捜索願

文字数 2,122文字

 吉川について言及
 プロッター


「澪ちゃん、会ってそうそう申し訳ないのですが、ご両親が見つからないので捜索願を書いて頂けませんか」
 捜索願は肉親しか書けない。
 澪はきっと、嫌がるだろうが、突如姿を消した棚橋夫妻の唯一の肉親は、娘の棚橋澪なのだ。
「……いいよ」
 あまりにもあっさりした返事にシロタは拍子抜けした。
「いなくなったのなら、探さなきゃね」
 やけに淡々としている。
 そして。
 胸に迫る辛さを押し隠してるのか、声が震えているように聴こえた。
「助かります」
「きっと今頃旅行でもしてるのかな〜?」
 警察署でもらってきた捜索願の署名欄に、澪は丁寧な丸こい字で名前を綴っていく。
 顔が見えない分、澪の真意は測りかねたが声音だけで判断するなら、彼女はかなりのマイペースのようである。
 自分は犯罪の当事者じゃなく、間違って連れてこられた人間だからこれだけ呑気に構えられているのも納得しようと思えばできる。
「おそらく、マスコミを避けてどこかへ逃げているのかと思われます」
 シロタは昨日マスコミに追われたことを思い出した。
 あれらは人間ではなく、もはや「なぜ」を繰り返してくる、オートマタのようなものだ。
「まあそうだよね……世間ではあたし、少女Aなんでしょ?」
 はい、そうです。
 そんな返事もできた。
 しかし、そう返事をしたところで何になる。
 それよりもシロタは、澪が鑑別でうまくやれてるかが心配だった。
「澪ちゃんは、ここで、普段、何をしているのですか?」
「なにって、バスケとか野球したり、作文とか絵を書かされたり、日中は小学校みたいだけど、夜は自由時間で、部屋でテレビ見たり、日記についた先生のコメント読んだり……別に厳しくはないけど、早く出たい。だってテストされてるみたいなんだもん」
 まるでモルモットかラットみたい。
 力なく澪は笑った。
「『鑑別』する所ですからね。でも悪い意味でのテストではないですよ。澪ちゃんのことをよく知るための」
「あのさぁ! あたし、アロマテラピーデビューしちゃったぁ!」
 鑑別所では収容された少年のために、“カルチャースクール”が開かれるというのは職員の説明を受けてシロタも知っていた。
「アロマテラピー、ですか?」
 ラジオや美容院で見聞きしたことのある単語ではあるがそれ以上は知りかねた。
「どういったものですか? それは」
「え〜? 弁護士でも知らないこと、あるんだ!」
 けらけらっ。
 小さくて可憐な花がぱぁっと咲くように澪は笑った。
「生憎、そういう女の子っぽいものには疎くてですね……」
「いろんな匂いがあるんだよ。グレープフルーツ、ベルガモット、ゼラニウム、ジュニパー……他にも沢山! ちゃんとした精油を使わなきゃいけないんだ」
「何か専用の機械か何かを使うんですか?」
 その機械とやら名前が全く思い浮かばない。
「ディフーザーでしょ? それは使わないよ。コットンに垂らして、香りを楽しんだりする他に、むくみや肩こりにも効くんだって! すごいよね。匂い嗅ぐだけで疲れが取れるなんて!」
「それは、良かったですね。ついでに記憶も取り戻せましたか?」
「え?」
「つまらないジョークですよ」
「あぁ! そーゆーことかぁ!」
 今時の女子高生らしくげらげらと澪は笑う。
「なんだか、シロタ先生って変わってるね。残念ながら記憶は戻ってないの……まるで誰かにすっぽり抜き取られたみたい!」
「なるほど。私もまだ調査中でして空白の6日間、何があったのか判りかねています」
「あとさぁ、他にも英会話習ってるよ」
「おぉ! 本当ですか?」
「長谷川くんに言われたの。『お前の英テスの点数を鑑みると中1英語からやり直した方がいい』ってさ!」
「澪ちゃんは英語が苦手なのですか?」
「うん。全然分かんない」
「どんなことを習っているのですか?」
「今日は何をしましたか? とか、趣味は?とか、そんな感じ。結構楽しいよ」
「ふむ……“So, actually, How’s it going today?”」
「えぇ!?」
 澪が目を丸くして乗り出す。
 そして口に両手を当てる。
 シロタは珍しく、得意げな笑みを浮かべる。
「英語、話せるの!?」
「まぁ、そこそこは」
 さっきよりさらに微笑むシロタから何故か、目を逸らした澪は両手を頬に押さえつけている。
「すごい。どうやって覚えたの?」
「洋画が好きなので、それで覚えたのかな。どうしても耳に集中するので」
「そっかぁー。そういやシロタ先生は目が良くなかったんだっけ?」
「弱視といって、視力が0.01しか無いので、例えるならお風呂場のすりガラス越しに世界を見ているようです」
「それってすっごく不便じゃない!?」
「生まれつきこうなので、何とも」
「好きな人の顔も見れないってことだよね?」
「接吻できるまで顔を近づけたら、相手の顔は視認できます。ですが、私はまともに恋をしたことがないので、生憎」
 澪が署名した捜索願をサッチェルバッグに仕舞い、折りたたんでいた白杖を伸ばした。
「澪ちゃん、吉川先生という女性の弁護士を知っていますか?」
 澪が首を軽く傾げるのが視認できた。
「誰? ……その人」
「いえ、なんでもありませんよ」
 やはり澪は、記憶喪失している。

 


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み