前倒しのクリスマスデート

文字数 4,512文字

 今年のクリスマスデートは、三日も前倒しになった。
 理由は付き合っている美月のお兄さんが、寿司職人として働いていたオーストラリアからクリスマスイブに戻って来るというので、翌日にお祝いをすることになったのだ。幸か不幸か、僕もクリスマス当日はガソリンスタンドのアルバイトが入っていたので、美月もその日が外出できないのは僕にとっても不幸中の幸いだった。
 そのため今年は早めにクリスマスデートの予定を決める事になったのだが、僕も美月もアルバイトや勉強その他の予定が詰まっており、スケジュールを確保できたのがクリスマスの三日前、それも午後からになってしまった。折角のクリスマスなのだから一日を全部使って二人だけの時間を作って、思い出を残したかったのだが、僕のささやかな願いは聞き入れられなかったようだった。夏休みにバイクの免許を取得し、九月に親からの借金をしてホンダのVT400を買ったから、休日手当をもらってお金をしっかり稼げという神様のお告げなのかもしれない。そういう事が何度も積み重なって、クリスマスが特別な日で無くなってゆく、それが大人になる事なのかと思うと、僕は少し切なくなった。

 そしてクリスマスデート当日、僕は新橋駅のゆりかもめの駅で美月と待ち合わせた。九月に買ったバイクを家に置いてきたのは、免許を取って一年間は二人乗りが出来ないからだ。違反状態で二人を乗りしてお台場に行き、お巡りさんに捕まるような事があったらシャレにならない。だから公共交通機関の方が安全だった。
 美月はゆりかもめのホームに上がるための階段の前で待っていた。僕は美月を見つけて声を掛けると、会話もせずにホームへと続く階段を上がり、エスカレーターで上に上がって改札を目指した。
「前にお台場に来たのはいつだっけ?」
 エスカレーターで僕の前に立つ美月が不意に訊いた。
「たしか、五月くらいに一度来たよ。バイクの免許を取るために教習所に通う直前の頃に一回」
 僕は記憶を反芻しながら答えた。あの時も午後だけのデートで、確か曇り空だったのを覚えている。今日は朝方に降った雨のおかげで、冬の澄み切った青空が広がる、寒いが晴れやかな気分になる日だった。
 改札を抜けてホームに出る。新橋駅は折り返しの駅だから、豊洲行きの列車者しか入ってこない。ほどなくして豊洲から来た列車が一番線のホームに流れ込んできた。この駅に乗ってきた乗客はすべて降りるから、美月と一緒に座れそうだった。
 カエルロボットの鳴き声のようなベルが鳴り響いて、列車から乗客がぞろぞろと降りてくる。最後の乗客が降車すると、僕は美月と共に列車に乗り込み、窓際にあるボックスシートに向い合せに座った。
「降りるのは、台場駅だよね」
「そうだよ」
 僕は答えた。そこからダイバーシティ東京に行く予定になっている。ダイバーシティを選んだ理由は、五月に訪れた時はアクアシティお台場に行ってショッピングをしたから、そして何より美月が行ってみたいからというものだった。
 またカエルロボットの声みたいな発射音が頭上で鳴り響いてドアが閉じ、僕と美月を乗せたゆりかもめは新橋駅からゆっくりと豊洲に向かって走り出した。コンクリートの上をゴムタイヤで走る新交通システムだから、ガタゴトという電車レールを走る音はしない。新交通システムが出来た時、この地域のビルの間を走る無人の列車に人々は未来を夢見ただろうが、二十一世紀生まれの僕と美月から見ればただの目的地までの移動手段に過ぎなかった。
 汐留の駅を超えて、日の出桟橋と芝浦の倉庫街を窓から眺める。華やかな汐留とは違い、この辺りは無機質な色遣いと直線的な形で構成された、言ってしまえば墓場のような場所だ。レインボーブリッジ側に座れば海と臨海地区の建物が僕と美月を楽しませただろうが、席を移る事はしなかった。
 芝浦駅を過ぎて、向い合せに座った僕はここまで美月と何も話していない事に気づいた。
「向こうに着いたら、どこか寄りたい場所はある?」
 僕は美月に訊いた。話を振られた美月は意外そうな表情になった後、僕を見てこう言った。
「雑貨のお店があれば立ち寄りたいわ。それくらいかな?」
「了解」
「琢也は何かあるの?寄りたいお店とか」
 美月の質問に僕は反射的に飲食店の事を口走りそうになったが、すぐに飲み込んだ。
「特にない。入ってから決めるよ」
「そう」
 美月が答えると、ゆりかもめはレインボーブリッジのループ部分に入った。ここを超えてレインボーブリッジを渡れば、華やかなお台場にたどり着く。
「ここ、なんだかディズニーランドの周りを走っている乗り物みたい」
 美月は窓から見る景色を見ながら呟いた。僕は乗った事が無いが、ディズニーランド周辺をモノレールが走っているのは知識として知っていた。
「そう?」
「何となく。電車みたいで電車じゃない乗り物だからそう感じるのかもしれないけれど。琢也は乗ったことないの?」
「俺は乗ったことないな。ディズニーランドの周りを走っている奴には、いつも車で行くから」
 僕が事実を述べると「そう」と美月は濁して口をつぐんだ。僕は下手を打ったかもしれないと思い、落ち着いた様子でこう続けた。
「もしよければ、来年二人でディズニーランドに行こうか?」
「いいの?」
 突然の提案に美月は少し驚いた様子だった。僕の口からディズニーランドに行こうなんて、想像していなかったのだろう。
「いいよ。何か理由がないと、ああいうテーマパークって行かないから」
 僕がそう答えると、答えが面白かったのか美月は笑みをこぼした。
「じゃあ、約束して」
「良いよ」
 僕は即答した。
 ゆりかもめはレインボーブリッジを渡り終え、臨海地区二つ目の停車駅である台場駅に着いた。停車を報せるブザーが頭上から響き、降りたい人間に降りるように促す。僕と美月は席から立ち上がり、ゆりかもめから台場駅に降り立った。駅構内はお台場海浜公園駅よりも明るく、すこし開放的な感じがした。
 ガンプラのラッピングが施された自動ドアを抜けて、アディダスのテナントの前を通り抜ける。僕も美月も、クリスマスプレゼントにアディダスの製品を欲しがるセンスを持っていなかった。
 僕と美月はそのまま吹き抜けに併設されたエスカレーター脇のフロア案内板をみた。
「琢也はさ、革製品とか好き?」
 案内板を見たまま、美月が不意に訊いた。
「革製品?好きだよ」
「じゃあ、ここから上がって四階だね」
 美月はそう答えると、そそくさと上りエスカレーターに向かった。僕も後に続いた。
 四階に着くと、美月は通路の脇にあるいろいろなテナントには目もくれず、一直線に目的の店へと向かって行った。僕は途中にあるライダースアパレルの店が気になったが、並んでいる品々はちょっと高額なものが多かった。
 美月についてゆくと、もう一つの吹き抜けとエスカレーターの脇にある、革製品の雑貨を扱うテナントに入った。テナント内部は盾に細長く、壁と商品棚には長財布や小銭入れなどの革製品がきれいに並べられている。その光景はアメ横のガード下にある同じような製品を扱う店舗に似ていたが、客層が違うのか、こちらの店舗の方がシックな装いだった。
 美月は商品棚にあるさまざまな商品を眺めた後、ガラスの器に入った緑、茶、黒のカード入れを見つけた。
「琢也はさ、免許証は財布に入れるタイプの人?」
「そうだけれど、何か?」
 美月の質問に僕は正直に答えた。すると美月は少し表情を曇らせて「そう」と小さく呟いた。
「でも、今日限りでそのスタイルを変えてもいいよ」
 僕がそう答えると、美月は緑色のカード入れを手に取った。
「これとかどう、革のカード入れ」
 美月は手に取った緑革のカード入れを見せた。これなら免許証以外にも、色々なカードを収納できるだろう。作りもしっかりしているから、大切にすれば十年以上は使えそうだ。
「そのうちいろんなカードが必要になるだろうから、それが良いな」
 僕が答えると、美月は小さく笑ってくれた。
 会計を済ませて、革製品を扱うテナントを後にする。僕はクリスマス用の包装が施された手帳を持ち、包装紙越しの感触と重さを味わった。指先から伝わる仄かな温もりは、クリスマスプレゼント特有のものかもしれない。
「さて、何か欲しい物とかはある?」
 僕は隣を歩く美月に質問した。美月がクリスマスプレゼントを贈ってくれたのだから、今度は僕が美月にクリスマスプレゼントを贈る番だった。
「ここには無いの」
 美月は弾かれた様に答えた。様々なテナントが集まるダイバーシティ東京に無い物という事は、何か特殊な物だろうか。
「どこにあるの?」
「少し歩くわ、ついて来て」
 僕は美月に言われるまま彼女の後に続いた。エレベーターを降りて来訪した時と同じフロアにたどり着き、アディダスのテナントを抜けてガンプラの広告が貼られた自動ドアを抜けて外に出る。正面にはビルの谷間から雪化粧をした富士山が見えた。
「富士山だ」
 僕は子どものように小さく驚きの声を上げた。
「本当だ。綺麗ね」
 美月は年上の女性のような落ち着きを持った声で答えてくれた。
 僕と美月はそのままレインボープロムナードを戻り、台場駅を通り過ぎてアクアシティお台場に入った。このままお台場海浜後編に行くのかと思ったが、そうでもないらしい。海からの冷たい風が吹きつける中、僕は何があるのかと期待しながら歩いた。
 アクアシティお台場をほとんど歩き渡り、デックス東京ビーチに渡るための場所にたどり着くと、『LOVE』とアンディ・ウォーホル風のオブジェが目の前に現れた、その向こうに橋の欄干を模したような物があり、神社のおみくじを結びつけるようにして無数の南京錠が結びつけられていた。
「これを一緒にして」
 美月はそういうと、自分の家から持ってきたであろう南京錠をポケットから取り出した。
「これだけでいいの?」
「そう。この前お台場に来た時に〝またお台場に一緒に来ることがあれば、ここにカギを掛けたいな〟って思ったの」
「また来れたから、カギを掛けたいの?」
「そう。それにこういう事って、初めから分かっていたらつまらないし、贈り物の前にやったら白けるでしょ」
「まあね」
 意外過ぎる展開には、僕はそうやって答えるしかなかった。
 僕と美月は幾多の南京錠がかかっている橋の欄干のような場所に行き、美月と一緒に南京錠を掛けた。欄干には無数の南京錠があり、僕達の南京錠は多くある南京錠のうちの一つに過ぎなかったが、僕と美月がかけた南京錠は一つだけだった。
「クリスマス当日じゃなくてよかった。当日だったら順番待ちの列に並んでいたかもしれなかったから」
 美月はそう漏らした。もしかしてクリスマスデートが早くなったのは、神様が僕達に特別な時間を与えてくれたのかもしれなかった。
「なあ」
「何?」
 僕のつぶやきに美月が反応した。
「また、この前来た時みたいにスターバックスを奢らせてくれないかな?今度は好きな物を頼んでいいから」
「いいよ。ありがとう」
 美月が答えると、僕達はアクアシティお台場内部にあるスターバックスに向かった。





(了)
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