第5話
文字数 1,913文字
直接会って本を手渡すだけというやり取りが5回以上続いて、そのうち僕たちは噴水前のベンチでちょっとした雑談をするようになった。
「今回の本は特に読みやすかったです。哲学って意外と面白いんですね」
「そうですね。私もその本で哲学にハマりました。学生時代に哲学を勉強する機会があればよかったのにと後悔したくらいです。呪術ともつながる部分があって本当に奥が深いです」
「呪術……ふふふっ」
「どうしました?」
「いえ、私、初めてカオルさんと会ったとき、本当にビックリしてしまって」
「ビックリ……ですか?」
「サイトでのアイコンも可愛らしい感じでしたし、カオルさんって名前で勝手に女性だと思ってたんです」
「ああ、カオルという名前だと男性でも女性でもどちらでもいけますからね。驚かせてしまってすみません」
「いえ、お仕事もしやすいですし、とても助かってます」
隣で笑う君に思わず手が伸びそうになる。
でも、まだダメだ。
ここでうっかりでも触れてしまえば、今までの努力がすべて無駄になる。
こんなに近くにいられて本当に嬉しいのに、同じくらい苦しい。
自分が狂ってしまいそうだった。
雑談をするのが当たり前になった頃、僕は次の一手を打つことにした。
「今回の本も面白かったです。埴輪とか土偶ってロマンがありますよね」
「最近はグッズもよく見かけますね」
「そうなんですよ。ぬいぐるみとかほしくなっちゃいました」
「あはは。あ、ひとつご相談があるのですが……」
少し風が強くなってきたタイミングで、僕はバッグからある書類を取り出す。
書類が風になびいて、なかなか中身が確認できない……という演出をするため。
思った通り、書類は風でパラパラとめくれてしまう。
「すみません。風が強いので、そこのカフェで説明させてもらってもいいでしょうか?」
「もちろんです。このご時世、風で大事な書類が飛んでいったら大変ですもんね」
自然な形でカフェへと誘導できた。
君にはカウンター席で待っていてもらう。
ドリンクは何がいいかと尋ねるも、君は「お構いなく」と笑顔で答える。
そういう控えめなところも好きだ。
君の好きなものは今でも覚えている。
温かいものより冷たいもの、苦いものより甘いもの。
僕は自分用にアイスティーを、君にアイスココアを注文しに行く。
受け取ったドリンクを持っていくと、君は目を輝かせる。
「ありがとうございます。私、アイスココア大好きなんです」
もちろん、知っている。
だから、選んだ。
「それでですね、この書類を見てもらえますか?」
「これは……業務委託の契約書ですか?」
「そうです。ポチ子さんとはこれまで結構な取引をしていますが、サイトを経由するとどうしても手数料が取られてしまいますよね。サイトの仕様なので仕方がないのですが、発注者側でも手続きが結構面倒に感じられることも多いので……直接の取引であれば、お互いWIN-WINになるのではないかと思いまして」
「そうなんですよね。手数料で結構持っていかれちゃいます」
「もちろん、今すぐには決められないでしょうし、サイトを経由したほうが安心ということでしたらこのままでもまったく問題はありません。一応、ポチ子さんの不利にはならないように書類を作ったつもりなので、持ち帰ってじっくり確認していただけますか?」
「はい!ありがとうございます」
その次からは同じカフェで待ち合わせをするようになった。
「あの、前回の業務委託の話なんですけど、是非お願いしてもいいですか?改めて手数料を計算してみたんですけど、やっぱり結構な金額になってしまって……」
「ああ、こちらとしても助かります。では次回からは直接振込でよろしいですか?」
「はい!一応今日は必要になるかなと思ったものをすべて持ってきました。署名をした契約書、あとこれが銀行口座とメールアドレス、電話番号をメモしたものです。……ただ、電話は苦手なので基本的にはメールかショートメッセージでお願いしたいです」
「大丈夫ですよ。私も電話は苦手なので、普段からあまり使っていません。ええと、鈴木なるみさん……ですか。改めまして、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。それにしても花月薫さん……すごく綺麗な名前ですね」
「ありがとうございます。名前だけだとよく女性に間違えられますけどね」
「うらやましいです。私なんて平凡な苗字ですし、下の名前もありがちですから」
ああ、やっと君に新しい僕の名前を知ってもらえた。
電話番号はあれから変わっているようだけど、パソコンのメールアドレスはそのまま。
そうか、あのメールアドレスは今では仕事用になっているのか。
本当は電話をしたかったけど、君が苦手だと言うなら電話はしない。
「今回の本は特に読みやすかったです。哲学って意外と面白いんですね」
「そうですね。私もその本で哲学にハマりました。学生時代に哲学を勉強する機会があればよかったのにと後悔したくらいです。呪術ともつながる部分があって本当に奥が深いです」
「呪術……ふふふっ」
「どうしました?」
「いえ、私、初めてカオルさんと会ったとき、本当にビックリしてしまって」
「ビックリ……ですか?」
「サイトでのアイコンも可愛らしい感じでしたし、カオルさんって名前で勝手に女性だと思ってたんです」
「ああ、カオルという名前だと男性でも女性でもどちらでもいけますからね。驚かせてしまってすみません」
「いえ、お仕事もしやすいですし、とても助かってます」
隣で笑う君に思わず手が伸びそうになる。
でも、まだダメだ。
ここでうっかりでも触れてしまえば、今までの努力がすべて無駄になる。
こんなに近くにいられて本当に嬉しいのに、同じくらい苦しい。
自分が狂ってしまいそうだった。
雑談をするのが当たり前になった頃、僕は次の一手を打つことにした。
「今回の本も面白かったです。埴輪とか土偶ってロマンがありますよね」
「最近はグッズもよく見かけますね」
「そうなんですよ。ぬいぐるみとかほしくなっちゃいました」
「あはは。あ、ひとつご相談があるのですが……」
少し風が強くなってきたタイミングで、僕はバッグからある書類を取り出す。
書類が風になびいて、なかなか中身が確認できない……という演出をするため。
思った通り、書類は風でパラパラとめくれてしまう。
「すみません。風が強いので、そこのカフェで説明させてもらってもいいでしょうか?」
「もちろんです。このご時世、風で大事な書類が飛んでいったら大変ですもんね」
自然な形でカフェへと誘導できた。
君にはカウンター席で待っていてもらう。
ドリンクは何がいいかと尋ねるも、君は「お構いなく」と笑顔で答える。
そういう控えめなところも好きだ。
君の好きなものは今でも覚えている。
温かいものより冷たいもの、苦いものより甘いもの。
僕は自分用にアイスティーを、君にアイスココアを注文しに行く。
受け取ったドリンクを持っていくと、君は目を輝かせる。
「ありがとうございます。私、アイスココア大好きなんです」
もちろん、知っている。
だから、選んだ。
「それでですね、この書類を見てもらえますか?」
「これは……業務委託の契約書ですか?」
「そうです。ポチ子さんとはこれまで結構な取引をしていますが、サイトを経由するとどうしても手数料が取られてしまいますよね。サイトの仕様なので仕方がないのですが、発注者側でも手続きが結構面倒に感じられることも多いので……直接の取引であれば、お互いWIN-WINになるのではないかと思いまして」
「そうなんですよね。手数料で結構持っていかれちゃいます」
「もちろん、今すぐには決められないでしょうし、サイトを経由したほうが安心ということでしたらこのままでもまったく問題はありません。一応、ポチ子さんの不利にはならないように書類を作ったつもりなので、持ち帰ってじっくり確認していただけますか?」
「はい!ありがとうございます」
その次からは同じカフェで待ち合わせをするようになった。
「あの、前回の業務委託の話なんですけど、是非お願いしてもいいですか?改めて手数料を計算してみたんですけど、やっぱり結構な金額になってしまって……」
「ああ、こちらとしても助かります。では次回からは直接振込でよろしいですか?」
「はい!一応今日は必要になるかなと思ったものをすべて持ってきました。署名をした契約書、あとこれが銀行口座とメールアドレス、電話番号をメモしたものです。……ただ、電話は苦手なので基本的にはメールかショートメッセージでお願いしたいです」
「大丈夫ですよ。私も電話は苦手なので、普段からあまり使っていません。ええと、鈴木なるみさん……ですか。改めまして、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。それにしても花月薫さん……すごく綺麗な名前ですね」
「ありがとうございます。名前だけだとよく女性に間違えられますけどね」
「うらやましいです。私なんて平凡な苗字ですし、下の名前もありがちですから」
ああ、やっと君に新しい僕の名前を知ってもらえた。
電話番号はあれから変わっているようだけど、パソコンのメールアドレスはそのまま。
そうか、あのメールアドレスは今では仕事用になっているのか。
本当は電話をしたかったけど、君が苦手だと言うなら電話はしない。