第10話 侍狩り(2)

文字数 3,719文字

「まさか、こんな折に葛野様がお忍びでいらっしゃってるなんてねぇ……」


 頬の肉を震わせ、煙管(きせる)をふかしながら苅部清兵衛が言った。まだ三十前の若い男だ。しかし、その姿にはある種の風格が備わっている。やや肥えた身体の上に、子供のような顔が乗っているのが不釣り合い(アンバランス)だった。


「隠居した義父(ちち)からも、気さくな御方だとは伺っておりましたが……いやはや、感服ですわ」

「江戸に所用があって参ったのだ」

「贔屓の花魁にでも会いにいったので?」


 清兵衛はそう言って身体を揺すり、下碑た笑いを浮かべた。

 源之丞は前に座る彦右衛門を盗み見た。ここからではその表情は伺えないが、恐らくそのこめかみには青筋が浮いているだろう。源之丞は源之丞で、新之助がやはり、本物の葛野藩主・松平頼方であったことについて妙に感心していた。


「葛野様の器量だ。最高の花魁でも(なび)くでしょうなぁ……いやあたしもねぇ、江戸の親父殿などよりも、女たちの方が心配でね」

「あいにく、田舎藩主の息子ゆえそうした遊びには疎くてな。今度案内を願いたいものだ」


 新之助が軽い調子で応じ、清兵衛はまた笑った。

 若狭守は「狸」と評したが、どちらかというとガマ蛙に似ているな、と源之丞は内心で思っていた。また、新之助とのやり取りを聞きながら、きっとこの男はこれで敬意を払っているつもりなのだろう、とも感じていた。

 当代の苅部清兵衛は七代目で、江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門から嫁いだ入り婿だという。紀伊国屋文左衛門と言えば、大名でさえも頭を下げて金を借りに来る天下の豪商だ。その息子にして、保土ヶ谷宿本陣の主ともなれば、下手な大名よりもよほど強い権勢を誇る。だからこそ「下種な町人として」相手に接するのが商売人としての処世術なのだろう。


「あたしのところでも、江戸からの物も人も、なんにも入って来やしませんわ。帷子(かたびら)川から江戸に品を運ぶ船も、どうも途中で帰って来ちまいやしてね。だが……まさか本当に江戸に入れないとはねぇ」


 清兵衛は煙を吐いて首を振った。新之助がその身を乗り出す。


「私たちはこれから東海道を西に向かう。いずれ、尾張か小田原から沙汰があるだろうが、道中奉行殿や代官所とも協力の上、近隣の混乱をどうか治めてもらいたい」

「ふ、ふ、ふ、代官所ですか」


 清兵衛は腹の奥からこみ上げるような含み笑いをもらした。


「あたしら宿場を預かるもんは、毎日どこぞの馬の骨とも知れない輩とやりあわにゃならんのでしてね……書歌算盤が生業のお侍さまよりも、切った張ったの得意な連中がここにはごろごろしとるんですわ。わざわざ代官所にお出ましにならなくとも……」

「……清兵衛! 武士を嬲るかお主!」


 耐えきれなくなった彦右衛門が声を荒げるが、清兵衛はどこ吹く風と言葉を継ぐ。


「有馬様、あたしぁ商売人だ。しかも分不相応にこの宿場を預かる身。刀も差さねぇ身の上で、やり繰りをしなくちゃなんねぇんでさぁ。建前ではどうにもならぬゆえ、実際の話をしておるのですよ」

「なんと……!」

「幕府とは連絡が取れぬのでしょう? ならば抜かない刀など意味はございやせぬ」


 一理ある、と源之丞は思う。すなわち、苅部清兵衛は侍の側に覚悟を問うているのだ。町人である苅部は権威ではなく、実利で人を動かしてきたのだろう。江戸が消息を絶った今、権威で事態は動かないという、それは警告だった。なるほど、若狭守が立腹するわけだ。


「……よし、ならばその者たちに会おう」


 ――と、不意に新之助が言った。彦右衛門は半ば浮かせた腰を捻って、新之助の方に振り返る。


「新之助様……!?」

「確かに、宿場の治安は宿場の民が守ってきたもの。矢面に立つその者たちに会って話をするのが筋というものだ」

「さすが葛野様、

がいいですな」


 新之助の言葉を聞いて、清兵衛は煙管を置いた。

 * * *

 清兵衛の手代に案内され、行った先は宿場の外れに建つ寺だった。


「ここが、その者たちの溜まり場というわけかね?」


 新之助が言うと、手代はへぇ、と応えて眉を顰める。


「わざわざお会いにならずとも……あまり柄のいい連中ではございませんで……」

「それは楽しみだ」


 新之助はそう言ってずかずかと境内の中に踏み込んでいく。彦右衛門が慌ててそのあとを追った。


「新之助様……何度も申し上げますが、松平の家格に相応しいお振舞いというものをですな……」

「わかった、彼らの前ではそうしよう」

「いえ、そもそもそのような(やから)に会うということがですな……!」


 この御方の家臣は大変だな、と思いながら、源之丞はその後をついていく。

 ――と、寺の堂からなにやら、賑やかな声が聞こえてくるのに源之丞は気が付いた。


「さあ張った張った! 張って悪いは親父の頭! 襖と盆は張らないことにゃ閉まりもしないよ!」


 男たちの声を突き抜けて聞こえてくる、威勢のいい女の声だった。


「……賭場ですな」

「うむ。まだ日のある内から度胸のいいことだ」


 当然、この時代にも賭博はご法度である。しかし、奉行の手の及ばない寺などで賭場が開かれるのはよくあることでもあった。眉を顰める彦右衛門を気にする様子もなく、新之助は歩を進めていく。

 入口に立つ身体の大きな男は、新之助たちを見て少し不思議そうな顔をしたが、中の様子がひと段落ついたところで戸を開けた。宿場を訪れた侍が遊びに来るのも、そう珍しいことではないのだろう。


「おっ! 新しい人かい!? 今抜けるやつがいるから、空いたとこに……」


 茣蓙を敷いた盆の真ん中でツボを手にしていた小柄な女が、新之助の顔を見た――と、目を丸くする。


「あーっ! あんた、この前のいい男!」

「やはりお糸さんだったか。いや、小気味のいい声の調子ですぐわかったよ」


 そう言いながら、新之助は盆茣蓙の空いたところにさっさと座った。


「……知り合いですか?」


 源之丞が尋ねると、彦右衛門はため息をつく。


「あれが例の、箱根関で見事な啖呵を切って見せた女性(にょしょう)よ。新之助様はいたくお気に入りでな。まさか、ここの宿場の者だったとは……」


 ほう、と感心して源之丞はお糸を眺めた。鮮やかな朱と紫の小袖を着崩して肌を出すという傾いた姿だが、あどけなささえ残るその顔はコロコロとよく動く。


「それにしても、このような時に盆を開いているとはな」


 新之助がそう言うと、お糸ははにかむように笑った。


「それが逆でねぇ。江戸から人もなにも来なくって、宿場はヒマなんだ」

「ははあ、なるほど」

「それでじっとしてたらみんな不安だろう? だからこんな時こそやるべきなのさ。普段笑ってない奴ぁ、いざって時に使い物にならないもんだからね。ほら、そこの佐吉みたいに」


 突然水を向けられた佐吉――箱根関でお糸と一緒だった男だ――は、ぶすっとしていた顔を跳ねるように驚かせ、周囲の笑いを誘った。負けが込んでいたのだろう。


「さてみんな、お侍さんが入るらしいけど、いいかい?」


 お糸が場に声をかけると、盆茣蓙(ぼんござ)を囲んだ男たちが一斉に新之助を見た。どいつもこいつも、向こうっ気の強そうな頼もしい顔である。


「つやつやした顔してんなぁ。丁半の意味はわかんのかい?」

「乳母に教わったよ」


 男の一人に切り返す新之助に、座が湧いた。


「それでは……!」


 と、お糸が(さい)を振ろうとしたのを、新之助はちょっと待って、と制して振り向く。


「源之丞殿もどうだね?」

「……ひょ?」


 彦右衛門と並んで成り行きを見守っていた源之丞は、予想外の誘いに妙な声をあげてしまう。


「お主の目の冴え、見せてもらいたいな」

「は、はあ……」


 源之丞は集っている男たちを見回した。ニヤニヤと笑みを浮かべながら、挑発的な表情を浮かべている。


 ――カモにしようというのだな。


 育ちの良さそうな新之助、旗本としてそれなりの身なりをしている源之丞――こうした場には不慣れだと踏まれたようだ。


「こちらのお侍さんは、丁半をやったことは?」

「ない」


 男の一人が席を空け、座った源之丞を周囲が含み笑いで迎える。彼らにとって、宿場を訪れる侍たちを博打で狩る機会はなによりの楽しみなのだろう。


「安心しなよ、イカサマなんてねぇからさ」


 斜視気味の男がそう声をかけた。

 イカサマがないなら、丁半博打の的中率は五分と五分。完全な運の勝負だ。技術の入る余地がない以上、意図して相手を狩るなどということができるはずもないが――しかし、この男たちにはどうも勝算があるらしい。


 ――面白いな。


 源之丞の心に、悪戯心が芽生えてきていた。
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