第14話 騒乱の律動
文字数 3,120文字
「なぜお主が、ここに……? いや」
源之丞は脇差に手をかけながら問いかける。
「ここにいたら侍は狩られるはずだが……」
「別に大したことではない。
「……!」
左門は抜身の剣を提げ、酷薄な笑みを浮かべた。その表情は以前よりも却って活き活きとしているようにさえ見える。
「あれは幕府に盾突く逆賊だぞ。正気か?」
「その幕府がないのだ、叛逆もクソもありはすまい!」
左門がそう言って踏み込み、剣を振る。
「……ッ!」
源之丞は飛び退って間合いを外し、斬撃をかわした。
「……元来、主君を七度変えるのが武士のあるべき姿だという。これから天下は荒れるのだ、忠義を尽くす相手には事欠くまいよ」
左門は剣を上段に構え直して言った。源之丞は懐手に手裏剣を用意しつつ、脇差を抜いて左手に構える。
「その相手が、あの大男か。由井正雪もかくやという誇大妄想狂にしか見えぬがな」
「いざとなったら斬ればよい。そういう条件で仲間になった」
「……!」
左門の全身から、殺気が放たれていた。人の放つ気は、その者の心根と言葉に大きく左右される。なれば、先の言は紛れもなく本気だろう。同僚として接していた際には丹の奥に抑えられていたであろう、ドス黒い怒気。それが今や、溢れ出さんばかりだった。
「貴様を斬るという命は、越前守・真鍋詮房からのものだが……やりかけの仕事をそのままにするのは気分が悪い。きっちり片をつけさせてもらう!」
左門はそう言って、上段に構えたまま一気に間合いを詰め――そのまま袈裟斬りに斬りつけた。
「……ぬっ!?」
源之丞は身体を開いてそれを躱す。
――ヴァッ!
源之丞の刃が繰り出されるより速く、左門の剣が
「開眼したか、土橋左門!」
地に手をついて踏みとどまりながら、源之丞は瞠目した。前回の斬り合いとはまるで別人――まるで解き放たれた獣だ。人を取り巻く世界が変わることで、太刀筋までもがこのように変化するものか。
源之丞は間合いを取ろうと、横走りに駆ける――と、そこに別の殺意が襲い掛かった。
「……ちぃっ!」
源之丞は宙を舞い、飛来した殺意の塊を避ける。足元で地面が砕けた。
再び地に降り立って見れば、砕けた地面から黒い塊が戻っていくのが見えた。鎖分銅――その跳び戻る先に、数珠を首にかけた小男が鎖鎌を構えていた。
「ひーっひっひっ、新入りよぉ……あいつは自分の獲物だから邪魔するな、などとは言うまいな?」
「言わぬ。俺は殺せればそれでいい」
そう言って左門はまた、踏み込んで源之丞へ襲い掛かる。
「むぅっ……!」
斬撃が二度、三度――躱して距離を取ろうとしたところへ、鎖鎌から飛ぶ分銅の一撃。即席の連携であるはずが、それは絶妙な呼吸だった。左門だけでも厄介なものを、源之丞は受けに回るので手一杯となり、反撃も逃亡も、糸口が掴めない。
「てりゃあああっ!」
――ギィン!!
左門の斬撃を源之丞は脇差で受け流す――一対一の立ち合いであれば即座に攻撃後の隙をつくことも出来るはずが、そこに分銅が飛んでくる。
――ガガッ!
分銅の鎖が脇差に巻き付いた。まずい――! すかさず、源之丞は脇差を手放した。そこへ左門の剣が振り降ろされ、源之丞は飛び退る。鼻先を斬撃が掠めた――危なかった。鎖に絡まれた脇差を手放すまいと抵抗すれば、今頃腕が斬り飛ばされていただろう。
源之丞は鎖鎌の男を見た。脇差を捨て、分銅をまた構えてこちらの動きを伺っている。
――「拍子」を見ているな。
源之丞は相手の術をそう見て取った。
鎖鎌というのは、江戸の世に入ってから開発された武具である。それは「侍殺し」のために作られたといってもいい。剣を構えた侍の間合いの外から、その剣を封じ、寄れば鎌で斬りつける――そういう思想の武器だ。
相手の呼吸を読み、その動く先へ分銅を投げつけることが肝要になる技は、忍 の術とも相性がいい。だからこそ、獣の如き左門の斬撃とも連携を取ることができるのだろう。
ならば――源之丞は呼吸を溜め、次の攻撃に備えた。
「おぉらぁっ!」
大声を上げながら、小男が分銅を投げる――恐らく、その大声も拍子をあわせるためのものだろう。源之丞はその攻撃を、左門の方へと飛んで躱した。
「馬鹿がっ!!」
上段から斬撃が振り降ろされる。雷鳴にも似た響きを伴い、振り降ろされるそれを、源之丞は避け、間合いを外す。
二撃、三撃――源之丞はその場に留まって、または大きく飛び退って、攻撃を躱すのに徹し続けた。剣先が腹をかすめ、鎖が頬を焼く。受けることさえできない中、すれすれの攻防が続き――
――ジャリッ
不意に、その瞬間は訪れた。左門の肩が伸びた鎖に触れたのだ。その瞬間、源之丞は思い切って前方に踏み込む――
「むぅっ!?」
そこへ飛んで来る左門の斬撃、それを――
――ガンッ!
「んぐっ!?」
肉薄した源之丞は、左門が剣を振るうその拳に、自らの額を当てた。反動で刃が腕を掠めたが、致命傷ではない。そして源之丞はそのまま、小男の方へと駆け抜ける。
「……ッ!」
小男が鎖のたるんだ分銅を引き寄せようとした、その一瞬――
――ドスッ!
源之丞の放った手裏剣が、小男の額に刺さった。鎖が緩んだ分だけ、隙が生まれたのだ。
源之丞がこれまで、すれすれで攻撃を躱していたその足運び、それこそが「乱れ葉」の術――動きの速度や踏み込みの距離を意図的に変え、拍子を乱す技である。戦場において、弓で狙われる中を駆けるために生み出された技――相手や仲間の拍子に合わせ、連携を取るような術者には致命的であろう。左門と組んで源之丞を襲ったことが、却ってこの小男には不幸であったかもしれない。
小男が崩れ落ちるのを見るまでもなく、源之丞は振り返った。
「はぁっはっはっ! さすがは美濃部源之丞!」
左門がそう叫びながら、剣を再び構えていた。源之丞はその向こう側に、何人かが駆けつけてくる様を見た――まずい。さすがにこんな状況で、さらに何人とも戦えるわけがない。
源之丞はすかさず左門に背を向け、駆け出した。
「ふははははは! 逃げるか源之丞! いいぞ、また追ってやるからな! はぁーはっはっ! 愛しているぞぉ!」
背後から左門の声がした。背筋に走る悪寒をこらえ、源之丞は駆ける――町から離れ、どこへ逃げよう。新之助たちはどうしただろうか――
――どどっ、どどっ、どどっ
その時、別の方角からまた別の喧騒が聞こえてきた。すわ、こちらからも敵か――と身構える源之丞の耳に、よく通る声が聞こえてくる。
「美濃部さん!」
見れば、何匹かの馬がこちらに駆けてくる――その馬上に、お糸が乗っていた。後方には新之助と彦右衛門の姿も見える。
「乗って!」
お糸がそう叫ぶのに応え、源之丞はお糸の後ろに飛び乗った。
「この馬は!?」
「ここは東海道五十三次だよ! 伝馬くらいあるさ!」
そう言ってお糸は馬の腹を蹴る。源之丞が周りを見れば、他の馬の上には源之丞と彦右衛門、そして苅部清兵衛に、斜視の男、巫女姿の少女もいた。
「どこへ行くんだ!?」
「南へ向かう!」
今度は新之助が怒鳴り返した。源之丞は頷く。
「しっかり掴まってなよ!」
そう言われて、源之丞はお糸の細い腰に掴まるべきかどぎまぎとする。
一行は馬を駆けに駆け、保土ヶ谷宿から遠ざかっていった――その様子を宿場から、「破天の衆」の首魁の大男が
「侍に仇なす侍もいれば、我らに仇なす同胞もあるか……ふふふ、『律』が乱れて来たようだ……」
異装の大男――牛頭丸は不敵に笑った。
源之丞は脇差に手をかけながら問いかける。
「ここにいたら侍は狩られるはずだが……」
「別に大したことではない。
狩る側についた
というだけよ」「……!」
左門は抜身の剣を提げ、酷薄な笑みを浮かべた。その表情は以前よりも却って活き活きとしているようにさえ見える。
「あれは幕府に盾突く逆賊だぞ。正気か?」
「その幕府がないのだ、叛逆もクソもありはすまい!」
左門がそう言って踏み込み、剣を振る。
「……ッ!」
源之丞は飛び退って間合いを外し、斬撃をかわした。
「……元来、主君を七度変えるのが武士のあるべき姿だという。これから天下は荒れるのだ、忠義を尽くす相手には事欠くまいよ」
左門は剣を上段に構え直して言った。源之丞は懐手に手裏剣を用意しつつ、脇差を抜いて左手に構える。
「その相手が、あの大男か。由井正雪もかくやという誇大妄想狂にしか見えぬがな」
「いざとなったら斬ればよい。そういう条件で仲間になった」
「……!」
左門の全身から、殺気が放たれていた。人の放つ気は、その者の心根と言葉に大きく左右される。なれば、先の言は紛れもなく本気だろう。同僚として接していた際には丹の奥に抑えられていたであろう、ドス黒い怒気。それが今や、溢れ出さんばかりだった。
「貴様を斬るという命は、越前守・真鍋詮房からのものだが……やりかけの仕事をそのままにするのは気分が悪い。きっちり片をつけさせてもらう!」
左門はそう言って、上段に構えたまま一気に間合いを詰め――そのまま袈裟斬りに斬りつけた。
「……ぬっ!?」
源之丞は身体を開いてそれを躱す。
後手を取り
、返す刃を――――ヴァッ!
源之丞の刃が繰り出されるより速く、左門の剣が
跳ねた
。まるで重さなどないかのように、間断なく襲い掛かるそれを、辛うじて源之丞は外す。「開眼したか、土橋左門!」
地に手をついて踏みとどまりながら、源之丞は瞠目した。前回の斬り合いとはまるで別人――まるで解き放たれた獣だ。人を取り巻く世界が変わることで、太刀筋までもがこのように変化するものか。
源之丞は間合いを取ろうと、横走りに駆ける――と、そこに別の殺意が襲い掛かった。
「……ちぃっ!」
源之丞は宙を舞い、飛来した殺意の塊を避ける。足元で地面が砕けた。
再び地に降り立って見れば、砕けた地面から黒い塊が戻っていくのが見えた。鎖分銅――その跳び戻る先に、数珠を首にかけた小男が鎖鎌を構えていた。
「ひーっひっひっ、新入りよぉ……あいつは自分の獲物だから邪魔するな、などとは言うまいな?」
「言わぬ。俺は殺せればそれでいい」
そう言って左門はまた、踏み込んで源之丞へ襲い掛かる。
「むぅっ……!」
斬撃が二度、三度――躱して距離を取ろうとしたところへ、鎖鎌から飛ぶ分銅の一撃。即席の連携であるはずが、それは絶妙な呼吸だった。左門だけでも厄介なものを、源之丞は受けに回るので手一杯となり、反撃も逃亡も、糸口が掴めない。
「てりゃあああっ!」
――ギィン!!
左門の斬撃を源之丞は脇差で受け流す――一対一の立ち合いであれば即座に攻撃後の隙をつくことも出来るはずが、そこに分銅が飛んでくる。
――ガガッ!
分銅の鎖が脇差に巻き付いた。まずい――! すかさず、源之丞は脇差を手放した。そこへ左門の剣が振り降ろされ、源之丞は飛び退る。鼻先を斬撃が掠めた――危なかった。鎖に絡まれた脇差を手放すまいと抵抗すれば、今頃腕が斬り飛ばされていただろう。
源之丞は鎖鎌の男を見た。脇差を捨て、分銅をまた構えてこちらの動きを伺っている。
――「拍子」を見ているな。
源之丞は相手の術をそう見て取った。
鎖鎌というのは、江戸の世に入ってから開発された武具である。それは「侍殺し」のために作られたといってもいい。剣を構えた侍の間合いの外から、その剣を封じ、寄れば鎌で斬りつける――そういう思想の武器だ。
相手の呼吸を読み、その動く先へ分銅を投げつけることが肝要になる技は、
ならば――源之丞は呼吸を溜め、次の攻撃に備えた。
「おぉらぁっ!」
大声を上げながら、小男が分銅を投げる――恐らく、その大声も拍子をあわせるためのものだろう。源之丞はその攻撃を、左門の方へと飛んで躱した。
「馬鹿がっ!!」
上段から斬撃が振り降ろされる。雷鳴にも似た響きを伴い、振り降ろされるそれを、源之丞は避け、間合いを外す。
二撃、三撃――源之丞はその場に留まって、または大きく飛び退って、攻撃を躱すのに徹し続けた。剣先が腹をかすめ、鎖が頬を焼く。受けることさえできない中、すれすれの攻防が続き――
――ジャリッ
不意に、その瞬間は訪れた。左門の肩が伸びた鎖に触れたのだ。その瞬間、源之丞は思い切って前方に踏み込む――
「むぅっ!?」
そこへ飛んで来る左門の斬撃、それを――
――ガンッ!
「んぐっ!?」
肉薄した源之丞は、左門が剣を振るうその拳に、自らの額を当てた。反動で刃が腕を掠めたが、致命傷ではない。そして源之丞はそのまま、小男の方へと駆け抜ける。
「……ッ!」
小男が鎖のたるんだ分銅を引き寄せようとした、その一瞬――
――ドスッ!
源之丞の放った手裏剣が、小男の額に刺さった。鎖が緩んだ分だけ、隙が生まれたのだ。
源之丞がこれまで、すれすれで攻撃を躱していたその足運び、それこそが「乱れ葉」の術――動きの速度や踏み込みの距離を意図的に変え、拍子を乱す技である。戦場において、弓で狙われる中を駆けるために生み出された技――相手や仲間の拍子に合わせ、連携を取るような術者には致命的であろう。左門と組んで源之丞を襲ったことが、却ってこの小男には不幸であったかもしれない。
小男が崩れ落ちるのを見るまでもなく、源之丞は振り返った。
「はぁっはっはっ! さすがは美濃部源之丞!」
左門がそう叫びながら、剣を再び構えていた。源之丞はその向こう側に、何人かが駆けつけてくる様を見た――まずい。さすがにこんな状況で、さらに何人とも戦えるわけがない。
源之丞はすかさず左門に背を向け、駆け出した。
「ふははははは! 逃げるか源之丞! いいぞ、また追ってやるからな! はぁーはっはっ! 愛しているぞぉ!」
背後から左門の声がした。背筋に走る悪寒をこらえ、源之丞は駆ける――町から離れ、どこへ逃げよう。新之助たちはどうしただろうか――
――どどっ、どどっ、どどっ
その時、別の方角からまた別の喧騒が聞こえてきた。すわ、こちらからも敵か――と身構える源之丞の耳に、よく通る声が聞こえてくる。
「美濃部さん!」
見れば、何匹かの馬がこちらに駆けてくる――その馬上に、お糸が乗っていた。後方には新之助と彦右衛門の姿も見える。
「乗って!」
お糸がそう叫ぶのに応え、源之丞はお糸の後ろに飛び乗った。
「この馬は!?」
「ここは東海道五十三次だよ! 伝馬くらいあるさ!」
そう言ってお糸は馬の腹を蹴る。源之丞が周りを見れば、他の馬の上には源之丞と彦右衛門、そして苅部清兵衛に、斜視の男、巫女姿の少女もいた。
「どこへ行くんだ!?」
「南へ向かう!」
今度は新之助が怒鳴り返した。源之丞は頷く。
「しっかり掴まってなよ!」
そう言われて、源之丞はお糸の細い腰に掴まるべきかどぎまぎとする。
一行は馬を駆けに駆け、保土ヶ谷宿から遠ざかっていった――その様子を宿場から、「破天の衆」の首魁の大男が
視て
いた。「侍に仇なす侍もいれば、我らに仇なす同胞もあるか……ふふふ、『律』が乱れて来たようだ……」
異装の大男――牛頭丸は不敵に笑った。