第7話 斬り合いの流儀

文字数 3,772文字

「……お主が刺客だったのか」


 源之丞は周囲の気配を探りながら、声をかけた。目前には三人、雲の中の気配は恐らく二人――ここに出るように誘導されたのだろう。


「フフフ……いいねぇ、いつも取り澄ましてたお前が、そういう顔をするとはねぇ」


 土橋左門は抜身の剣をぷらぷらとさせながら笑った。


「俺もびっくりしたぞ。お前が柳沢美濃守の密命で京に向かってる、なんて聞いたもんでな」

「真鍋様からの指示か?」

「お前は知らなくていいことだ」


 左門とその仲間が、半円を縮めようとしていた。


 ――まずい。


 忍術遣いにとって、数を頼みに取り囲まれ押し切られるのは最大の鬼門だ。力押しの乱戦に先手も後手もありはしないのだ。しかも、源之丞は剣を失っていると来ている。

 源之丞は背後を警戒しつつ、わずかに立ち位置をずらしながら、声をかける。


「それがしを捕え、拷問するのかね?」

「いいや、ここで斬る。そういう命ゆえな」


 そんなことはわかっていた。先の問いはただの時間稼ぎである。その間、源之丞は必死にこの窮地を切り抜ける手立てを探している。


「……密命だ刺客だと、言っている場合ではないだろう」


 これも時間稼ぎだが、本音でもある。江戸そのものが

してしまっているのだ――このような状況では、源之丞の密命にどれだけ価値があるか、わかったものではない。

 だが、源之丞にとっての不幸は、目の前の男が土橋左門であることだっただろう。


「関係ねぇだろう。俺はお前を斬る。上意討ちってやつでな」


 左門は酷薄な笑みをその頬に貼りつけている。剣は無外流の達者で、石高も大身。それにも関わらず、役目に恵まれないのは、剣術道場の後輩をいたぶるような残忍さのためであるという噂だ。辻斬りを疑われたことさえある。


「どうした? 構えろよ源之丞。お前もかなりの遣い手だと知っているぞ?」


 左門は源之丞の反応を待っているようだった。他の者たちも、手槍や刀を構えたまま襲って来ようとはしない。源之丞が忍術を遣うことを予め聞き、警戒しているのかもしれない。


「侍は斬り合いが仕事だ。それなのにこの太平の世では、剣を使わず座ってなにもしない奴の方が偉いらしい。気に入らねぇじゃねぇか……お前もそうだろう? お前とは友達になれると思ってたんだ、俺は」


 左門がそう言いながらにじり寄った。

 源之丞としては、折れた剣を今構えるわけにはいかない。せっかく相手が警戒をしてくれているのだから、その

はなるべく後出しにした方がいい。こちらが構えるのを待っているのなら、ぎりぎりまでそれに付き合うべきだ――


「……どうしたぁ!? 斬り合おうぜ友達よぉ!?」


 痺れを切らした左門が、手にした剣を振り回す――斬撃とも言えぬ、ただ剣を振り回しただけだが、間違っても受けるわけにはいかない――源之丞は間合いを外してそれを避ける。

 背後から走り出てくる気配がある。前の三人も得物を構え、輪を狭めてくる。


 ――もはや、これまでか!

 源之丞は脇差に手をかけ――瞬時に地を蹴った。右側の手槍を持った男に、身体ごとぶつかる。


「……ぐぬっ!?」


 不意を突かれた手槍の男は鑪を踏む。そこへ、源之丞は脇差を抜き放った。(もつ)れ合った中での斬撃は命に届かないが、相手をひるませるには充分だ。その隙に、包囲を突破して外へ――


「ぬん!」


 左門の剣が伸びた。体制を崩したままの源之丞はそれを辛うじてかわす。その隙に、もう一人の男が源之丞の逃げ道を塞いだ。


 ――そう上手くはいかないか!

 源之丞は左手で長刀を抜き――折れたままのそれを、左門に投げつけた。


「……なっ!?」


 折れた剣は左門の肩に当たった。虚をつかれた左門に隙が生まれる――普通ならこれで決着するところだが。源之丞は囲みを抜けようと身体を捻じり、身体を低くして駆け出そうと――


 ――ガキィッ!

「うがっ!?」


 と、手槍の男の蹴りが腰に入り、源之丞は地に転がった。

 ――やはり、浅かったか。源之丞は悔やみながらも素早く身体を起こす。周囲は再び取り囲まれていた。


「なんだよ、これ……興醒めだなぁ」


 左門が折れた剣を拾い、弄びながら言った。


「まぁでも、さっきのは結構ヒヤッとしたしな……ここいらで終わっとくとしようか」


 源之丞は既に手の中に手裏剣を構えていた。だが、これをいきなり投げても次の手が繋がらない。頭の中であらゆる行動を考え、組み立てる――が、包囲を突破する二手、三手先がどうしても繋がらなかった。

 せめて、

があれば――源之丞が唇を噛んだその時だった。


「そこな、しばらく!」


 不意に、包囲の外から別の声がした。左門たちが振り向く。そこにいつの間にか、着流し姿の浪人が立っていた。


「……雲の根元で斬り合いとは、随分不穏なことだ。これは一体、どういった事情のものかな?」


 浪人が傘を上げる。目深に被った傘の下から覗く顔は陶器のように滑らかで、垂れ気味の目元には若さが漲っている。育ちのよさそうなその顔立ちは、浪人のものとも思えない。


「……貴殿には関係のないことだ。お引き取りいただこう」


 刺客の内の一人が答えた。着流しの男は傘を脱ぎ、応じる。


「しかし、数を頼んでたった一人を斬ろうとするのが尋常とは思えないな。準備も念入りなようだ」

「……こいつは大罪人で、俺たちはそれを追って来た、ってのはどうだい? 若ぇの」


 左門がいう言葉に、着流しの男はからからと笑った。


「江戸がこのようなときに、大罪人を追う武士もあるまい。それも、この『雲』の根元でな。どう見ても、そなたたちの方が怪しかろう」

「……ふん」


 左門が抜身の剣を男に見せて言う。


「だったらどうする? 俺たちとやり合う気か?」

「……加えてその物言い。決まりだな」


 ――と、若い侍と源之丞の目が合った。その時、源之丞は瞬時に、若い侍の意を理解した。


「……しぇやっ!」


 源之丞は立ち上がりざま、脇差で刺客の一人を突く。それを合図に、若い侍が踏み込んだ。


「馬鹿め!」


 別の刺客がそこへ斬りつける。刀を抜いている者と、抜いていない者では当然、既に抜いている者が速い。若い侍は刀も抜かぬまま、その斬撃をその身に受けるかに見え――


 ――ガッ!!

「ぐへっ!?」


 声にならぬ呻きと共に、刺客の剣が止まった。若い侍が左手で鞘のままの刀を腰から抜き、斬撃を受けたのだ。同時にその拳が、刺客の鳩尾(みぞおち)へとめり込んでいた。

 源之丞の突きは防がれていた。だがその時、源之丞はすでに脇差を手放していた――あの侍が一人を引き受けてくれるなら、




 ――ドスッ!


 次の瞬間、手槍を構えていたもう一人の刺客の眉間に、手裏剣が突き立っていた。


「………ぎぇっ……」


 反対側から別の悲鳴が聞こえた。見れば若い侍が、刺客の一人を背中から地に叩きつけていた。そして侍は、手にした長刀を源之丞に投げて寄こす。


「使え!」


 源之丞は受け取った刀を構え、振り向く。そこに、雲の中から走り出た別の刺客が迫っていた。源之丞はその刺客に向かって、その足を踏み込み――


 ――ヴン!


 刺客の振り降ろした剣が空を斬った。

 そこにいたはずの源之丞は、その体勢をまったく変えずに半歩、下がっている。踏み込んだと見えたのは、源之丞の放った「気」が刺客に見せた幻覚――!

 そして次の瞬間、隙を晒した刺客の首元が、源之丞の抜き打ちで深々と斬り下げられた。


「……ちっ!」


 源之丞が振り向いたとき、左門の姿は既に遠く離れていた。形勢不利と見るや、逃げに転じたらしい。見事な判断力だと言える。


「助太刀など不要だったかな」


 声をかけられて、源之丞は若い侍の方を見た。その足元には、さらにもう一人の刺客が倒れ込んでいた。腕があらぬ方向に曲がっている。


「……御手前こそ、剣も遣わずに見事なものだ。拳法(やわら)か?」

「関口流を少々」


 そう言って若い侍はにかっと笑った。源之丞は剣の血を拭い、その侍に返す。


「助太刀がなければ危なかった。礼を申し上げる」

「なんの」


 若い侍は剣を腰に戻しながら、源之丞に興味深げな視線を向ける。


「大罪人とは見えないが……一体どういうわけで、あのようなことになっていたのだね?」

「それは……」


 源之丞が口ごもったその時、また別の声がした。


「新之助様!」


 声のする方を見れば、袴を身に着けた立派な身なりの武士がこちらへと駆けてくるところだった。


「新之助殿、と申すか」

「ああ、これは申し遅れた」


 問いかけに対し、若い侍――新之助は改めて源之丞に向き直る。


「私は松平新之助。先代の紀州藩主・徳川光貞が子にして、葛野藩を預かる者だ」
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