第三十六話 晴明は理性を以て闇を追い、道満は激情を以て闇を奔る
文字数 3,126文字
静枝が亡くなったあの事件より数ヶ月が経った翌天元四年――、その春の日の平安京は静かな夜明けを迎えていた。
「――」
しかし、この穏やかな朝の光が照らす街の片隅には、静枝の悲劇から数ヶ月が経った今でも、心に嵐を宿した蘆屋道満が一人佇んでいた。
彼が遠くから見るのはひとりの男――、朝っぱらから酒を片手、女の腰を抱いて陽気に騒ぐ藤原満顕であった。
「ち――」
静かに道満は舌打ちする。
あれから数か月、彼女の死の真相とその裏にある陰謀を突き止めようとする安倍晴明の捜査は、道満にとってあまりにも丁寧で遅すぎるものであり、根っからの激情家である道満に対しては苛立ちしか与えなかった。
あれからしばらく――、梨花は泣いて暮らしていたが、それも数日で辞めて晴明の指導の下、陰陽道の修行を始めたようで、一見すると立ち直っているように見える。しかし――、
(拙僧 がこの有様なのに、梨花が平気でいるわけがない――)
そう道満の考える通り――、たまに人目につかない所で泣く梨花を、彼は何度も目撃していた。だからこそ――、
(くそ――、わかってるさ……、師の言うとおりなのだ――)
道満は歯を食いしばって怒りを押し殺す。師である安倍晴明には何度も言われている。
”道満よ、貴方が怒りに任せて行動することで真実は見えなくなる。梨花や――、亡くなった静枝のためにも冷静さを保つことが重要なのです”
道満は――、憎悪に駆られてすべてを失った静枝と、同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。しかし――、しかしだ……、
あの時、確かに静枝を救ったと思った――、しかし、一本の矢が静枝の命を奪い、すべては台無しになってしまった。
占術で、あの矢が満顕によるものである事はわかった。――満顕が梨花と静枝の友情を台無しにしたのだ。
その満顕がなんの咎もなく、毎日楽しく遊び歩いている――、その姿から道満は目をそらすことが出来ない。
結局、道満は激情を押さえることが出来ない。――その拳は自然に固く握られた。
――と、その時、不意に道を満顕の下へと歩み寄る男を見る。それは――、
(アレは、確か藤原満成の配下――、満顕の剣の師匠だとかいう”高倉恒浩 ”?)
その男は静かに満顕の下へと近づくと――、何かをそっと耳打ちした。その瞬間――、
(?)
不意に満顕の表情が真剣なものへと変わる。その変わりように道満も何か察するものを得た。
満顕はすぐに脇に抱えた女をほおると――、抗議する女に目も向けずどこかへと去っていく。その目には何か――、剣呑な……妖しい光がともっていた。
(――ふむ? 何かあったのか?)
道満はそれを見て満顕の後を追う事を決意する。何かしら奴らの悪事の証拠となるものを得られるかもしれないと考えたからである。
高倉恒浩と連れ立って去っていく藤原満顕を視線にとらえつつ蘆屋道満はその背を追いかける。――その先が闇に通じるとは知らず。
◆◇◆
しばらく満顕を追っていくと、彼らはひと気のない、無人の屋敷が並ぶ地域へと進んでいく。
その妖しい行動に、何かの確信を得た道満は慎重にその後を追っていく。そして――、
「む?」
満顕たちが路地を曲がり、その先に消えたのを確認した道満は、それを追ってその路地を曲がろうとする。その時――、
「あ――」
その先の道には満顕は愚か、その供である高倉恒浩すら見えなくなっていたのである。
「見失った?!」
少々慌てる道満が周囲を見回していると――、不意に前方の屋敷の方から女の悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
何事かが起こった事を察した道満は、そのまま悲鳴のした方へと急いで――、そして慎重に進んでいく。
そして、その先に門扉の開いた屋敷が見えてきたのである。
(――あそこか?)
道満は慎重にその門扉をくぐり、そして屋敷の中へと足を踏み入れる。その耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――だ、……した、――満忠……」
「?」
そのひそひそと呟く声を追って闇を進む道満。その先の一室から満顕の笑い声が確かに聞こえたのである。
「満忠――、しょうがない奴だ――、これ以上同じことを繰り返すと、俺ですら庇い辛くなってしまうぞ?」
「すみません兄さん――、でもこれで大丈夫ですよね?」
「ふん――、まあな目撃者は始末したからな」
その声を頼りに道満が部屋の中を覗き込むと――、
(――!!)
そこには二人の男――、一人は満顕、もう一人は見たことのない若い男、が女の死体を前に笑いあっていたのである。
「――」
道満はその光景を見て――、一つの考えに至る。
(見たことのないあの若い男――、もしや満顕の弟である満忠か?! そういえば先ほど微かに名前を聞いた――)
道満は頷いて後退る。かの藤原満成の息子たちの、――その悪事の決定的瞬間を目撃した道満は、それを晴明に知らせるべく奔ろうとしたのである。
――しかし、
「――で? 兄さん――、この娘を殺した下手人は誰にするつもりなんだい? いつもの通りどこかの浮浪者かな?」
「はは――、それはもう決まっておるぞ? それはな――」
その満顕の次の言葉を聞いて、道満は驚愕してその場に凍り付く。
「俺の後をつけてきた――、頭の黒いネズミにすると決めておるのだ」
「――?!」
――と、その時、やっと道満は、それまで満顕と供にあったはずの高倉恒浩の姿が見えないことに気付く。
その意味するところは――、
(いかん!)
そう心の中で叫んだ道満は、急いで屋敷の外へと走っていく。しかし――、
ドン!!
不意に奔る道満の左前方の襖がはじけ飛んで、刀を構えた高倉恒浩が走り出てくる。
その動きはまさに神速であり――、道満は反応する暇もなくその肩を刃で切り裂かれたのである。
「ちい――、追跡がバレておったか!!」
「――殺気が強すぎですよ? 蘆屋道満殿――」
「拙僧 の事を――?」
「当然ですよ――。貴方が我々の事を監視していることは、しばらく前から知っておりました――。そして――」
道満はその段になって――、自分がまんまと彼らの罠にはまった事実を知る。
「――まさか、拙僧 はおびき出されて?!」
「ええ、ちょうど満忠様の――後始末があったので、ここが頃合いかと考えまして――」
「く――」
道満は肩から流れる血を――、その傷を手で押さえながら門前へと走る。そこに――、
「待て!!」
「?!」
それは――、どこからかやってきた検非違使であり――。
(――くそ!! なんて用意のいい連中だ!!)
その瞬間、自分の身に何が起きたのかハッキリと理解する。
「止まれ!! 貴様を殺人の容疑で逮捕します!!」
「――違う!!拙僧 は――」
そう言い訳をしようとしたときに、屋敷の中から藤原満顕が現れる。
「――そいつが殺した女は中に倒れています。早く捕まえるように――」
「了解いたした――、藤原満顕様――」
それはまさに最悪の状況である。
(――このまま……、検非違使庁に? ――いや――)
そんな事をすればその先どうなるかは、火を見るより明らかである。
――ここまでの事をした満顕が、そこから先の事を考えずに捕まえさせるとは到底思えない。
(――クソ! すまん師よ――、拙僧 は――)
この状況を打開する策を一瞬で考えた道満は――、
「すまん――!!」
自分を取り押さえようとする検非違使を突き飛ばして、そのまま都の道を奔り抜けたのである。
「まて!!」
後方より自分を止めようと追う者の声が聞こえてくる。さすがの道満もこの事態に歯軋りする他なかった。
この日、蘆屋道満は、女を殺した下手人として検非違使に追われる身となった。
――そして、このことは道満――、そして晴明にとって、戦いの序曲に過ぎなかったのである。
「――」
しかし、この穏やかな朝の光が照らす街の片隅には、静枝の悲劇から数ヶ月が経った今でも、心に嵐を宿した蘆屋道満が一人佇んでいた。
彼が遠くから見るのはひとりの男――、朝っぱらから酒を片手、女の腰を抱いて陽気に騒ぐ藤原満顕であった。
「ち――」
静かに道満は舌打ちする。
あれから数か月、彼女の死の真相とその裏にある陰謀を突き止めようとする安倍晴明の捜査は、道満にとってあまりにも丁寧で遅すぎるものであり、根っからの激情家である道満に対しては苛立ちしか与えなかった。
あれからしばらく――、梨花は泣いて暮らしていたが、それも数日で辞めて晴明の指導の下、陰陽道の修行を始めたようで、一見すると立ち直っているように見える。しかし――、
(
そう道満の考える通り――、たまに人目につかない所で泣く梨花を、彼は何度も目撃していた。だからこそ――、
(くそ――、わかってるさ……、師の言うとおりなのだ――)
道満は歯を食いしばって怒りを押し殺す。師である安倍晴明には何度も言われている。
”道満よ、貴方が怒りに任せて行動することで真実は見えなくなる。梨花や――、亡くなった静枝のためにも冷静さを保つことが重要なのです”
道満は――、憎悪に駆られてすべてを失った静枝と、同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。しかし――、しかしだ……、
あの時、確かに静枝を救ったと思った――、しかし、一本の矢が静枝の命を奪い、すべては台無しになってしまった。
占術で、あの矢が満顕によるものである事はわかった。――満顕が梨花と静枝の友情を台無しにしたのだ。
その満顕がなんの咎もなく、毎日楽しく遊び歩いている――、その姿から道満は目をそらすことが出来ない。
結局、道満は激情を押さえることが出来ない。――その拳は自然に固く握られた。
――と、その時、不意に道を満顕の下へと歩み寄る男を見る。それは――、
(アレは、確か藤原満成の配下――、満顕の剣の師匠だとかいう”
その男は静かに満顕の下へと近づくと――、何かをそっと耳打ちした。その瞬間――、
(?)
不意に満顕の表情が真剣なものへと変わる。その変わりように道満も何か察するものを得た。
満顕はすぐに脇に抱えた女をほおると――、抗議する女に目も向けずどこかへと去っていく。その目には何か――、剣呑な……妖しい光がともっていた。
(――ふむ? 何かあったのか?)
道満はそれを見て満顕の後を追う事を決意する。何かしら奴らの悪事の証拠となるものを得られるかもしれないと考えたからである。
高倉恒浩と連れ立って去っていく藤原満顕を視線にとらえつつ蘆屋道満はその背を追いかける。――その先が闇に通じるとは知らず。
◆◇◆
しばらく満顕を追っていくと、彼らはひと気のない、無人の屋敷が並ぶ地域へと進んでいく。
その妖しい行動に、何かの確信を得た道満は慎重にその後を追っていく。そして――、
「む?」
満顕たちが路地を曲がり、その先に消えたのを確認した道満は、それを追ってその路地を曲がろうとする。その時――、
「あ――」
その先の道には満顕は愚か、その供である高倉恒浩すら見えなくなっていたのである。
「見失った?!」
少々慌てる道満が周囲を見回していると――、不意に前方の屋敷の方から女の悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
何事かが起こった事を察した道満は、そのまま悲鳴のした方へと急いで――、そして慎重に進んでいく。
そして、その先に門扉の開いた屋敷が見えてきたのである。
(――あそこか?)
道満は慎重にその門扉をくぐり、そして屋敷の中へと足を踏み入れる。その耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――だ、……した、――満忠……」
「?」
そのひそひそと呟く声を追って闇を進む道満。その先の一室から満顕の笑い声が確かに聞こえたのである。
「満忠――、しょうがない奴だ――、これ以上同じことを繰り返すと、俺ですら庇い辛くなってしまうぞ?」
「すみません兄さん――、でもこれで大丈夫ですよね?」
「ふん――、まあな目撃者は始末したからな」
その声を頼りに道満が部屋の中を覗き込むと――、
(――!!)
そこには二人の男――、一人は満顕、もう一人は見たことのない若い男、が女の死体を前に笑いあっていたのである。
「――」
道満はその光景を見て――、一つの考えに至る。
(見たことのないあの若い男――、もしや満顕の弟である満忠か?! そういえば先ほど微かに名前を聞いた――)
道満は頷いて後退る。かの藤原満成の息子たちの、――その悪事の決定的瞬間を目撃した道満は、それを晴明に知らせるべく奔ろうとしたのである。
――しかし、
「――で? 兄さん――、この娘を殺した下手人は誰にするつもりなんだい? いつもの通りどこかの浮浪者かな?」
「はは――、それはもう決まっておるぞ? それはな――」
その満顕の次の言葉を聞いて、道満は驚愕してその場に凍り付く。
「俺の後をつけてきた――、頭の黒いネズミにすると決めておるのだ」
「――?!」
――と、その時、やっと道満は、それまで満顕と供にあったはずの高倉恒浩の姿が見えないことに気付く。
その意味するところは――、
(いかん!)
そう心の中で叫んだ道満は、急いで屋敷の外へと走っていく。しかし――、
ドン!!
不意に奔る道満の左前方の襖がはじけ飛んで、刀を構えた高倉恒浩が走り出てくる。
その動きはまさに神速であり――、道満は反応する暇もなくその肩を刃で切り裂かれたのである。
「ちい――、追跡がバレておったか!!」
「――殺気が強すぎですよ? 蘆屋道満殿――」
「
「当然ですよ――。貴方が我々の事を監視していることは、しばらく前から知っておりました――。そして――」
道満はその段になって――、自分がまんまと彼らの罠にはまった事実を知る。
「――まさか、
「ええ、ちょうど満忠様の――後始末があったので、ここが頃合いかと考えまして――」
「く――」
道満は肩から流れる血を――、その傷を手で押さえながら門前へと走る。そこに――、
「待て!!」
「?!」
それは――、どこからかやってきた検非違使であり――。
(――くそ!! なんて用意のいい連中だ!!)
その瞬間、自分の身に何が起きたのかハッキリと理解する。
「止まれ!! 貴様を殺人の容疑で逮捕します!!」
「――違う!!
そう言い訳をしようとしたときに、屋敷の中から藤原満顕が現れる。
「――そいつが殺した女は中に倒れています。早く捕まえるように――」
「了解いたした――、藤原満顕様――」
それはまさに最悪の状況である。
(――このまま……、検非違使庁に? ――いや――)
そんな事をすればその先どうなるかは、火を見るより明らかである。
――ここまでの事をした満顕が、そこから先の事を考えずに捕まえさせるとは到底思えない。
(――クソ! すまん師よ――、
この状況を打開する策を一瞬で考えた道満は――、
「すまん――!!」
自分を取り押さえようとする検非違使を突き飛ばして、そのまま都の道を奔り抜けたのである。
「まて!!」
後方より自分を止めようと追う者の声が聞こえてくる。さすがの道満もこの事態に歯軋りする他なかった。
この日、蘆屋道満は、女を殺した下手人として検非違使に追われる身となった。
――そして、このことは道満――、そして晴明にとって、戦いの序曲に過ぎなかったのである。