澪の両親
文字数 2,166文字
澪の学校を出た後、シロタはまず澪の担任に電話をかけた。
8コール後に、「はい」という野太い不機嫌そうな声がした。
シロタが名乗りあげると、「話すことはない」とのことで一方的に切られた。
もう一度コールしても同じことだろう。
なにせ自分は、世間を賑わす“少女A”の弁護士なのだ。
保健の神崎がたまたま神対応だっただけなのだ。
少年調査票によると、澪の母は小学校教師、澪の父は中学校の社会科の教師とのことである。
澪の母親の携帯電話にコールする。
「……おかけになった電話番号は現在使われておりません」
シロタは耳を疑った。
娘が警察に捕まり、鑑別所に収容されているというのに面会にも来ず、音信不通とは。
どうして。
続いて澪の父にコールしたが、結果は母の時と全く同じだった。
両親共に、音信不通。
こんなことがあり得るのだろうか。
澪の母も父も学校勤務ということなので、それぞれの学校にコールする。
もしかしたら、手がかりが掴めるかもしれない。
しかし。
電話に出た校長は、
「棚橋先生は、7日から無断欠勤が続いていますね。携帯も繋がらないし、管理職の者を家に向かわせても応答がなくて……まぁ、“あんなこと”が起こったのだから身を隠すのは当然と思えますがね」
母親の方も、おおむね同じ返事だった。
四六時中まとわりつくマスコミを避けた結果だとしても、娘をほったらかしにしてまで逃げたいものなのか。
澪が暮らしていた家は、廃墟のように荒れ果てていた。
遠目に見て、リビングの窓ガラスは破られ、“TANAHASHI”と掘られたオシャレなネームプレートは地面に落ちて砕け散り、“手紙”の類が郵便受けに詰め込まれているところまでは弱視のシロタには視認できないものがあったが、一つだけシロタにもわかるものがあった。
赤や青、黒の、戸建てに似つかわしくない“色”だった。
澪の住んでいた家は、決して百坪だとかの豪邸ではないが、カスタードクリーム色の可愛らしい一軒家で、そこに悪意の落書きがあった。
ろくなことが書いていないのはシロタにも予想がついた。
しかし、確かめたかった。
少しでも澪の無実に近づけるのなら。
シロタはタブレットを取り出し、家の外観を撮影した。
そしてルーペを取り出し、ひと文字ひと文字、時間をかけて読んでいく。
“少年院じゃ足りね〜よバーカ”
1番大きな文字で殴り書きされたそれが、ぼやけた視界の中にあったのだと認識すると、がくんと力が抜けそうになった。
“即刻死刑にしろ”
とか。
“親も死刑にしろ”
とか。
もう滅茶苦茶だった。
文体からしていい大人が書いていると思うと、生々しい人間の悪意にゾッとするものが全身を駆け巡る。
インターフォンの丸いボタンを押そうとした時、
「あの! 少女Aの弁護人の方ですか?」
B5版の手帳とボールペンを持った地味な女が、物陰から姿を現した。
それは徐々にシロタに近づいてくる。
「酷い有り様だな、と」
記者の質問をはぐらかし、事実だけを共有してその場を立ち去ろうとしたが、瞬く間に大勢の記者団に囲まれ、マイクを四方八方から向けられる。
「少女Aについて、何か一言お願いします」
「最近の少年犯罪は、“いい子”によるものが多いかもしれませんが、少女Aもやはち同じなんですかね?」
「この事件について一言お願いします!」
「先生は何とも思わないのですか!? 何の罪もない一般人が殺されているんですよ!? 未成年の不良グループなぶり殺しにされて!」
「その白い髪はストレスでそうなったんですか?」
「何故少女の弁護を引き受けたのですか!?」
質問の矢はどれも、弾き返されることを分かった上でのものだ、記者ならそれくらいはわかっているがそれでも訊くのが彼らの仕事なのだ。
「皆さん、ついてきてくれますか?」
ビジネスライクに愛想笑いを浮かべーー。
何の前触れもなくーー。
大丈夫。
道は、暗記してあるし、障害物もないまっすぐな坂道だ。
元陸上部の私なら、いける。
猛然と、走り出す。
「あ〜! 逃げたぞ!」
「追いかけろ!」
後ろから記者団が追いかけてくるが、ドカドカとまるで樽が岩の上をつまづきながら転がっているような走り方で、元陸上部のシロタには追いつけないでいる。
秋風を切ると、白い髪が颯爽と、シルクの布をはためかせたように後ろへたなびく。
住宅街の終わりには、点状ブロックが敷き詰められている。
この先は車道だ。
まだしつこく記者団は追いかけてくるので、距離が縮まらないうちに、素早く右側び敷き詰められた線状ブロックに従い、そして、幸いすぐ右側には赤いのれんと雨除けが目立つパリ風のカフェがあったので息せき切らしながら入店する。
さすがにカフェの店内まで追ってこないだろう。
秋だというのに汗を沢山かいた。
マフラーを外し、アイスミルクティーを注文して待っている間、警察に通報をする。
しつこく追いかけてくる記者など訴えようには訴えることができるが、そんなのを相手にしている暇はない。
目的は、澪の家の惨状と彼女の両親の失踪を伝えるためだ。
カフェを出たシロタは、記者団が外で待ち伏せしていないことに安堵し、警察署へ向かい、捜索願の用紙をもらった。
棚橋の両親と赤の他人である自分だと、捜索願を出せないのだ。
8コール後に、「はい」という野太い不機嫌そうな声がした。
シロタが名乗りあげると、「話すことはない」とのことで一方的に切られた。
もう一度コールしても同じことだろう。
なにせ自分は、世間を賑わす“少女A”の弁護士なのだ。
保健の神崎がたまたま神対応だっただけなのだ。
少年調査票によると、澪の母は小学校教師、澪の父は中学校の社会科の教師とのことである。
澪の母親の携帯電話にコールする。
「……おかけになった電話番号は現在使われておりません」
シロタは耳を疑った。
娘が警察に捕まり、鑑別所に収容されているというのに面会にも来ず、音信不通とは。
どうして。
続いて澪の父にコールしたが、結果は母の時と全く同じだった。
両親共に、音信不通。
こんなことがあり得るのだろうか。
澪の母も父も学校勤務ということなので、それぞれの学校にコールする。
もしかしたら、手がかりが掴めるかもしれない。
しかし。
電話に出た校長は、
「棚橋先生は、7日から無断欠勤が続いていますね。携帯も繋がらないし、管理職の者を家に向かわせても応答がなくて……まぁ、“あんなこと”が起こったのだから身を隠すのは当然と思えますがね」
母親の方も、おおむね同じ返事だった。
四六時中まとわりつくマスコミを避けた結果だとしても、娘をほったらかしにしてまで逃げたいものなのか。
澪が暮らしていた家は、廃墟のように荒れ果てていた。
遠目に見て、リビングの窓ガラスは破られ、“TANAHASHI”と掘られたオシャレなネームプレートは地面に落ちて砕け散り、“手紙”の類が郵便受けに詰め込まれているところまでは弱視のシロタには視認できないものがあったが、一つだけシロタにもわかるものがあった。
赤や青、黒の、戸建てに似つかわしくない“色”だった。
澪の住んでいた家は、決して百坪だとかの豪邸ではないが、カスタードクリーム色の可愛らしい一軒家で、そこに悪意の落書きがあった。
ろくなことが書いていないのはシロタにも予想がついた。
しかし、確かめたかった。
少しでも澪の無実に近づけるのなら。
シロタはタブレットを取り出し、家の外観を撮影した。
そしてルーペを取り出し、ひと文字ひと文字、時間をかけて読んでいく。
“少年院じゃ足りね〜よバーカ”
1番大きな文字で殴り書きされたそれが、ぼやけた視界の中にあったのだと認識すると、がくんと力が抜けそうになった。
“即刻死刑にしろ”
とか。
“親も死刑にしろ”
とか。
もう滅茶苦茶だった。
文体からしていい大人が書いていると思うと、生々しい人間の悪意にゾッとするものが全身を駆け巡る。
インターフォンの丸いボタンを押そうとした時、
「あの! 少女Aの弁護人の方ですか?」
B5版の手帳とボールペンを持った地味な女が、物陰から姿を現した。
それは徐々にシロタに近づいてくる。
「酷い有り様だな、と」
記者の質問をはぐらかし、事実だけを共有してその場を立ち去ろうとしたが、瞬く間に大勢の記者団に囲まれ、マイクを四方八方から向けられる。
「少女Aについて、何か一言お願いします」
「最近の少年犯罪は、“いい子”によるものが多いかもしれませんが、少女Aもやはち同じなんですかね?」
「この事件について一言お願いします!」
「先生は何とも思わないのですか!? 何の罪もない一般人が殺されているんですよ!? 未成年の不良グループなぶり殺しにされて!」
「その白い髪はストレスでそうなったんですか?」
「何故少女の弁護を引き受けたのですか!?」
質問の矢はどれも、弾き返されることを分かった上でのものだ、記者ならそれくらいはわかっているがそれでも訊くのが彼らの仕事なのだ。
「皆さん、ついてきてくれますか?」
ビジネスライクに愛想笑いを浮かべーー。
何の前触れもなくーー。
大丈夫。
道は、暗記してあるし、障害物もないまっすぐな坂道だ。
元陸上部の私なら、いける。
猛然と、走り出す。
「あ〜! 逃げたぞ!」
「追いかけろ!」
後ろから記者団が追いかけてくるが、ドカドカとまるで樽が岩の上をつまづきながら転がっているような走り方で、元陸上部のシロタには追いつけないでいる。
秋風を切ると、白い髪が颯爽と、シルクの布をはためかせたように後ろへたなびく。
住宅街の終わりには、点状ブロックが敷き詰められている。
この先は車道だ。
まだしつこく記者団は追いかけてくるので、距離が縮まらないうちに、素早く右側び敷き詰められた線状ブロックに従い、そして、幸いすぐ右側には赤いのれんと雨除けが目立つパリ風のカフェがあったので息せき切らしながら入店する。
さすがにカフェの店内まで追ってこないだろう。
秋だというのに汗を沢山かいた。
マフラーを外し、アイスミルクティーを注文して待っている間、警察に通報をする。
しつこく追いかけてくる記者など訴えようには訴えることができるが、そんなのを相手にしている暇はない。
目的は、澪の家の惨状と彼女の両親の失踪を伝えるためだ。
カフェを出たシロタは、記者団が外で待ち伏せしていないことに安堵し、警察署へ向かい、捜索願の用紙をもらった。
棚橋の両親と赤の他人である自分だと、捜索願を出せないのだ。