神崎と長谷川

文字数 2,378文字

 最寄駅のK駅のバスロータリーで、未成年の不良グループが一般人のサラリーマンをリンチして死なせた事件が世間を賑わしている。
 久しぶりの少年による凶悪な事件。
 こういう未成年による世間を震撼させる事件は、僕が小学生の頃以来な気がして、“まだそんなことする奴がいるんだ”という所感だ。
 棚橋の席が、空席のままだ。
 あいつが学校を休んでいるイメージが、僕の中でどうしても湧かない。
 担任の原西は、「棚橋はちょっと体調を崩して入院している」と朝のホームルームで宣言していたが、とても下手な嘘だとすぐにわかった。
 棚橋の性格上、もし本当に「ちょっと」程度の体調不良で入院しているのなら今頃僕のスマホが震えているはずだ。
 彼女はいつでもおしゃべりだからだ。
 現実は、もちろんのこと、チャットアプリにも毎日メッセージが来る。
 おはようのスタンプから始まり、授業がつまらないとか、嘘か本当か判らない教師のプライベートだとか。
 ホームルームのあと、僕はスマホにイヤフォンを差し込み、動画を見るふりを装いながら、チャットアプリを開き、棚橋に短文を送った。
「今、どこにいる」
 すぐ既読マークがついた。
 だが、返信が一向に来ない。
「棚橋か? これ読んでるの」
 また既読がついた。
 だが、10秒待てど、返事が来ない。
 おかしい。
 ピンとくるものがあった。
 棚橋は、誰かにスマホを奪われている。
 1限目が終わったあとのガヤガヤの中、僕は頬杖をついてぼんやりした。
 法律の条文を聴く気にはなれなかった。
 吉川は相変わらず、文庫本に目を落としてクラスメイトを黙殺していた。
 吉川の席まで行くほど僕は、彼女と仲良しではない。
 しかし。
 棚橋不在の今日の昼休みは、棚橋抜きの3人で昼飯を食うのだろうか。
 ありえない。
 きっと葬式並みに暗い食事会になるだろう。
 棚橋がいなければ、元々共通点がない僕ら3人はバラバラに解ける。
「やぁー! ウワサの弁護士くん、いる?」
 どこかで聞き覚えのある声。
 ドキっとして、机上に投げ出した音楽プレーヤーをとっさに裏向けた。
 僕のクラスを覗き込んでいるのは、確か養護教諭の神崎ーー。
 弁護士ぃ? 
 誰だよ、それ。
 クラスメイトの一部が、面白がっている。
 あぁ〜、もしかして長谷川君かな?
 ソフト部の女子が、何らかの根拠を元にしてか、僕の名を出したが、僕は頬杖をついたままの姿勢を崩さなかった。
 わざとなのか天然なのか、ミニワンピース姿の、やけに情を煽る養護教諭が丸椅子の上で脚を組んで出迎えてくれた。
「あのさ」
 開口一番、僕は養護の神崎に詰め寄った。
「なぁに〜? そんな切羽詰まった顔して」
 そんな顔は、していないはずだ。
 この養護教諭の元を訪ねるのははじめてだが、こんな絵に描いたような“保健室のけだるくエロいおねーさん”だとは。
 生憎だが、全く僕のタイプじゃない。
 一回りも年上の神崎の胸の谷間などどうでもいい。
 ぎゅっと真ん中に寄せられても困る。
 僕は、咄嗟に後ろを振り返った。
 ドアの向こうに人影はいない。
 壁際の丸椅子を、引っ張って腰を下ろす。
「僕のクラスの棚橋のことですけど、本当に『ちょっとした体調不良で入院中』なのかを先生なら知ってるかなと思って訊きにきました」
「きみ、何年生? あと、何組の子?」
 デスクに頬杖をつきながら、神崎はどうでもよさげ。
 普段無駄に表情筋を使わない僕だが、この時ばかりは苦笑するしかなかった。
「1年C組です」
「ふーん」
「で、棚橋のことは何か聞いてます?」
「きみか、澪のボーイフレンドとかいうの、長谷川くん」
「……何の話?」
「まあまあ、そんな怖い顔で睨まないでよ」
 招き猫のように手をこまねき、ヘラヘラと身体を揺らしながら笑う神崎に、丸椅子を引き寄せて近づけた。
「棚橋にメッセージ送っても既読は秒でつくのに、返信が来なくって。あいつだったら絶対1分以内に返信してくるからおかしいなって」
「……鋭いね」
「先生、何を隠してる?」
「あんま細かいことは言えないけど、澪が無事だってことは伝えておく。あとさ、長谷川くん。あんまり他の女の子のところばっかにフラフラ行っちゃダメだよ」
「失礼します」
 与太話に付き合ってる暇はないから、立ち上がって丸椅子を元あった壁際に転がし、退室する。
「澪はきみに対して真剣だよ〜? いいね? 女の子傷つけちゃダメだからね。先生、恋愛するなとは言わないし、むしろどんどんしてピカピカになって欲しいっていうポリシーだけど……」
 立て付けの悪い引き戸を閉めると神崎の声がくぐもった。
 僕がいなくてもまだ喋り続けるつもりなのか。



 学校終わり、自転車を軽自動車の隙間に挟み込もうとしていると、空き地の縁石に、キャスケットを目深に被った中学生か高校生くらいの女子がいた。
 縁石に腰掛け、蹲っている彼女の年齢ににつかわないプリーツの入った桃色のロングスカートの裾がアスファルトに広がっている。
 誰だ?
 バス停でもない住宅街の道の端に蹲ってひたすら俯いてる姿は、多少不気味だが、不審者と決めつけるには酷だと思った。
 俯き、しゃがみ込んでいる彼女が顔を上げた途端、ふと、目が合った。
 アーモンド型のくりくりした二重瞼に、血色の良い唇。
 栗色の癖っ毛。
「棚橋?」
 僕が思わず呟くと、名前を呼ばれた子犬のようにキャスケット帽の女子が走り寄ってきた。
 胸元にふんだんにあしらったブラウスのフリルが揺れる。
「長谷川くん、ごめん」
 来ちゃった、と棚橋が僕に軽く倒れ込む。
 普段の棚橋とは違う香りがした。
「何があった?」
 とりあえず上がってけよ。
 こんな殊勝(?)なセリフを言えるのは、棚橋が僕の腕に両腕を絡ませてしがみついてくるからだ。
「はじめて私服見たけど19世紀のアメリカの貴婦人みたいなナリしてんな。悪くはねえけど」

 











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