第12話 侍狩り(4)

文字数 3,118文字

 代官所の侍たちが死体となって転がるその前に、鼠色の男は真っすぐに立っていた。背が高く手足も長く、鼠色の髪の毛と相まって、まるで異国人のような印象を与える。痩身であるがしなやかな肉体が、今にも躍動せんとはち切れんばかりに引き締まっていた。

 男は頬についた返り血を無表情に拭い、口を開く。


「侍は、狩る……」


 そう言って、その身がわずかに沈んだ。


 ――来る!


 源之丞がその構えに対応しようとした、次の瞬間――男の指先が源之丞の目を突こうと、その寸前に迫っていた――


「……くっ!?」


 身を逸らし、かろうじてかわす。源之丞はそのまま前方に蹴りを繰り出す。


 ――ガッ!


 蹴りは男の顎を跳ね上げ、源之丞はそのまま後方に飛んで転がり、立ち上がる。

 男は鑪を踏んで後ずさっていたが、顎への打撃が大して効いた様子もない。


「ほう……侍の技ではないな」


 鼠色の男が源之丞に向き直った。


 ――なんだ、今の動きは――


 一方の源之丞は、男が見せた先の踏み込みに戦慄していた。

 あの一瞬、相手の重心が動くのを見てとった源之丞の身体は、すでに反撃の体勢に入っていたのだ。相手が先手を仕掛けてきた以上、

はず――しかし、上段から跳びかかるかに見えた男の攻撃は、その軌道から外れた。その攻撃はあろうことか、地を這うように下から来たのだ。

 あの重心の動きからは絶対に来るはずのない方向からの攻撃――しかも、まるで腕が伸びたかのように間合いを越え、一瞬で攻撃が源之丞へ到達した。もう半歩間合いが近ければ、源之丞は視力を失っていただろう。

 源之丞は脇差を抜き、構えてその男に向けた。先の動きは特殊な鍛錬が可能とするもの。どんな流派の剣術とも、拳法(やわら)とも違う。だとすれば、この男の遣う技は――


「……忍術遣いか!」

「お互いに、ということのようだ」


 源之丞の言葉に、鼠色の男が無表情に応じた。男はゆらり、と身体を揺すり、間合いを測りながら再び声を発する。


「……なぜ忍術遣いが侍の姿などしている?」

「それがしは侍だ」

「侍だと……?」


 鼠色の男の顔がわずかに動く。どうやら眉をしかめたようだった。


「……我らは大地の民。そして我らの技は大地の技。その大地を魚の身の如く切り分けた下種な侍どもに、尻尾を振った裏切り者……貴様がそうか」

「……なにを言っているかわからぬな」

「ふん……」


 ――と、その時、鼠色の男と対峙した源之丞の後ろから、新之助たちが追いついた。一同はその場の異常さに気が付いて足を止める。


「侍が、他にもか……そっちの女は違うようだな」


 呟くようにそう言った鼠色の男の身体が、陽炎のように揺らめいた。


 ――ゴウッ!


 次の瞬間、疾風(はやて)の如く駆けた男の蹴りが源之丞の目前を横切り、彦右衛門を襲った。


「がっ……!?」


 胸元に衝撃を喰らった彦右衛門が鑪を踏む――と、そのまま鼠色の男は宙を舞い、新之助へと踊り掛かる。


「……ぬうぅん!」


 新之助は身体を捻じりながら地に倒し、顔面へと放たれた貫手を避け――


 ――ヴン!


 男が後方の地面に転がった。新之助が当身を入れながら男を投げ飛ばしたのだ。素早く、男は立ち上がる――と、そこへ源之丞の投げた手裏剣が飛んでいた――


 ――カッ!


 次の瞬間、男の胸へと真っすぐ飛んでいたはずの棒手裏剣が、地面に突き立っていた。


「……三人とも相当な手練れだな。どうも分が悪いようだ」


 男はそう言いながら、

――男の身体は、下半身と首が正面を向いたまま、腹から胸が粘土のように捻じれていた。

 異常なほどの軟体――近代においても、身体の柔らかさはあらゆる武術や格闘技、スポーツの基礎だ。それは怪我の防止という側面だけでなく、自在に身体を動かし、また打撃や技の速度、そして威力を上げることにも繋がる。


 ――技の

が読めなかったのはそのためか。

 源之丞は瞠目し、舌を打った。重心を保ったまま、上半身が逆を向くほどの軟体――ならば、構えからの動きが読めないのも無理はない。予備動作が見えないため、ただでさえ早い動きが余計に目に留まらない。その上、本来ならあり得ない角度からの攻撃まで可能にする――巨大な蛇と戦っているようなものだ。

 鼠色の男は、再び間合いを取りながら口を開く。


「まあ、仕事は終えた。無暗矢鱈と功名を焦るような侍どもと、我らは違う……お前も忍術遣いなら、この里から早々に手を引くことだ」

「……? それはどういう……」


 源之丞が問うよりも早く、鼠色の男は跳躍した。伸び上がるように頭上の樹の枝にまで至り、次の瞬間には塀の向こうへと飛び去る。あとに残されたつむじ風の晴れるころには、既にその姿は影も見えなくなっていた。


 ――またもや、見えなかった――


 源之丞は歯嚙みをしながら、身体の緊張を解く。


「大丈夫ですか、有馬様……」


 声に振り返ると、お糸が彦右衛門を介抱していた。


「……げほっ、げほっ! ええい、忌々しい!」

「咄嗟に腕で防いだのだから、そなたもさすがだ」


 新之助が衣の埃を払いながら歩み寄って来る。その頬にも切り傷があった。新之助はその傷に触れ、顔をしかめる。


「あやつ……あのような気色悪い軟体の癖に、指先は鋼のようだった」

「拳足を鍛え、薬液に漬けて硬くする鍛錬法が忍術にはござる。恐らく、それでありましょう」


 源之丞は先ほどの男とのやり取りを思い返した。あやつは「大地の民」などと言っていた――そして忍術を大地の技だとも。

 技の起こりを読ませないあの軟体に加え、あの身のこなし、そして鋼のような拳足――数の不利を見て退いてはいったものの、正直、三人がかりでも誰かはやられたかもしれない。それに、完全に有利な状況を取れなければあっさり退くという大局的な思考は、実力の高さを示すものであろう。


「……むごいな」


 新之助が庭に散らばった死体を見ながら言った。そのうちいくらかには見覚えがある――昨日、本陣屋敷の前で見た姿である。

 源之丞は唇を噛んだ。江戸の難を逃れた道中奉行は、間違いなく重要人物(キーマン)となるはずだったのだ。


「侍に随分と恨みがあるようでした」


 立ち上がり、袴の埃を払いながら彦右衛門が言う――と、お糸が横で声を挙げた。


「もしかして……! あの『雲』もあいつらの仕業なんじゃ……!? 侍に恨みがあるから、江戸をあんな……」

「馬鹿な。一体どうやってあんなものを作ったというのだ」


 源之丞は言下に否定したが、お糸は収まらない。


「きっとそうだよ! なにか使ったんだ。妖術とか……ほら、あんたもやってみせただろう!?」

「だから、あれは妖術ではない。それにいくらなんでも、あれが人の手によるはずがない」


 「雲」を見上げながら源之丞は言った。そこで、自らの言葉に違和感を覚える。

 あれが人の仕業ではないと、言い切れるのだろうか。人の手で作り出すことはできなくても――例えば、

とか、あるいは―― 


「ただの野盗……のはずがありませぬな」


 開きっぱなしの門の前で彦右衛門が手を合わせ、苦々しく言った。新之助がその言葉に頷く。


「我ら、と言っていた。なにか……目的を持って動いている集団がいるということだ」

「侍に恨みを抱いた集団……一揆などとも違うようだ」

「この里から手を引け、と言っておりました。それは……」


 そこまで言って、源之丞ははたと気が付いた。それはつまり――迂闊だった。すぐに気が付くべきだったのだ。

 源之丞は叫ぶ。


「お糸さん! 寺へ戻れ! 家族を連れて逃げるんだ!」

「な、なに!?」


 戸惑うお糸を尻目に、新之助たちにも叫びかける。


「急いで街道へ……町が危ない!」


 言うや否や、源之丞は駆け出していた。
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