第13話 侍狩り(5)

文字数 2,521文字

 (しのび)特有の長く疲れない足運びで走る源之丞の耳には、既に喧騒が届いていた。大勢の人間が駆け回る音、悲鳴、そしてなにかを打ち壊す音――


 ――数が多いな。


 火が放たれていないことは救いだが、大人数であれば源之丞には分が悪い。長刀も失ったままなのだ。しかし、町が襲われているとなれば――それも、先ほどのような手練(てだれ)がいるとなれば――このまま放っておくわけにもいかない。

 源之丞は足を止めた。すぐに新之助が追いつく。


「町は?」


 新之助もまた、息ひとつ乱していないのはさすがである。


「火を放たれるか、一人ずつ闇討ちでもされるかしたら手の打ちようもござらんが……どうやらそうではないらしい」

「ふむ」


 源之丞の言葉に、新之助が頷く。


「ならば敵の目的は保土ヶ谷宿の制圧か」

「おそらく」


 源之丞は新之助にそう答えつつ、考えを巡らせた。江戸がああなったことで、野盗が跋扈するのは予想できたことだ。保土ヶ谷宿には米蔵も、江戸に輸送する物資もある。だが――どうもこれは、それだけが目的ではない。


「彦右衛門殿は?」

「お糸さんと一緒に行かせた」


 源之丞は頷く。その方がよいだろう。相手が組織だった動きをしているのだとすれば、源之丞達だけではどうにもならない。ならば避難が先決だ。


「苅部殿や町の人たちが心配だ……それがしが忍んで参る。新之助殿は……」

「うむ、周囲の民を逃がすとしよう」

「相手は侍と見れば問答無用で殺しにかかって参ります。お気をつけて」


 新之助は頷き、踵を返して走り去る。源之丞は道を外れ、木立の中に飛び込んでその中を音もたてずに駆け出した。

 * * *

 街道沿いの広い四つ辻に、町の人々が集められていた。源之丞は近くの町屋の屋根越しに身を潜め、その様子を伺う。怪我をしている者はいるが、どうやら無暗に殺すことはしないようだ。

 人々の周囲には、それぞれに武装した何人かの男たちがいた。山伏のような姿であったり、南蛮風の衣装を着ていたり、ほとんど裸同然の姿に装飾品ばかりじゃらじゃらと着けていたり、いずれも異様な風体で統一感はない。強いて言えば、髷を結っている者は誰一人としていなかった。だが、その異装と佇まいからは、彼らがただの野盗ではなく、それぞれになにかしらの手練(てだれ)であることが見て取れる。


「聞くがいい、保土ヶ谷の同胞たちよ」


 その中に、ひと際目立つ男がいた。六尺に迫る大柄な身体に、派手な肩衣と金の毛皮を纏った姿――「天狗」というのがいるとすればあのような姿かもしれない、と思う。源之丞の位置からその顔は伺えなかったが、異形とさえいえるその姿にも関わらず、伸びた背筋は凛とした爽やかさを感じさせた。


「今この時より、ここは我らが治める土地となる。諸兄らは大切な我らの民だ。一切危害を加えるつもりはない」


 大して腹に力を入れているとも思えないのによく響く、それでいて柔らかい声音。源之丞はそれが、(しのび)の使う声音(こわね)術であることを看破した。町の人々はその声を聞き、ほっとしたようだ。


「……ただし!」


 にわかに、男の声に殺気がはらむ――いや、それもまた声音術で演出されたものか。

 男の声に応えるように、一人の男がその前に連れ出された。浪人風の侍である。宿場に滞在していたのであろう。


「……侍は別だ」


 言うや否や、大柄な男は手に持った剣を浪人の喉へと突き立てた。一切の迷いもなく、抵抗する隙もなく。

 噴き出す血と共に、遺骸が大地に崩れ落ちる。大柄な男はその剣についた血を拭いもせず、声を張り上げた。


「天からの授かりものであるこの大地を、我が物顔で勝手に切り分け、諸兄らをそこに縛り付けて搾取する……侍は我らにとって、共通の敵なり! あの『雲』は、驕り高ぶった侍どもの不自然なる都である江戸に、天が下した裁きなのだ!」


 男の演説は徐々に熱を帯びていった。


 ――まずい。


 源之丞は男の狙いを理解した。そしてそれは成功するだろうとも思われた。


「よいか、大地は諸兄ら民のものだ。民が耕し、作った米は民が食べるべきなのだ。元来、ここ保土ヶ谷に侍はおらず、皆で上手くやっている。必要ないのだ、侍は」


 集められた人々は、目の前で起きた突然の惨劇に恐怖する間もなく、放心している。その間隙に流し込まれるように、大型な男の話は続く。効果は覿面(てきめん)だろう。人々の中には、身を乗り出す者さえいる。

 源之丞は一味の顔をひとりずつ目に焼き付けた。先ほど刃を交えた鼠色の男はいない。だが、間違いなくあの一味の仲間のはずだ。源之丞たちのことは既に伝わっていると見ていい。だとすれば、町の人々を助けるどころか、丸ごと敵に回る恐れさえある――


「あの『雲』は大地を我らの手に取り戻す狼煙! 輪廻の中に閉じ込められ、無残に切り刻まれた(とき)を、再び(とこ)へと回帰させる『常世(とこよ)の井戸』なり。広漠たる大地で悠久なる時に抱かれて生きる我ら大地の民の暮らしを、今こそ取り戻す……我らは天より生を授かり、地に生き、人を討つ、『破人の衆』なり!」


 周囲の男たちが「応、応!」と声を挙げた。囲まれた人々は今や、完全にその雰囲気に呑まれていた。こうなればもう、流されるだけだろう。

 と、源之丞は気が付いた。そういえば、苅部清兵衛の姿が見当たらない。あの賊がここを狙って来たのなら、真っ先に本陣を襲うはずである。逃げおおせたのか、それとも、既に――

 その時、首魁らしきその大柄な男が振り返り、源之丞は初めてその顔を見た。白い素肌に刃物で切れ目を入れたようなその目が――源之丞の視線と交錯する。

 源之丞は身を翻して屋根から飛び降りた。


 ――見られた!


 その場を離れるべく、駆け出す。


「忍術遣いの侍だ! 狩れ!」


 背後から声が上がるのが聞こえた。源之丞は路地を駆け、先ほど来た道を戻ろうとする――いや、新之助たちを巻き込んでしまうか? だが、あの「破人の衆」とやらの様子を伝えなければ、新之助も命が危ない。

 一瞬の逡巡が、足を鈍らせたのかもしれない。林へと駆けこもうとした源之丞の前に、何者かが立ちはだかった。


「……よう源之丞。久しいなぁ?」

「お主は……!」


 それは、源之丞にとって見慣れた顔――髷を落とし、髪を短く切った旗本・土橋左門であった。
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