初鷹の思い出

文字数 3,034文字

 今日は曇り時々雨という予報で、風が台風のごとく強かった。
 そんな天気に僕はビル風の強い新宿に行って、人と会ってローカルニュースインタビューをしなければならなかった。相手はスーパーマーケットの店員から舞台演出家に転身した経歴を持つ初老男性で、それまでの小さな仕事から解き放たれて、舞台という様々なエネルギーが動き回る空間で、そのエネルギーをコントロールする演出家という仕事を得たことにまだ興奮冷めやらぬ様子で、終始ハイテンションだった。時折強風がインタビュー場所に使った、レンタル会議室の窓を叩くようにして吹き付けてくるのだが、そんなことは気にならないというくらいハイテンションな人間と対話できたことに、僕は高揚感と幸福感を味わった。
 インタビューが午前中で終わると、僕は仕事場に向かってすぐにインタビューの清書と校正に取り掛かった。間を開けずに仕事に取り掛かったのは、興奮冷めやらぬうちに記事の体裁をとれば、おいしい部分がそのまま保存できるという僕独自の理論に基づくものだったからだ。
 三時間ほどパソコンに向き合い、インタビューの鮮度を落とさずにまとめ上げると、僕が今日こなすべき仕事は片付いてしまった。手持ち無沙汰になった僕は一旦帰宅し、「都心から離れた、名店に夕食を食べに行く」という名目で自分の車に乗り込んだ。
 車に乗り込んで、東京から埼玉中心部へと向かう国道に入る。国道は週末という事もあり大小のトラックが行き交い、あくせくと働いている。僕が生まれ育った、群馬県と栃木県の近くにある埼玉県の街は、この国道を一時間弱北上した先にあった。
 故郷の街から今住んでいる東京の間の道路に、何かいい店はなかっただろうかと記憶を思い返していると、センターコンソールのカップホルダーに差し込んだスマートフォンがLINEの通知を音で教えた。画面が光り、僕に確認しろと急かすようなメッセージを教えてくる。
 信号が赤になって余裕ができると、僕はセンターコンソールに手を伸ばしてスマートフォンを手に取った。確認すると、LINEは小学校の卒業生で作るグループLINEの通知だった。顔認証でロックを解除して通知を確認すると、航空自衛官になった同級生の清水有紀子が、テレビのニュースに出たという話だった。スクロールすると、そこには一等空尉に任官し、女性パイロットとして初めてKC‐767Jの副操縦士になった有紀子のインタビュー映像がリンクとして貼られていた。
 僕はその動画を確認したかったが、信号が青に変わったので確認することができなかった。そして走り出した瞬間、彼女とこの先の地元で過ごした時の記憶が朧気によみがえってきた。

 有紀子は僕の通っていた小学校の同級生で、目が大きく女子の中ではがっしりとした体躯の持ち主だった。運動が得意で、バレーボールが上手だったのを覚えている。彼女とは二年生の時から友達付き合いをはじめ、六年生になる頃には半ば腐れ縁のような関係になっていた。成長するにつれて特別意識するような関係になることはなかったが、大切な人間という意識はあった。
 六年生に進級して初めての休日、僕は自転車に乗って国道沿いの大型書店にマンガ本と、読む事の面白さを覚え始めた小説の文庫本を買いに行った。買った後そのまま家に直行しても良かったのだが、ビニールに包まれたマンガ本よりも、新しい刺激を与えてくれる事が分かった小説の文庫本の方を読みたくなり、まっすぐ帰らず近所で一番見晴らしの良い公園に向かった。天気は曇り空で、風が強かったのを覚えている。
 公園は群馬、栃木との境目にある川の傍にあり、川の土手にはグライダーの離着陸が可能な滑走路と管制塔が備え付けられており、公園近くの駐車場近くには用途廃止になった航空自衛隊のT‐3練習機が展示してある。備え付けの遊具はほとんどなかったが、本物の飛行機が近くにあるという事実は、広い空の下にある場所に特別な意味を与えていた。
 僕は公園の敷地内に入り、本が読めそうないい場所がないか探した。しかしただでさえ風の強い日に、群馬や栃木の山から吹き下ろす風が合わさって風がすごかった。曇り空の程よい明りの下で読書。という趣にはなりそうになかった。
 諦めて引き返そうと思った時、公園の隅に展示してあるT‐3練習機の傍らに、有紀子がいることに気づいた。僕は自転車を降りて、T‐3練習機を見つめる有紀子に近づいた。
「よう」
 最初に声をかけたのは僕の方だった。
「ああ、中元。こんにちは」
 有紀子はそっけなく答えた。普段から顔を合わせている間柄だったから、出会った場所が多少変わっていても反応は同じだった。
「こんなに風が強いのに、一人でどうしたのさ?」
「ちょっと散歩。中元は何をしていたの?」
「本屋で本を買った後、寄り道できたんだ」
 僕はこの公園に来た理由を素直に述べた。有紀子の言った〝散歩の途中〟という表現から聞くと、深刻な理由はなさそうだった。
「この飛行機がどうかしたの?」
「いや、将来パイロットになるのも悪くはないかなって」
 有紀子の口から出てきた言葉に、僕は小さな驚きを覚えた。飛行機のパイロットを目指す女子など、当時僕と同世代の女子にはほとんどいなかったのだ。
「この飛行機、パイロット候補生用の練習飛行機なんだって。そうしたら空の道に行くのも悪くないかなって」
「空の道ねえ」
 少し惚けるようにして僕はつぶやき、空を見上げた。頭上には、灰色と鈍い銀色グラデーションに彩られた無機質な曇り空が、遠吠えのような風音を立てて広がっているだけだった。
「悪くないんじゃない?男女関係なく、いろんな道に進むのはいいことだと思うよ」
 僕は見上げた空から思いついた感想を素直に述べた。
「そう。ありがとう」
 有紀子は素っ気なく答えただけだった。



 T‐3練習機の前で会話を交わしてから、もう二十年の時間が経つ。僕と有紀子は別々の中学に進学し、高校進学以降は連絡を一切取らなかった。だが高校を卒業して、大学の夜間学部に通いながらホビー誌の編集部でアルバイトをする生活を送っていると、有紀子が航空自衛隊に航空学生として入隊し、練習機で操縦士過程を受講していることを耳にした。彼女は僕と何気なく会話していた時の情熱を忘れずに、自分の道へ向かって努力し行動していたのだ。彼女が戦闘機操縦過程に進むのか、それとも別の道に行くのかは分からなかったが、僕はこの世界のどこかで強くなろうとしている有紀子の姿を想像してうれしくなり、また自分とは違う世界の住人になってしまう事に一抹の寂しさを覚えた。
 その後僕はフリーのライターとなり、様々な記事を同人誌含むメディアに提供する人間になっている。仕事に対して不満はないが、時々同級生たちは何をしているのだろうと、少し切なくなることがある。
 僕はその不定期に起こる切ない気分を、当時の記憶とともに中古で買った愛車内で味わっていた。小学校時代のLINEのグループ会話の中とはいえ、有紀子はKC‐767Jの操縦席に座り、自分が志した空の道を進んでいるのだ。
 再び信号が赤になり、僕は車を止めた。表示されたナビゲーションの画面を確認すると、実家まであと四十五分の距離の地点に来ていた。僕はセンターコンソールに突っ込んでいたスマートフォンを手に取り、家族とのLINE会話を開いてメッセージをこう送った。
「長男より、近くまで来たので実家に寄ります」



(了)
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