誘われて 其ノ壱ノ参

文字数 1,855文字

 トンネルは、悍ましいほどに冷たい気を含み力を蝕んだ。会話するのもおっくうで萎えた。
 『……この匂い、何だったかな。』
 ふと、懐かしい匂いに気付き胸の中で呟いていた。土の湿気とカエリに纏わりついている香りが混ざり発酵しているようにも思えた。
 『違うか、……この女子、無臭だものな。』
 考えが沈むように重なって覆い隠されていった。
 トンネルは、予想よりも長く続いていた。出口の明かりさえ見えず、永遠に歩き続けなければならない錯覚に陥りそうになった。
 「……君は、覚醒していないのですね。」
 「えっ、何が……?」
 思わず聞き返した。弱いライトで朧げに浮かぶカエリの冷然とした表情に足が震えた。
 「……言葉どおりです。封印されたままですね。」
 「すみません。意味、解りません。」
 「……人は、誰もが力を持って生まれてきます。それが、覚醒するかは人それぞれです。使わずに一生を終える方が大半ですが。」
 カエリの話が超常的な方向に向かうのに警戒した。真っ暗闇のトンネルの中でする話にしては、不気味だった。
 「……君の御婆様は、力をお持ちでしたでしょう。」
 「いぇ、たぶん。少し勘が良かったかもしれませんが。」
 「……お亡くなりになる前に、君に渡すから大事にしてほしいと仰ったでしょう。」
 七年前に亡くなった祖母との会話が蘇った。
 「……勾玉を、お持ちですね。」
 カエリが、立ち止まると深い闇よりも幽遠な眼差しを向けた。
 「……御婆様が、持たせてくれたものでしょう。」
 「身に付けていますが。どうして、‥‥。」
 「……肩に、少女を乗せていますよ。」
 「冗談ですね。怪談話は、苦手です。」
 「……そのようですね。……御婆様の、双子の姉ですか。」
 幼い頃に母親が話しているのを想い出した。
 「……数えで七のお祝いの日に、神隠しにあわれた。」
 「どうして、知っているのです。」
 「……さぁ、どうしてでしょう。……物知りと、云われますので。」
 カエリの冗談と思いたかった。言葉を失っていると、彼女の細く白い指先が肩に伸びた。
 「……君に、よく似ていますね。……どうされます。」
 意味が掴み兼ねた。
 「……お使いにならないなら。いずれ、御譲り頂けますか。」
 「はぁ、面白い話です。」
 「……ふふっ、警戒しすぎでしょう。ヤバイ女子に見えますかしら?」
 「いぇ。個性的で、神秘的で、奔放だと……。」
 「……はぃはい、それで充分。褒め過ぎでしょう。」
 カエリは、そう言って深い眼差しを向けた。畏怖させる中にも温かみを感じさせるのが救いだった。
 「……とても、善い力ですよ。」
 「そうですか。まぁ、よく解りませんが。」
 「……何事もなく、これたのはその庇護の御蔭なのです。……これから先も、見守ってくれるでしょう。」
 カエリは、少し間を置いて続けた。
 「……ですが、幼馴染を助けるのには、生身では無理ですよ。」
 「予言をなさるのですか?」
 「……占い全般、心得ています。」
 「はぁ、なるほど。」
 その深い忠告は、後に現実となって前に立ち塞がった。
 「僕を、試していますか。」
 「……あら、ステキ。やっと、気付かれましたか。」
 「現実主義者と思っています。」
 「……そぅ思いたいですよね。幼い頃の夢は、怖かったでしょう。」
 「子供の頃は、怖い夢を見るものだと思いますが。」
 「……だから、御婆様が助けてくれていたのですよ。」
 カエリは、歩き始めて伝えた。
 「……ここでの会話は、いずれ重宝しますでしょう。……君が望むなら、お助けするのもやぶさかでありません。」
 カエリは、白い指先を口元に寄せた。微笑んだように思えた。
 「……お約束ですから。」

 足を進めながら坑道が曲がりくねっているのが分かった。仄かな外の光が遠くに見え始めると、緩やかに下り出口に辿り着いた。
 トンネルから抜けると、山林の隙間から西日が零れていた。湿度の高い熱気が纏わりついてきた。
 「……それでは。」
 カエリの声に振り返ると、姿は既にトンネルの暗闇に紛れ込んでいた。一方的に放逐され困惑に暫く佇んだ。
 『何をしているんだ……。』
 気持ちを鼓舞するように踏み出した。
 山腹を縫うように降る先に旧道があった。私有地なのか簡単な木柵で封鎖されていた。柵の隙間を抜けて振り返ると、よほど注意しないと気付かない入り口だった。山の御先を回り込むように旧道を引き返した。距離があるのに驚きながらコンビニまで戻った。自転車で家に帰る途中、不思議な女子との複雑に絡む会話を想い返していた。
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