第2話

文字数 3,563文字

弐、
 名前を思いだせない一人が、運転をした。誰も疑うことなく車に乗り込んだ。あの時と同じでユウタが助手席に座った。誰かが揶揄った。
 「道、憶えているのか。」
 「任せなサイダー。」
 ユウタは、親父ギャグで答えた。
 篠就く雨の中を車は走った。真夜中に近付くと行き交う車も少なくなった。居酒屋よりも車中は期待に盛り上がっていた。郊外を離れ河川沿いのコンビニに立ち寄った。
 外は、蒸し暑かった。傘の中に入ってきたレナの香水が懐かしかった。
 「ねぇ、あの時ってもう一人女子いなかった。」
 「レナだけだったよ。」
 「そぅ、途中で乗せなかったかな。」
 思い出せなかった。自信なく言った。
 「最初から、この七人だったと思う。」
 「そぅ‥‥、」
 レナは、少し考え込んでから尋ねた。
 「今日の飲み会に、どうして誘ってくれたの。」
 「えっ、レナが言い出したんじゃないのか。」
 「まさか。貴男から話が来たって。」
 「誰から。」
 「アツシ。貴男は、誰から。」
 「ユウタ。」
 傘の中で黙り込んでしまった。暫くの沈黙の後、レナが困惑しながら尋ねた。
 「‥‥変な話なんだけど。あの時のことで、どうしても思い出せないことがあるの。さっきも言ったけど、もう一人女子いたよ。」
 「名前は、」
 「‥‥顔は、思い浮かぶの。でも、名前が。」
 「もしかして、肩ぐらいの長さの髪の女子だった。」
 「‥‥そぅ、」
 レナが、救われるような切ない眼差しを向けた。僕は、その時に思い付いた考えを口にした。
 「まさか、僕の恋人だった。」
 「‥‥何言ってるの、そんな、冗談は嫌いよ。」
 レナの呆れた顔は、少し怒りが含んでいた。僕は、素直に謝った。レナが、広い川向うの岸を眺めながら呟いた。
 「今夜、行かない方がいいのかな‥‥。」
 そのレナの言葉は、僕も同じ思いだった。
 そこに、タカシが呼びに来た。
 「お二人さん、高校の頃を思い出しているのか。そろそろ、出発だ。行くぞ。」
 「なぁ、タカシは、この飲み会誰から誘われた。」
 「シュウからのメール。」
 そう答えるタカシにレナが、尋ねた。
 「七年前に行った時、わたしの他にもう一人女子いなかった。」
 「‥‥えっ、いや、いないと思う。」
 シュウの怪訝そうな様子に偽りはなかった。昔から嘘のつけない男だった。車の中からユウタが急かした。迷う僕を誘うように車の扉が開いた。

 長い山道に入り車が通らなくなった。ライトを頼りに車は、ゆっくり走った。車中で飲み続けているものもいた。夜のバス旅行気分だった。県境のダムに着く頃は、真夜中を過ぎていた。
 ダム湖に沿って道が続いていた。奥に民家はなく行き交う車も無かった。ダム湖の中程にある昔立ち寄った飲食店は、変わらず深夜営業をしていた。昼間は喫茶店で、夜はスナックだった。
 少し高めの良心的な深夜価格は、変わらなかった。初老のマスターが独りいた。その以前と同じ姿を見て思い出した。あのお盆の夜もお客が誰一人いなかったことを。
 「あの時、誰か占いをしなかったかな。」
 アツシが自信なさげに言い出した。最初は、誰も返事できなかった。
 「この店にいた女の人のことか。色白の髪が長い、高校生のような感じの。」
 ユウタのその言葉に、朧気ながら想いだすものもいた。
 「そうだったかな。レナじゃなかったの。」
 「あたし、占いは好きだけど、自分で出来ないよ。」

 車に乗り込む前にレナから囁かれた。
 「ねぇ‥‥、マスターって昔のままね。」
 「歳を取ると、年齢が変わらなく見えるらしいよ。」
 僕は、そう答えた。自分の印象と同じなのに少し安心した。
 「それより、誰も客いなかったな。」
 「開店休業状態ね。」
 「前は、一人いただろう。」
 タカシが横から口を挟んだ。
 「女の子が。」
 「あそこで働いていた人、それともお客。」
 アツシが、疑い深く話に入ってきた。
 「誰もいなかったって。」
 意見は、二つに分かれた。僕は、寡黙なマスター以外に憶えていなかった。結論が出ないままに車が走り出した。篠突く雨は、山間に入ってから降ったり止んだりを繰り返していた。
 途中で誰もが気付いていた。雨季の時期でトンネルが水底に隠れていることに。
 昔に停めた場所から湖水に下りる道は、足元の直ぐ傍まで水位が上がっていた。
 「潜って見に行くか。」
 「手伝うぞ。」
 服を脱がせにかかった。バカをやる程に僕らは、酒に酔っていた。ガードレールから暗い水面を眺めていたレナが、腕を擦り身震いした。
 「‥‥もう、帰ろうよ。」
 その言葉を、誰もが待っていた。 

 篠就く雨が、再び降り始めた。運転席のユウタは、ほろ酔い気分で車を走らせた。僕は、気付いた。誰か乗り忘れていることに。
 「‥‥車を停めてくれ。」
 ユウタは、僕の声に驚き車を停めた。僕は、車内を見回して一人一人に確かめるように聞いた。
 「これで全員か。」
 「何を言ってんだ。」
 運転席のユウタが、呆れた声を上げた。誰もが怪訝そうな視線をしていた。僕は、尋ねた。
 「‥‥一人、置いてきただろう。」
 「誰をだよ。」
 アツシが困惑して尋ねた。僕は、車のリアガラスの外に視線を向けた。ストップライトの赤い灯りに染まる闇夜に雨が落ちていた。
 「何故、ユウタが運転しているんだ。」
 「何故って、運転主は俺だ。乗客は君だ。それに、俺の車だしな。」
 「何時から。」
 「来るときも、俺が運転していただろう。」
 その言葉に、背筋が寒くなった。車内にいるのは六人だった。
 「七人だっただろう。」
 「おいおい。酔っているのか。俺も酔っているが。」
 ユウタは、笑った。僕の脳裏に笑えないイメージが浮かんだ。否定するつもりが一度思い込むとその恐怖が僕の気持ちを怯えさせた。
 『‥‥僕だけが見えていたのか。』
 「‥‥まずいぞ。危険だ。」
 僕は、小さく呻くように声に出していた。誰かが失笑しながら嗜めた。
 「脅かすなよ。」
 「相手にするな。行けよ。」
 アツシが車の出発を促した。ユウタは、苦笑して再び車を走らせた。レナが僕の気持ちを落ち着かせようと囁いた。
 「‥‥どうしたのよ。」
 「来るときに運転したいてのは、誰だった。」
 「ユウタでしょう。」
 「居酒屋で集まった名前は。」
 レナは、その夜に集った飲み会のメンバーをフルネームで並べた。
 「ねっ。六人でしょう。」
 「髪の肩ぐらいの長さのが一人いただろう。一番奥の机の端に座っていた。」
 「誰よ。」
 「名前が思い出せないんだ。」
 レナがスマホで飲み会の動画を見せた。
 「どう、六人しか写っていないでしょう。」
 僕は、認めざるを得なかった。白昼夢や幻覚に思えなかった。

 暫く走って車が停まった。
 「‥‥道を間違えたか。」
 ユウタの呟くような声に、最初皆が爆笑して揶揄った。
 「どうした。ガス欠か。」
 「これ、EVだろう。」
 「この近くに電気スタンドあるかな。」
 ユウタが右側のガラスを少し下げて暗い湖水を眺めた。隣のアツシに確かめるように尋ねた。
 「喫茶店までこんなに遠かったか。」
 「見落としたんじゃないのかな。店の看板暗かったし、雨も降っていた。」
 「ダムから五キロぐらいだろう。もう、倍近く走っている。」
 一番後ろの席からショウが言った。
 「ここは、結構広いダム湖だからな。」
 「それにしても、時間が掛かり過ぎる。」 
 皆は、沈黙してしまった。重苦しい空気の中、タカシが尋ねた。
 「ナビは、どうなっている。」
 ナビ情報は、ダム湖の真ん中近くを示していた。
 「爺ちゃんの頃のナビじゃあるまいし、湖の中か。」
 笑う勇気が誰も無かった。シュウがスマホのナビを開こうとして唸った。
 「‥‥圏外って、嘘だろう。」
 「マジかよ。‥‥俺のもだ。」
 「昔は、使えたよな。」
 「たぶん‥‥、感度は悪かったけど。」
 「雨が強くなったからかな。」
 突然、アツシが笑いだして言った。
 「トワイライトゾーンへようこそ。」
 「笑えない。」
 「バカ。」
 非難の声が重苦しかった。その時、僕は気付いた。
 「‥‥おい。ダム湖が右に見えている。奥にむかっていたんだ。」
 僕の指摘に誰も異議を唱える者がいなかった。ハンドルを持ったままユウタが振り返った。その目は、狼狽していた。
 「俺って、車をUターンさせたよな。」
 ユウタの声に皆が頷いた。僕も覚えていた。
 「三百六十度、回って同じ向きになったとか。」
 タカシの意見に誰も頷かなかった。
 
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