第3話

文字数 3,296文字

参、
 「この先は、行き止まりだったか。」
 それには、誰も答えられなかった。
 「対向車線がなくなっている。」
 車窓の外を眺める誰もが不安な顔をしていた。車が一台通れる道幅だった。
 「‥‥引き返そう。」
 「ここでは、回せない。広い場所まで行くか。」
 ユウタは、自分を鼓舞するにように言うと、車を動かした。速度を抑えて慎重に走った。ライトに照らされる雨の夜道は、車内を無口にさせた。何時しかアスファルトの舗装もなくなり林道に変わっていた。車が回せる場所が見つからなかった。
 「行き止まりって聞いたことがないか。」
 「俺が知るか。」
 ユウタは、少し苛立っていた。タカシが思い付いたように言った。
 「ダム湖の向こうに行ったのかな。対岸は、林道になっているって聞いたことがある。」
 「誰にだよ。」
 車の中は、殺気だっていた。
 「周回道路だったのか。」
 「そうなら、ダムの反対側に出るはずだ。」
 勝手なことばかり言い合っていた。ナビは、ダム湖の真ん中を示したままだった。隣に座っていたレナが、顔を寄せると囁いた。
 「‥‥嫌な予感しないの。貴男って霊感強かったでしょう。」
 僕は、そう言われて驚いた。
 「僕が。」
 「そう、貴男の第六感ってよく当たったじゃないの。」
 「‥‥ゴメン、憶えていないんだ。」
 「やっぱり‥‥、あのことが原因なの。」
 レナは、不安そうな表情を向けた。
 「‥‥変だよ。久しぶりに会ったのに、こんな言い方して悪いけど。」
 速度を落とし走らせていたユウタは、車を停めた。ナビで見るダム湖は、長さが十キロぐらいだった。
 「距離数で見たらダム湖の一番奥の端ぐらいと思うが。」
 ユウタの言葉は、重々しかった。夜の闇に閉ざされた湖水が、道の直ぐ近くまで寄せていた。少し雨足が強くなった。
 「ネットのサイトで見たけど。この奥に昔、サナトリウムがあったって。」 
 突然、タカシは話し始めた。アツシが顔を後ろに向けて尋ねた。
 「何時の時代だ。」
 「ダムが出来る前らしい。大正とか昭和初期。」
 「高原で療養するサナトリウムか。」
 「そこで亡くなられた人が近くの墓地に埋葬されたとか。ダム湖が出来て墓の場所が水没したとか。」
 その話が、僕らをより不安にした。
 少し先で道の待避場所を見つけた。僕らは傘を差して外に出た。何度も切り返し方向を変えようとする車を見ていると、不意に僕の脳裏にデジャヴが走った。車が後ろから滑り落ちて湖水に沈んでいく様子が鮮明に現れた。
 「‥‥停まれ。」
 僕は、思わず叫んでいた。車の後ろで誘導していたシュウが驚いてこっちを見た。
 「もっと広い場所で回した方がいい。」
 ユウタは、素直に従った。乗り込むとお互いを確認した。雨の夜の暗い林道が、果てしなく続くように思えた。レナが僕の耳元に顔を寄せて尋ねた。
 「‥‥さっき、どうしたの急に。」
 「道が狭かっただろう。落ちそうに思えたんだ。」
 「そぅ‥‥。貴男の預言って、昔からよく当たったものね。」
 僕は、それにも思い当たらなかった。
 暫くして山際をダム湖に沿って通された林道が開けた。緩やかな山腹の斜面が奥に広がる場所に出ていた。
 林道から少し奥まった場所に一間四方の庵のような建物があるのに誰かが気付いた。車を停めて窓から窺った。車のライトに照らされ朧気に浮かぶ古いお堂が僕らの息を呑ませた。
 「‥‥何だ。」
 「誰かが住んでいたりして。」
 「‥‥お堂じゃないかな。」
 夏草の茂る中に墓石が立ち並ぶのを誰かが見つけた。
 「‥‥墓だ。」
 降りて確かめにいこうと、誰も言い出さなかった。ユウタは、断りもせずに車を動かした。
 「‥‥サナトリウムで亡くなった人の御墓だったりして。」
 「ダム湖に沈んだって言わなかったか。」
 シュウがスマホで撮影していた。
 「それなら近くに建物があるのか。」
 「廃墟の写真を見たことがある。」
 タカシがポツリと言ってから、自信なさげに尋ねた。
 「なあ‥‥、昔来た時、この辺りまで来なかったか。」
 そ言葉に誰もが耳を疑った。運転していたユウタが車を一旦止めた。
 「酔っぱらっていたからな。俺は、記憶ない。」
 「‥‥そうかな、あの時、誰か車から降りただろう。」
 「怖がらすなよ。」
 「洒落にもならない。行こう。」
 ユウタは、今まで以上に慎重に車を走らせた。
 ふと気付けば、ダム湖から離れていた。林道は、山奥に向かっていた。ナビの位置は、湖水の真ん中のままだった。
 「ナビが壊れたか‥‥。」
 ユウタは呟き地図にない林道を進ませていた。
 その先に現れたのは、古いトンネルだった。狭く小さな入口を見た瞬間、水底に沈むトンネルように見えた。僕と同じ感じを覚えた同乗者もいたようだった。
 ユウタは、車を停めたまま迷っていた。ハイビームにしてトンネルの奥を探った。向こう側まで光が届かなかった。
 僕は、嫌な感覚よりもトンネルに誘われるような不可解な思いだった。暫くは誰もが口を閉ざしていた。
 「‥‥行ってみるか。」
 ユウタの諦めにも似た言葉に誰も反対しなかった。
 緩やかに降るトンネルは僕らの予想よりも長く続いた。狭い手掘りのトンネルは、湿気て水の中のように澱んでいた。誰かが何か言いかけた時、ライトの先に出口が見えた。
 長いトンネルを抜けた先は、広い野原が拡がりその向こうに湖があった。
 「‥‥ダム湖。戻った。」
 アツシの呟きに誰も答えられなかった。広い敷地の向こうの岸辺に黒い水面が迫っていた。林道は途切れていた。雨が降るその辺り一帯が沼のように重々しかった。
 「車が回せる。」
 広場を見て皆は安堵した。その時、誰かが怯えた上擦った声を出した。
 「‥‥向こうに建物が見える。」
 その声に誰もが視線を向けた。広場の先に湖と並ぶように二階建ての大きな木造物が車のライトに浮かび見えた。
 「サナトリウムかな。」
 もうどうでもよかった。ユウタは、無言で慎重に車を回した。車から降りて行く勇気を見せる者もいなかった。
 その時だった。僕は、夢の中の景色と重なることに気付いた。
 「‥‥あの夢は、あの建物の二階の窓から、見えていた景色じゃないのか。」
 僕の呟きにレナが不安そうな視線を向けた。
 「どうしたの。顔が真っ青よ。気分が悪いの。」
 「‥‥僕が、連れてきたのか。」
 「なによ。何言っているの。」
 レナが、泣き出しそうな声で叱った。
 「しっかりしてよ。」
 「‥‥僕が、悪いんだ。」
 そう呟と僕は、車から飛び出していた。雨の中を傘も差さずに走り出した。トンネルを目指して駆ける僕の背に皆の声が追いすがった。
 「‥‥思いだした。トンネルの中にいる。」
 僕は、息苦しさに喘ぎながらそう叫んだ。
 何人かが、僕の後を追いかけた。女子の名前を呼びながらトンネルの中を走る僕の姿は、何かに憑りつかれたかのような鬼気迫るものがあったと、後になって聞かされた。
 泥だらけのまま病院に担ぎ込まれた。過労からくる錯乱で暫くの休養が言い渡された。
 僕の容態が落ち着いた頃、一緒に出掛けた男友達の四人が見舞いに立ち寄った。冗談が並ぶほどに四人は元気を取り戻していた。あの夜の出来事を酒の席で笑えるようになっていたのだろう。
 「全快祝いの飲み会をするぞ。」
 「今度も、お出かけするか。」
 「また、此奴が走り出したらどうする。」
 「今度は車で追うぞ。」
 「箱根マラソンか。」
 僕の記憶の中でその夜の出来事は、一週間も過ぎていないのに遠くなっていた。僕は、ボソッと呟いた。
 「‥‥僕は、誰の名前を呼んでいたんだろうか。」
 四人は、顔を見合わせた。ユウタが苦笑して言った。
 「もういいじゃないか。水に流せよ。」
 
 男友達四人が帰った後の夕暮れ時、レナが見舞いに訪れた。小さな女の子を連れていた。
 「‥‥本当に、わたし達のこと忘れてしまったの。」

 
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