の夢を見たかったら、焦げ茶色の嘘はあかんって事になるんや。先生、分かった。もう嘘つかへん」
「先生にはさっぱり分からへんけど、山岡君は、気づいみたいやね。夢を追いかけたかったら、嘘をつかない純粋な気持ちにならないといけないんよ。白色ってね、純粋の色って言われてるんやよ。純粋な白色を持ち続けたら、白い夢を手に入れる事が出来るようになるんやろうね」
「先生って凄いな。やっぱり天才やわ」
「山岡君の才能は、夢を見つけて突き進む才能もあるんよ。だけどやね、山岡君の夢を壊す事を言うけど、吉田さんにプレゼントするまではいいんよ。何かを手作りして、それをプレゼントするのは、本当にいいこと。でもね、その先があかんと思うよ」
「その先? 吉田さんのゲロを食べるのがあかんの?」
「吉田さんに限らず、きっと自分の吐いたゲロを食べられたら、もっと恥ずかしくなると思うよ。島津さん、自分の吐いたゲロ食べられるの、恥ずかしくない?」
 あ、島津を待たせていたの忘れてた。島津の方を振り向くと、どこか不機嫌そうな顔に見えた。そして島津は、「普通の女の子やったら、もの凄く恥ずかしくなると思う。ウチは自分の吐いたゲロを食べらるの考えた事ないから、ようわからんけど、きっとウチでも恥ずかしくなると思う」と言った。
「ほら、島津さんも言ってるやんか。先生も自分の吐いたゲロを食べられるのは、恥ずかしくなるんよ。山岡君は、もう少し人の気持ちを理解する必要があるんよ。人の気持ちが分かる人間になったら、きっと山岡君は吉田さんと直接、お話ができるようにもなるし、吉田さんとお話して吉田さんの気持ちが理解出来たら、吉田さんと山岡君は仲良しになれると思うよ」
 吉田さんが、僕と仲良し? どうしよう。
「先生、どうしよう。吉田さんに好きって言われたら」
「こら、山岡君。顔がにやけすぎやよ。先生は、仲良しになれるかもしれないっていったんよ。はやとちりやよ」
 やっぱり僕は吉田さんと結婚する運命なんやと思った。そして僕の頭はすっきりした。気分がいい。
「先生、もう心臓発作は治りました。やっぱり、先生って凄いんやと思う」
「山岡君の頭は、これからは島津さんに見てもらいよ。島津さんとお話して、島津さんの気持ちが分かるようになったら、人の気持ちも分かるようになるから。あと最後にね、先生から山岡君に、どうしても聞いておきたい事があるんよ」
 先生が僕に聞きたい事って何やろか。
「島津さん、もうちょっと待っててね」
「ウチは大丈夫です」
 島津に聞かれてるの、なんか恥ずかしいけど、我慢するしかない。早く先生に聞くことにした。

「先生、聞きたいことって何?」
「昔、パン工場の社会見学に行ったん覚えてる?」
 それは覚えていた。ずっと給食の時にパンの匂いを嗅いで、パン工場のことを思い出したりしてるから。
「うん、覚えてる。ずっと覚えてるよ」
「その時にね、社会見学が終わった後に、先生はパン工場で学んだ事を書きなさいと言ったん覚えてる?」
「あ、それ覚えてる。なんでか言うたらな、僕はパン工場で何も学んでないのに、パン工場の絵を描いただけで、先生からマルをもらってびっくりしてん」
「山岡君も、あのマルをもらってびっくりしてたんやね。先生も山岡君の絵を見てびっくりしてたんよ」
「それは何でなん?」
「山岡君の絵は、パン工場の天井からの視線で描いてるんよ。あの時、山岡君は忍者になって、天井からパン工場を見てたんか?」
「違う。忍者になれへんから、みんなと同じところから見てた」
「先生はね、パン工場で学んだ事を書きなさいと、みんなに問題を出してたんよ。あのパン工場のわら半紙もテスト問題。それでね、社会見学のテスト問題で、みんなが本当に学んでいるのか、学んでいないのかを、先生はマルを付けたりバツを付けたりするんよ。そこまでは分かる?」
「うん、分かる」
「マルを付ける時は、学んだ事はあってるよと付けて、バツを付ける時は、学んだ事は間違ってるよと、きちんと先生にも気持ちがあって付けるんよ。山岡君は、テストでマルとかバツとか付けられてるの、先生にも気持ちがあるの知ってた?」
 そんな事、考えた事もなかった。
「全然知らんかった。でもな、将来の夢作文が返ってきた時に、最後に赤い文字で先生がな、虫歯は移るから歯を磨きなさいって書いてたから、あれから歯は磨いてるねん。あの時は、めっちゃ嬉しかったわ」
「あれから山岡君は歯磨きをしてるんやね。その作文の赤い文字も先生の気持ち。マルやバツを付けるのも先生の気持ち。分かる?」
「うん、なんとなく分かる」
「でもね、山岡君の絵を見た時、天井からのパン工場の様子を絵で描いてるから、それは学んだ事なんか、学んでないんか、先生の頭は氷みたいになってんよ」
先生が頭を抱えて、頭を痛そうにした。そして、また僕の方を見て話を続けた。
「先生は十二年間、ずっと先生をして来たけど、はじめてマルを付けていいのか、バツをつけていいのか、どっちにしていいのか、先生が迷ったんよ。先生は問題を出す側なのに、山岡君のパン工場の絵は先生に対してね、この絵はパン工場の事を学んだ絵ですかって、山岡君から問題を出されて、先生は山岡君からの問題を答える側になってたんよ。立場が逆転してしまってたんよ」
「僕の絵が、先生みたいに問題を出す事になってたん?」
「そうやねんよ。先生が山岡君のパン工場の絵にマルをつけたんはね、バツを付ける理由がどこにもなかったんよ。マルを付けるにもやね、きちんと学びましたねと気持ちを持って付けないとあかんのよ。もう先生はね、山岡君に降参の気持ちでマルを付けたんよ。山岡君のパン工場の絵問題は、先生には答えられへんというマル。最後に聞きたいのはね、どうして天井から見たパン工場の絵を描いたん? みんなは文字で学んだ事を書いてるか白紙か落書きのどれかやったけど、山岡君だけ絵で描いてたんよ。それを山岡君に教えて欲しいねんよ」
 僕はあの時、暇だから描いた絵だったし、先生に問題を出すつもりで絵を描いてない。先生は考えすぎだと思った。あっ、天井から絵を描いた理由を思い出した。先生に言わないといけないと思った。
「先生な、僕からしたら先生は考えすぎやと思うねん。だってな、別にパン工場で学んだ事なんてないから、暇やからパン工場の絵を描いただけで、意味なんてないねん。それにな、天井の上からパン工場の絵を描いたんは、水戸黄門にな赤い手裏剣を投げるチクリのおっさんがおるねん。そのチクリのおっさんな、いつも天井から下を覗いてな、それで話を聞いてな水戸黄門にチクるねん。あのチクリのおっさんみたいに、天井から覗いてみたら、どうなるかなって思って描いてたんやと思うわ」
「山岡君、その人の名前は弥七って言うねんよ。それに赤い手裏剣じゃなくて、赤い風車。水戸黄門様の仲間の人で、なんにもチクってないねんよ」
「えぇー。だってな、いつも天井から覗いてな、水戸黄門にチクったろって、めちゃ悪い顔するねんで」
「山岡君、勘違いにも程があるよ。弥七は悪いことしている人達を天井から覗いて、わるだくみを聞いて、そういうことだったんやねって真実を聞いた顔をして、水戸黄門様に風車で、わるだくみの内容を伝えてるねんよ。なにもチクってないねんよ」
「先生、あのおっさんは仲間と違うと思う。だってな、たまにしかでてけえへんねんで。きっとな、出てこない時は、違う人にチクりに行ってると思うねん」
「もう、何回もチクるっていいな。先生、水戸黄門のドラマ好きやのに、弥七が出てきたら、先生まで弥七がチクりに行ってるって思ってしまうやんか。弥七も、たまに水戸黄門様と歩いてるシーンとかあるねんよ」
「僕もみたことある。あのおっさんな水戸黄門に、いつもチクったってるねんから、なんかくれみたいな顔してるもん。絶対に悪い人やと思うわ。チクってばっかりやと思う」
「日本中どこ探しても山岡君だけやで。弥七をチクり魔みたいに言うの。とりあえず分かったわ。要するに、山岡君は弥七の気持ちを知りたいから、天井からのパン工場の絵を描いたんやね」
「うん、そう。でも、僕は誰にもチクらへんで」
「分かったから。話してみないと分からんもんやね。これで山岡君のパン工場の秘密も分かったから、先生もすっきりしたわ。あとは山岡君が、人の気持ちと弥七は正義の味方やって事が理解出来たら、先生も安心できるんよ。もう遅くなってしもうたね。先生から家の方に連絡しとくから、気をつけて帰りよ。島津さんも、後は山岡君の事、お願いしとくよ」
 
 
 僕と島津は、暗くなりそうな寒い外を家へ向けて歩いた。そして僕は今になって、島津の手が温かい事に気づいた。
「島津の手は、温かいねんな。いつも登下校してたのに、今になって気づいたんは、少しずつ話すようになったからやろな。僕はもう人の気持ち、理解出来てるやんな?」
 すると島津は、いきなり僕のお腹をグーでパンチした。長く待たせたから、怒ってしまったのかもしれない。
「島津ごめんて。あんなに時間かかると思てなかってん。でも、グーでお腹をパンチするの、どうなん? あしたのジョーでも、せえへんと思うねんけど」
「あんたは、ようテレビ見てるな。あしたのジョーは、ウチも力石徹が死ぬまでの再放送は見てたけど、そんなんどうでもええねん。あんたは、もう少し頭がええんかと思ってたけど、ウチの勘違いやったわ」
「どういう意味なん?」
「あんた、吉田さんなんて諦めや。あの子は、仲間はずれの素数とは違うねんから、いくら吉田さんに片思いしても、なんにもならへんねんで」
「なんで吉田さんは仲間はずれの素数と違うんよ」
「給食で吉田さんがゲロ吐いた時、吉田さんの友達が何人も励ましたりゲロの後始末とかしたりして、友達に囲まれてたやろ? ウチも転校してきたばっかりの時で、よう覚えてるけど、吉田さんはどこも仲間はずれとちゃうねんで」
 僕はあのもらいゲロ事件を思い出した。あの時、吉田さんは何人かの女子に囲まれて、励まされたりしていた。吉田さんは友達が多いから、僕は相手にされないと言いたいんやろか。
「友達が多い吉田さんと僕は、友達になられへんってこと?」
「友達どころか、相手にされへんで。諦めや」
「えーーー。僕はどうしたらいいんやろ・・・」
「あんたには、ウチがおるやろ? 少しはウチに感謝しいや」
 島津にそんなことを言われても、吉田さんと島津は全然違う。吉田さんが白い結婚ケーキやとしたら、島津は二十円の駄菓子屋でいつでも売ってるお菓子。でもそれを言ったら、またお腹をグーでパンチされてしまうかもしれへんから、何も言わずにいることにした。

 僕は空を飛んでいる黒いカラスを見ていた。いつも家の近所で黒いカラスに頭を突かれて「やめんかいワレ。ワシを誰や思っとるんじゃボケ!」とカラスとお話が出来る近所の河内のおっさんがいる。河内のおっさんも、きっとカラスとお話をして、いろんな事を分かり合っているんだと思う。いつか河内のおっさんに、カラスのことを聞いてみようと思った。

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