よそ者のしきたり

文字数 1,860文字

 八月も後半に入った週の土曜日、僕は中古で買ったバイクに乗って、夏の流れを感じるために北関東の某県に向かった。
 都内から首都高に乗り、二つのジャンクションを経由して某県に向かう高速道路に乗る。進行方向先には淡い青空にちぎれたような形の銀色の雲が浮かんでいる。夕暮れになればあの浮かんだ銀色の雲たちが、水墨画に描かれたような灰色に変化するだろう。
 一日ごとに夏が遠のいてゆくのを肌で感じながら、僕は目的の某県に入ると高速道路を降りた。降りて近くにあるセルフスタンドに立ち寄って燃料を満タンにし、走り出す前に目的地に向かうための道筋をスマートフォンのナビアプリで道筋を確認した。峠を二つ超えて、一時間半も走れば目的の道の駅にたどり着くはずだった。
 僕はバイクにまたがり、再び走り始めた。山間に入ると、高速道路で見えていた淡い青空の面積は小さくなり、鈍い銀色の雲の割合が増えてきて、身体に当たる風も湿り気を帯びたものになってきた。郊外は都心部に比べて風の流れ方が違うなと感じていると、進行方向に古びた鳥居が見えてきた。
スピードを落として鳥居の前で止まると。腐食が進んだ木製の鳥居の向こうには、苔の蒸した石の階段があり、五メートルほど階段を上がると本殿があるようだった。
 僕はサイドスタンドをかけてエンジンを切り、バイクから降りてヘルメットを脱いだ。特に理由はなかったが、この神社をお参りしておいた方が良いかもしれない。という奇妙な気持ちが芽生えたからだった。
 僕は鳥居の前で一礼し、苔に覆われた階段をゆっくりと上る。バイク用のライディングブーツでこの階段を上るのはなかなか神経を使う行為だった。何とかして上り終えると、ぼろぼろの鳥居同様、長年の風雨に晒されて朽ちかけている本殿があった。僕はゆっくりと本殿に近づき、ポケットの中から小銭入れを取り出して、十二円を置いて手を合わせた。何を祈るべきか手を合わせるまで何も考えていなかったが、取りあえず道中の無事を祈った。
 参拝を終えて階段を降りると、鳥居の前に停めた僕のバイクの前に一人の初老男性が立っていた。服装からして、地元の人間らしかった。
 鳥居をくぐり抜けて境内から出ると、バイクの前の男性はこう声をかけた。
「あんた、ここの神社にお参りに来たのかい」
「ええ、何となく」
 僕が素直に答えると、地元の男性は頬を緩ませた。
「そうかい、それなら今日一日安全に過ごせるよ」
「そうなんですか?」
「この神社の神様はこの辺り一帯の守り神様でね。外部から来た人は必ずここに一礼しないといけない言い伝えなんだ。あんたはそれを守った。いいことあるよ」
「どうも」
 僕はそこで会話を切り上げてバイクに跨った。地元の人間と長々と話すことはしたくなかったのだ。
 再びバイクに乗り出し、なだらかな山坂道を進んで道の駅を目指した。五分ほど走ると、インスタグラムにアップする写真が撮れそうな河原があったので、僕はそこにバイクを乗り付けてスマートフォンで写真を撮った。
 位置情報をタグ点けしてインスタグラムにアップし終えると、僕はふうと息を吐いて河原の石に腰掛けた。聞こえて来るのは、森の木々のざわめきと蝉時雨、そして緩やかな清流の音がかすかに混じった自然の音だ。途中、地元の人たちの自動車が隣の道路を走る音が聞こえて来るが、そんなものは気にならないレベルだ。
 深呼吸をして石から立ちあがり、川に歩み寄る。川の水は驚くほど透明度が高く、水の中にはイワナかウグイらしき魚が泳いでいた。
 緩やかできれいな川には、素朴な魚たちが住んでいるのという満足感を覚えた僕は、河原から離れて再びバイクにまたがり、目的の道の駅に向かうことにした。


 それから数日後、六本木での予定を済ませて東西線に乗り込んだあと、僕はふと乗車ドア近くのモニターを見上げた。そこには日本語のほかに英語、韓国語、中国語の三か国語に翻訳されたニュース記事がゆっくりと表示されており、そこには僕がバイクで行った某県に関する話題があった。
 気になって僕は某県に関する話題が表示されるのを待った。そして表示されたニュースは、某県の川で遊んでいた子供が流されて行方不明になっているとのニュースだった。行方不明になっている子供はまだ六歳で、某県にある祖父母の家に遊びに来た時に川に流されたとのことだった。流された川は、僕がのんびりと佇んだ川のようだった。
「あそこの神社に参拝しなかったから、川に流されたのかな」
 僕は吊革につかまりながら、そんな感想を抱いた。

(了)
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