第11話 侍狩り(3)
文字数 3,649文字
「二・六の丁!」
威勢のいいお糸の声に、悲喜こもごもの叫びが上がった。盆茣蓙の上に置かれた木札 が集められて勝った方に配られる。源之丞は自分の木札が回収されていくのを眺めていた。
ここまで10回ほどの勝負で、勝ったのは2回。新之助の方は4回。先ほどの斜視の男は、7回。
徐々に、源之丞にもこの勝負の形が呑み込めてきた。丁半に賭ける者が同数程度に揃うまで、勝負は成立しない。まごまごしていると、残った方に賭けるしかなくなってしまう。
斜視の男は、いずれの勝負でも真っ先に丁半を宣言していた。つまり、
だが、それだけでは源之丞と新之助が揃って負けていることを説明できない。
そもそも、100回も200回もやればこそ、丁半の出目は五分になる。10回や20回で確率は安定しないのだ。
熱くなればなるほど、「次は丁が出るはずだ」「そろそろ半が来る」などと、思考に期待感が混じる。そうなればなるほど、予測と現実は離れていき、焦燥感は強くなる。人間は当たった時よりも、外れた時の方が強く印象づくものだ。
それに加えて――
「偏りがあるのだな」
源之丞が不意に言ったその言葉に、周囲がぎょっとして顔を上げる。
「イカサマなんかねぇって言ってんだろ!」
男たちの一人が怒鳴るが、斜視の男がそれを手で制した。
「お侍さんの言う通りだ。賭場にはクセってもんがある。サイコロのクセやら、床のクセやらな」
源之丞は木でできた賽 を見た。この土地の大工か誰かが手慰みに作ったものだろうか。木目の密度は一定ではないし、完全に正確な正六面体でもないだろう。盆茣蓙にもわずかな傾きがあるかもしれない。
だとすれば、ずっとここで賭場を張っているこの者たちは、そのクセを理解して丁半に張っていることになる。そういえば、斜視の男の賭ける側はいつも先に木札 が揃ってしまっていた。旅の途中で訪れた侍が勝てないのも道理だ。
「特に今日はよく当たる。俺も調子がいいようだ……さて、どうするね? やめとくかい?」
「いや」
源之丞は即答した。せっかく
「続けよう。やってくれ」
「へへ……いい度胸だね! そんじゃ行くよ!」
お糸が賽を投げ、壺を振って盆茣蓙の上に伏せた。
「さあ、どっちもどうぞ!」
お糸が壺を止め、そう言った語尾に被せるようにして、源之丞が声を挙げた。
「三・四」
場に静かなざわめきが奔った。
「なんて?」
お糸が問うのに、源之丞は繰り返す。
「三・四だ。それ以外ならそれがしの負けで構わぬ」
賭場に集まった男たちが呆れかえっているのがわかった。皆一様に口を開け、自分が賭けるのも忘れている。
「……では、私は半に」
新之助がそう言ったのを皮切りに、それぞれが慌てて自分の目を宣言する。斜視の男は半に賭けていた。
「コマが揃ったね……では、勝負!」
お糸がツボを開く――その目は果たして、三・四の半。場がどよめいた。
「ほらほら、ピーピー喚くんじゃないよ! 次いくよ!」
木札 を配り終えてもまだ動揺の収まらない場に向かってお糸が言い放ち、また壺を振る。
「四・一」
またもや源之丞はそう宣言し――そして、的中した。
そのまま、勝負を続けること七度。内二回は外したものの、源之丞は出目をぴたりと言い当て続けた。
「まいったまいった! もうわかったよ、今日は負けだ!」
男の一人がそう言って木札 を投げ出したのを皮切りに、他の男たちも勝負を終えることを宣言した。斜視の男がため息をつき、源之丞に言う。
「イカサマどころじゃねぇな……一体どんな妖術で?」
「そんな怪しいものではない。お糸さんが投げる動きから賽の目を追っただけだ」
「なんと……?」
源之丞はふぅ、と息をついた。なかなかに集中力を酷使する術ではあるのだ。
「賽の目は結果……投げる時の目の位置、角度、その後の壺の動きや音……それらを追えば、その因果の帰結は自ずとわかるもの。賽のクセと流れを見極めるのに、10手ほど要したが、まぁなかなかの出来だな」
忍術において、わずかな動きや空気の揺れ、衣擦れや匂いなどから敵の動きを読み、
「いやぁ、お見事! 連れてきてよかった!」
途中から堂々と源之丞に乗って勝った新之助がさも愉快そうに笑う。
「少々やり過ぎ申した。大人気なかった」
「いやいや、見物であった! 見事見事」
源之丞は苦笑した。この気楽な御曹司は、本当にただこの賭場を楽しんでいただけのようだ。
「侍なんて、軟弱なだけの連中だと思ってたけど……」
お糸は改めて目を丸くしていた。
「あんたらはなんか違うみたいだ。いやー、驚いた……」
その横で斜視の男が頭を掻く。
「いや、まったくだ。あんな真似ができるのはこの前の……お糸の連れてきたあの巫女さんくらいだと思ってたが……」
「巫女?」
新之助が反応する。
「それはもしかして、箱根関で託宣を行ったあの巫女かね?」
「ああ、そうだよ。江戸に行けなくなっちまったからね。とりあえずうちに置いてやってるんだ」
お糸が答えた。新之助がふむ、と頷く。
「お糸さんのうちというのは?」
「この寺がそうだよ。親父が住職」
ほう、と意外に思って堂の中を見たところで、斜視の男が話を続ける。
「あの巫女さんは出目までは当てなかったが、最初っから丁半を全部言い当てたぜ。まったく、世の中にはそういうことのできる奴がいるってことかねぇ」
「もしかして、源之丞殿の親戚かな?」
新之助はそう言って軽口を叩いたが、それはあながちあり得ない話ではなかった。源之丞が用いる忍者の情報収集術と、巫女の託宣には通ずるところがある。そもそも、その源流は同じなのだ。太古の昔、山野に生き、土地に縛られることなく生きて中央の支配を拒み続けた民――一部では山賊や逆賊と呼ばれ、また一部では鬼とも呼ばれた民がその源流にはある。
その巫女の力がどのようなものかはわからないが、そこまで驚くようなことでもない、と源之丞は思う。土地や時間を切り分けて、人の手の内にしてきた律令国家の民には理解できなくとも、それらは人が本来持っている力に違いはないのだ。
「さて、なんだかんだ日も暮れちまったね。お侍さん方、今夜の宿は?」
お糸が手を叩き、場を開こうとした。外を見れば、確かにもう夜の帳 が落ち切っている。
「ああ、私たちは本陣に……」
お糸の問いかけに答えようとして、新之助は途中で口をつぐんだ。さすがにこの場で、本陣に泊まっているというのはバツが悪いらしい。
「……まぁ、その辺りの宿にな。ところで……」
新之助は話を曖昧に誤魔化し、身を乗り出した。
「少し話があるんだがね」
新之助に真っすぐ目を覗き込まれ、お糸は頬を赤らめて顔を逸らした。
* * *
「そこの先が代官所だ」
翌日、源之丞と新之助、彦右衛門の3人は、お糸の案内で現地の代官所へと向かっていた。
「まあ代官所だって言っても、大方のことは苅部様がやってるからね。幕府との連絡係くらいなものさ。足軽だって数人しかいないし、荒事には私たちが出張るからね」
そう言ってお糸は胸を張る。あの賭場に集まっていた地元の荒くれ男どもが、旅人の行き交う町の自警組織として役割を果たしているわけだ。お糸は女だてらにその顔役ということらしい。
「だからこそ、お主たちの力を借りたいのだ。なにしろ江戸がこんな状況ゆえな」
新之助が笑いながら応じる。
「道中奉行殿が難を逃れたのは幸いだった。いずれ小田原藩あたりから動きがあるだろうが、奉行殿はその時のため、ここら辺りの動きを取りまとめているだろう。ならば。宿場のことはお主たちが動いてくれる方がいい」
「ふうん、なるほどねぇ……」
「存分に働いてもらいたい。幕府の直命でな」
お糸は不思議そうな顔で新之助を見た。
「もしかして、新之助様って幕府の直臣かなにか? 旗本とか?」
「うん、まあそんなものだ」
本物の旗本である源之丞は、そのやり取りを後ろで聞きながら考えていた。つまり、頭の固いあの若狭守を、新之助はうまく取りなしてお糸たちと連携させようとしているのだ。確かに、ことこの事態においてはその方がいいだろう。
(これが、新之助殿が在ろう としている姿なのか……?)
わずかな反発を覚えるのは、源之丞自身に今、拠り所がないからだろうか。
――と、その時、異臭が源之丞の鼻につく。
「新之助殿」
声をかけると、一瞬遅れて新之助もその気配に気が付いたようだった。
「これは……」
――血の匂い。新之助が言い終わるよりも早く、源之丞は駆け出した。
道の角を曲がり、代官屋敷の門を潜ると、そこの情景が目に飛び込む。春先の鮮やかな緑が萌える庭先に、広がった血の海と、転がった肉塊。そして――
「……ほう、まだ侍がいたか」
鼠色の髪と衣に、紅の返り血を浴びた男が、源之丞の方を振り返る。
「ならば、狩らねばならんな」
男は表情ひとつ変えずに言った。
威勢のいいお糸の声に、悲喜こもごもの叫びが上がった。盆茣蓙の上に置かれた
ここまで10回ほどの勝負で、勝ったのは2回。新之助の方は4回。先ほどの斜視の男は、7回。
徐々に、源之丞にもこの勝負の形が呑み込めてきた。丁半に賭ける者が同数程度に揃うまで、勝負は成立しない。まごまごしていると、残った方に賭けるしかなくなってしまう。
斜視の男は、いずれの勝負でも真っ先に丁半を宣言していた。つまり、
先に賭けなくては五分五分の勝率を維持できない
のだ。だが、それだけでは源之丞と新之助が揃って負けていることを説明できない。
そもそも、100回も200回もやればこそ、丁半の出目は五分になる。10回や20回で確率は安定しないのだ。
熱くなればなるほど、「次は丁が出るはずだ」「そろそろ半が来る」などと、思考に期待感が混じる。そうなればなるほど、予測と現実は離れていき、焦燥感は強くなる。人間は当たった時よりも、外れた時の方が強く印象づくものだ。
それに加えて――
「偏りがあるのだな」
源之丞が不意に言ったその言葉に、周囲がぎょっとして顔を上げる。
「イカサマなんかねぇって言ってんだろ!」
男たちの一人が怒鳴るが、斜視の男がそれを手で制した。
「お侍さんの言う通りだ。賭場にはクセってもんがある。サイコロのクセやら、床のクセやらな」
源之丞は木でできた
だとすれば、ずっとここで賭場を張っているこの者たちは、そのクセを理解して丁半に張っていることになる。そういえば、斜視の男の賭ける側はいつも先に
「特に今日はよく当たる。俺も調子がいいようだ……さて、どうするね? やめとくかい?」
「いや」
源之丞は即答した。せっかく
わかってきた
ところなのだ。「続けよう。やってくれ」
「へへ……いい度胸だね! そんじゃ行くよ!」
お糸が賽を投げ、壺を振って盆茣蓙の上に伏せた。
「さあ、どっちもどうぞ!」
お糸が壺を止め、そう言った語尾に被せるようにして、源之丞が声を挙げた。
「三・四」
場に静かなざわめきが奔った。
「なんて?」
お糸が問うのに、源之丞は繰り返す。
「三・四だ。それ以外ならそれがしの負けで構わぬ」
賭場に集まった男たちが呆れかえっているのがわかった。皆一様に口を開け、自分が賭けるのも忘れている。
「……では、私は半に」
新之助がそう言ったのを皮切りに、それぞれが慌てて自分の目を宣言する。斜視の男は半に賭けていた。
「コマが揃ったね……では、勝負!」
お糸がツボを開く――その目は果たして、三・四の半。場がどよめいた。
「ほらほら、ピーピー喚くんじゃないよ! 次いくよ!」
「四・一」
またもや源之丞はそう宣言し――そして、的中した。
そのまま、勝負を続けること七度。内二回は外したものの、源之丞は出目をぴたりと言い当て続けた。
「まいったまいった! もうわかったよ、今日は負けだ!」
男の一人がそう言って
「イカサマどころじゃねぇな……一体どんな妖術で?」
「そんな怪しいものではない。お糸さんが投げる動きから賽の目を追っただけだ」
「なんと……?」
源之丞はふぅ、と息をついた。なかなかに集中力を酷使する術ではあるのだ。
「賽の目は結果……投げる時の目の位置、角度、その後の壺の動きや音……それらを追えば、その因果の帰結は自ずとわかるもの。賽のクセと流れを見極めるのに、10手ほど要したが、まぁなかなかの出来だな」
忍術において、わずかな動きや空気の揺れ、衣擦れや匂いなどから敵の動きを読み、
後手
を取るための基礎的な法――「来眼」と呼ばれる術法だった。「いやぁ、お見事! 連れてきてよかった!」
途中から堂々と源之丞に乗って勝った新之助がさも愉快そうに笑う。
「少々やり過ぎ申した。大人気なかった」
「いやいや、見物であった! 見事見事」
源之丞は苦笑した。この気楽な御曹司は、本当にただこの賭場を楽しんでいただけのようだ。
「侍なんて、軟弱なだけの連中だと思ってたけど……」
お糸は改めて目を丸くしていた。
「あんたらはなんか違うみたいだ。いやー、驚いた……」
その横で斜視の男が頭を掻く。
「いや、まったくだ。あんな真似ができるのはこの前の……お糸の連れてきたあの巫女さんくらいだと思ってたが……」
「巫女?」
新之助が反応する。
「それはもしかして、箱根関で託宣を行ったあの巫女かね?」
「ああ、そうだよ。江戸に行けなくなっちまったからね。とりあえずうちに置いてやってるんだ」
お糸が答えた。新之助がふむ、と頷く。
「お糸さんのうちというのは?」
「この寺がそうだよ。親父が住職」
ほう、と意外に思って堂の中を見たところで、斜視の男が話を続ける。
「あの巫女さんは出目までは当てなかったが、最初っから丁半を全部言い当てたぜ。まったく、世の中にはそういうことのできる奴がいるってことかねぇ」
「もしかして、源之丞殿の親戚かな?」
新之助はそう言って軽口を叩いたが、それはあながちあり得ない話ではなかった。源之丞が用いる忍者の情報収集術と、巫女の託宣には通ずるところがある。そもそも、その源流は同じなのだ。太古の昔、山野に生き、土地に縛られることなく生きて中央の支配を拒み続けた民――一部では山賊や逆賊と呼ばれ、また一部では鬼とも呼ばれた民がその源流にはある。
その巫女の力がどのようなものかはわからないが、そこまで驚くようなことでもない、と源之丞は思う。土地や時間を切り分けて、人の手の内にしてきた律令国家の民には理解できなくとも、それらは人が本来持っている力に違いはないのだ。
「さて、なんだかんだ日も暮れちまったね。お侍さん方、今夜の宿は?」
お糸が手を叩き、場を開こうとした。外を見れば、確かにもう夜の
「ああ、私たちは本陣に……」
お糸の問いかけに答えようとして、新之助は途中で口をつぐんだ。さすがにこの場で、本陣に泊まっているというのはバツが悪いらしい。
「……まぁ、その辺りの宿にな。ところで……」
新之助は話を曖昧に誤魔化し、身を乗り出した。
「少し話があるんだがね」
新之助に真っすぐ目を覗き込まれ、お糸は頬を赤らめて顔を逸らした。
* * *
「そこの先が代官所だ」
翌日、源之丞と新之助、彦右衛門の3人は、お糸の案内で現地の代官所へと向かっていた。
「まあ代官所だって言っても、大方のことは苅部様がやってるからね。幕府との連絡係くらいなものさ。足軽だって数人しかいないし、荒事には私たちが出張るからね」
そう言ってお糸は胸を張る。あの賭場に集まっていた地元の荒くれ男どもが、旅人の行き交う町の自警組織として役割を果たしているわけだ。お糸は女だてらにその顔役ということらしい。
「だからこそ、お主たちの力を借りたいのだ。なにしろ江戸がこんな状況ゆえな」
新之助が笑いながら応じる。
「道中奉行殿が難を逃れたのは幸いだった。いずれ小田原藩あたりから動きがあるだろうが、奉行殿はその時のため、ここら辺りの動きを取りまとめているだろう。ならば。宿場のことはお主たちが動いてくれる方がいい」
「ふうん、なるほどねぇ……」
「存分に働いてもらいたい。幕府の直命でな」
お糸は不思議そうな顔で新之助を見た。
「もしかして、新之助様って幕府の直臣かなにか? 旗本とか?」
「うん、まあそんなものだ」
本物の旗本である源之丞は、そのやり取りを後ろで聞きながら考えていた。つまり、頭の固いあの若狭守を、新之助はうまく取りなしてお糸たちと連携させようとしているのだ。確かに、ことこの事態においてはその方がいいだろう。
(これが、新之助殿が
わずかな反発を覚えるのは、源之丞自身に今、拠り所がないからだろうか。
――と、その時、異臭が源之丞の鼻につく。
「新之助殿」
声をかけると、一瞬遅れて新之助もその気配に気が付いたようだった。
「これは……」
――血の匂い。新之助が言い終わるよりも早く、源之丞は駆け出した。
道の角を曲がり、代官屋敷の門を潜ると、そこの情景が目に飛び込む。春先の鮮やかな緑が萌える庭先に、広がった血の海と、転がった肉塊。そして――
「……ほう、まだ侍がいたか」
鼠色の髪と衣に、紅の返り血を浴びた男が、源之丞の方を振り返る。
「ならば、狩らねばならんな」
男は表情ひとつ変えずに言った。