第1話

文字数 3,492文字

一、
 朝から憂鬱だった。夢見の悪さを引き摺る癖がまた始まっていた。仕事が溜まり自宅に持ち帰っていたからか、それともこの時期の不快な気候からだろうか。
 高校時代の友人から連絡が入ったのは、梅雨も明けきらない七月の半ば過ぎだった。職場が近いこともあり、月に何度か飲みに行く交流が続いていた。
 「この週末、開けとけよ。」
 ユウタは、高校の友人が集う飲み会に誘った。昔から突然に話を持ってくる男だった。出会った最初は、その唐突さに困惑した。悪意がないのが分かってくると、大らかな性格が憎めなくなった。
 「誰が言い出したんだ。」
 「レナから連絡がきた。」
 懐かしい名前に、高校の入学当初から話題になった美貌が思い浮かんだ。卒業して七年が経っていた。レナが、有名な私立大学に進学したのは知っていた。ユウタと連絡を取り合っているのが不思議に思えた。
 『‥‥レナは、あの当時、誰と付き合っていたんだ。』
 レナの彼氏の顔が、思い出せなかった。
 「レナが言い出したのか。」
 「詳しくは知らないが、そうだろう。」
 ユウタの歯切れの悪い話癖は、昔から気の滅入る結果になることが多かった。僕の気持ちを探るようにユウタは誘った。
 「いいじゃないか。珍しい奴も来るかもしれない。」
 それで余計に気持ちが重くなった。
 「考えておくよ。」
 それだけを言って先に通話を切った。

 週末までは、瞬く間に過ぎた。その日の夕方になっても迷っていた。会社に居残って時間を潰した。待ち合わせの居酒屋に約束の時間より少し遅れて着いた。既に六人は始めていた。
 「遅い。昔と変わらないな。」
 ショウの大きな声は、相変わらずだった。学生の頃より少し太っていた。ユウタの横に座ると、向かいの席からレナが笑顔で先に声を掛けた。
 「残業できる職場なの。」
 「一旦、戻ってきたから。」
 僕は、適当な嘘をついた。レナの大人の色香と落ち着きが備わった所作が眩しかった。レナが話題を振った。
 「昨日の事件、知っている?」
 会社の近くで起こった事故を尋ねているのが分かった。隣からユウタが口を挟んだ。
 「俺の知り合いが近くで働いている。」
 レナは、僕から視線を外さなかった。
 「事故って聞いたけど。」
 「自殺らしい。」
 ユウタは、見てきたように断言した。レナの疑わしそうな声が含み笑っていた。
 「ほんとうなの‥‥。」
 ユウタとレナの会話の絡まりが学生の頃に引き戻していた。
 『二人共、遠慮がなかったからな‥‥。』
 そう思い出しながら僕の中では、昨日の事件を事故と位置付けていた。落下物に当たって死亡した事件をどう見て解釈すれば自殺に繫がるか理解に苦しみながら酒の上の会話らしく聞いていた。僕は、その手の怪談話にかかわらないようにしていた。
 職場の野次馬根性が強い先輩が数名と現場に駆けつけた。暫くして戻った先輩が上司に仕事を報告するように説明した。
 「外装工事の枠が外れて落ちたようです。ちょうど通りかかった‥‥。」
 それでも、漠然とながら不可解な印象をぬぐい切れないでいた。そのビルは、常識的に考えても事故や事件が多すぎた。
 二人の話は、夏の休暇に移っていた。
 「十日も休めるなんて、大した会社だよ。」
 ユウタの声には、羨望と少しの嫉妬が雑じっていた。
 「有休を使わされての休みよ。」
 レナは、酔いに任せて優しく言った。
 「貴男は、どうなの。」
 突然話を向けられて僕は、手にしたグラスを一旦置いた。
 「仕事忙しいから。たぶん、少し後で休みを貰う。」
 「そぅ、それもいいわね。」
 レナの視線が、何故か懐かしかった。
 「何処かに出掛けるの。」
 「まだ決めていない。でも、たぶん旅行かな。」
 僕は、短い休暇を南の離島で過ごそうかと考えていた。浜辺で星を眺める夢を想い描いていたのだ。
 「そうなんだ。彼女さんも一緒なの。」
 レナの言葉に僕は耳を疑った。ユウタも話を被せてきた。
 「そういえば、お前って高校時代に彼女いたよな。まだ続いているのか。」
 僕は、記憶になかった。二人に向けた惚けた表情は、酔っていると見られたのだろう。
 「おいおい。他人事のような顔をするなよ。」
 ユウタが、笑った。レナの冷めたような視線が僕を当惑させた。
 懐かしい再会にとりとめのない話を交わし、僕らは学生の頃に戻っていた。ふと、テーブルの隅で静かに座る一人に気付いた。
 『‥‥、えっと。』
 目に映る姿は、一人だけ学生の頃のままだった。肩まで伸ばした髪も容姿も。僕の視線に切れ長の黒曜石のような深い色の瞳で見つめ返した。名前が思い出せなかった。記憶の欠片が取り出せずに歯がゆく戸惑った。
 『誰だった、かな‥‥。』
 「‥‥それでだ。」
 斜め向かいのアツシの声が、僕の違和感を現実に引き戻した。
 「俺は止めたんだ。無茶をするなって。」
 タカシが、アツシの話題に切り込んできた。相変わらず酒に強い男だった。
 「なあ、憶えているか。昔‥‥。」
 酒の席だからこそ思い出せる昔話だった。

 高校を卒業した年のお盆だった。夕食を兼ねてアツシの家に集まっていた。就職や大学でバラバラになっていたが、七人全員が集まった。今でも誰が言い出したのか記憶になかった。当時、その怪奇スポットは話題になっていた。ネットでも取り上げられたその場所は、県境の近くで知っているものがいた。
 「あそこは、昔から、噂が絶えなかった。」
 その元ネタが、終戦前後に遡るのを僕は、たまたま知っていた。亡くなった祖母から小さい頃に聞かされた悲話は、強い印象となって残っていた。
 話の流れで、その怪奇スポットに出掛けることになった。誰一人反対する者もなく、むしろ好奇心に気持ちを高揚させていた。
 車一台に乗り合わせ途中で寄り道をしながら、ダム湖のに着いたのは、真夜中を過ぎていた。
 その年は、空梅雨からの夏の日照りが続き全国的に貯水場の水が干しあがっていた。昔の田園風景が偲ばせる景色が蒼白い満月の光の中で広がっていた。昔の道らしき場所を下っていくと、トンネルの入口に行き着いた。ダムで堰かれた長い年月が過ぎて薄く土砂が流れ込んでいた。
 「‥‥これか、本当にあるんだ。」
 誰も信じていなかった。淡い期待を抱いていても、所詮は怪談話と半信半疑だった。
 「おい、誰か撮れよ。ネットに上げようぜ。」
 燥ぐ僕らは、余裕があった。
 「この辺り、圏外か。切れるぞ。」
 「‥‥俺のもだ。マジかよ。」
 「取り敢えず、写しておくさ、後でアップしよう。」
 一塊になってスマホのライトを頼りに足を踏み入れた。
 ゆっくりと降るトンネルは、先が見えなかった。車一台が通れる小さなトンネルの壁が手掘りになっていた。人数を頼りに僕らの気持ちは昂り訳もなく含み笑っていた。入口から十メートルばかり進んだところで足が止まった。土の湿った澱んだ臭いが不安にさせた。
 「‥‥凄いな、出そうだ。」
 誰かの冗談の後だった。奥く深いところで足音がした。近付く蒼白い音に僕らは、声も出せずに駆け戻っていた。入口まで引き返してレナが怒った。
 「誰か、わたしのお尻触ったでしょう。」
 「‥‥幽霊じゃないのか。」
 その軽口に誰も笑えなかった。
 「もう一度、入るか。」
 誰も賛成しなかった。
 「外から回り込んで向こうの出口を見に行こう。」
 その誰かの提案に僕らは少し安堵して決めた。
 トンネルがある山裾を回り込んで向こう側の入口に向った。足場の悪い坂を下っていくと、水岸に行き着いた。
 「‥‥ということは、トンネルの先は水没しているのか。」
 「トンネルを抜けると、そこは水の底だった、」
 「川端康成か。」
 何人かが笑った。
 その後は、よく憶えていなかった。誰かが悪酔いしてダム湖に吐いたこと以外は。
 帰りの車中は、成しとけた高揚感で満ちていた。
 その夏が過ぎてからは、集まる機会もなく自然に疎遠になっていた。

 僕は、懐かしい想い出に浸りながら、記憶の断片が所々欠落しているのに気付いた。
 『‥‥あの時、言い出したのは誰だった。それに、あれは、本当だったのか。』
 あの夏の肝試しを想い返していたのは、僕だけでなかった。
 「これから、行ってみよう。」
 突然、飲み会の席で言い出したのが誰だったのか、憶えていなかった。僕らは、深く酔っていたからだろうか。その日が、旧盆なのを忘れていた。
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