梅雨の晴れ間に。

文字数 2,206文字

 金曜日に激しく降った雨のお陰で次の日の土曜日は青空が広がっていた。
 スマートフォンのロックを解除して今日一日の天気を確認すると、午前から昼までは青空が広がり、午後から曇るものの雨は降らないとの事だった。気温は摂氏二十七度と表示されており、一日中半袖で過ごせそうだった。
 僕はスマートフォンの画面から視線を離して、再び窓の外を見た。今の季節は雨上がりの太陽に照らされる緑が美しい季節だ。雨の水が植物に潤いを与えて埃を払い、みずみずしさと透明感を与えてくれる。道端や公園の人工的に作られた植え込み植えられたでさえも、無機質な世界に生命感のエッセンスが加わる。
 僕はそのみずみずしさと透明感を増した世界に触れようと、外に出る事を決めた。雨が降り続けば書き上げなければならないテキストなどがあったが、それよりも外に出る事を決めた。
 外出に必要な道具をそろえて、薄汚れたスニーカーに足を突っ込む。一瞬、付き合っている夕美の名前と笑顔が浮かんだが、彼女は今日横浜に住む女友達の元に行くと言う事を思い出した。それと同時に、僕は新しい靴と、新しいスマートフォンに取り付けるスマートフォンケースを手に入れようとしていた事に気付く。折角の梅雨の晴れ間を楽しもうと思っていたのに余計な事を思い出してしまった。後回しにしてもよかったが、来月は第一週の休みに福島に行かなければならない用事があったし、雨の日が続くと買い物や外出が億劫になる事に気付いた。仕方ないと僕は観念して、その二つを買い求める為に外出の目的を変えた。いったん靴を脱いで部屋に戻り、マンションの駐車場に停めてある車のキーを手に取った。これから向かう靴屋と量販店は国道沿いにあり、距離が離れているので自動車を使った方が効率的だった。

 僕は駐車場に向かい、親戚の中古車屋から買った十七年前のBMWのカブリオレに乗り込む。中古車屋の叔父さんがお店を継いで五年経った記念に、新車で買ったものだったが、去年癌で亡くなり、遺品整理の際に十万円で譲ってもらった車だ。古いクルマだが几帳面な性格だったおじさんの車だけあって大きな故障もなく、快調に僕の人生を豊かにする道具として役に立ってくれていた。
 駐車場を出て路地を抜け、国道に入る。僕のマンションに繋がる道は右折が出来ないから、まずは左折して靴を買い求める事にした。
 靴は特価品のニューバランスを買った。ニューバランスは横幅があって、足が締め付けられて中の骨が擦れる感覚がないから愛用していた。僕は買った段ボールの靴箱を車の中にしまって運転席に座り込む。そして車内に置きっぱなしにしてあるLAドジャースのキャップを被り、電動の幌を開けた。付き合っている夕美は周囲の注目を集めすぎるからと言ってオープンにするのを嫌がったから、僕一人で陽気のいい時にしかオープンには出来なかった。
 僕は再び国道に出て、すこし進んだ後交差点を回り国道を反対方向に進む。僕の住むマンションに通じる道を過ぎ去り、大きな交差点を二つ越えて、道路標識に高速道路入り口の標識が見えるようになると、目的の量販店についた。土曜日と言う事もあり駐車場は満車状態で、店内入り口から一番離れた場所に停める事になった。何とか車を停めて幌を閉じ、ロックをかけて店内に入った。店内は暇を持て余している人間や、資本家や消費者と言った上から目線で店員や商品を見る客などで混雑しており、空調によって人工的に調整させられた空気が胸を詰まらせるようだった。僕は何とかしてスマートフォン関連コーナーに足を運び、スマートフォンに合わせる新しいケースを品定めしたが、気に入ったのは見つからなかった。僕は少し消沈して店内を後にし、入り口付近の自販機でコーラを買って車に戻った。
 これからどうしようか?僕は考えた。今日が土曜日で時間的に余裕がある事を思い出した僕は、車に乗って少し景色の良い所に移動しようと思い。量販店を出ると家には戻らず国道を進んで、小一時間程走った先にある自然公園へ行く事にした。
 車をオープンにして国道を走り、東京から埼玉に入って陸上自衛隊の駐屯地の近くまで来ると、駐屯地を横断する二車線の道路に入って、一応国が管理している公園に入る。駐車場に車を停めると、僕は車を降りて公園に入った。
 六月の公園の緑は鮮やかで、人間が手を入れて整えた物が大半であってもみずみずしさと鮮やかさを感じた。もう少し足を延ばして、水田や畑などが多くなる地域に足を延ばしてもよかったが、この公園でも梅雨の晴れ間を味わうには十分だった。
 僕は飲みかけのコーラを片手に、空いていたベンチに腰掛ける。周囲を見回すと、家族連れが一組と、ダックスフントを連れた女性が一人。人の密度が薄くて自分一人でのんびりできる環境に僕は居た。
 こうしてベンチに座ってぼんやりとしたのは、どれ程ぶりだろう?僕は思い返して、記憶の引き出しの奥にある何年も使われていない思い出があるかと思ったが長い間大切に扱われていなかった絵葉書のように色あせ表面がバラバラになって全体像も詳細もつかむことが出来なかった。花鳥風月も四季の移ろいも楽しめる人間になったのに、過去の事を劣化させて台無しにしてしまった。僕は非情で過去を大切にしない人間になってしまった自分を恨めしく思いながら、公園を後にする事にした。


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