第二十話 源次は後悔の剣を振るい、今一度の敗北を得る

文字数 3,616文字

 それは――、源次がいまだ十を越えていない齢の時――。彼には密かな友達がいた。
 それは喋ることのできる猿――、妖魔族を切る剣士の家系にあって――、そのような輩との交流は忌避すべきものであったが、子供である源次にはどうでもよい話であった。
 ある日出会った彼らは、共に遊ぶようになって――、餌付けでもするように家の食べ物をその猿に分け与えた。
 ――おいしい、おいしいと喜ぶ猿に満足して――、そして、楽しく遊ぶ日々。
 そんなある日、猿はこのように源次に言った。

「いつも飯を食べさせてくれるが――、お前の母上とやらは相当に料理がうまいのだな」
「ああ――、上手いぞ!! 母上の手料理は誰にも負けぬさ!!
「それは――、そのような母上に……、俺も会ってみたいな」
「む?」

 それは困ったと源次は思う。それも当然、家の者に黙って猿と遊んでいることを知られたら、どのように叱られることか。
 しかし――、母を褒められた源次は、猿に自慢の母を紹介してやりたいと思った。

 ――思ってしまった。
 それが――悲劇につながると知らず。

 そこまで語った源次は――、苦し気に顔を歪ませる。道満はそこから全てを察して答えた。

「――まさか、その猿――」
「ああ――、歳へて妖物となったものは変化を覚える。当時の俺は知らなかった――、その小さくかわいい猿が――、巨大で恐ろしい狒々であった事を」
「――」

 その言葉に道満は絶句する――、そのような存在に母を合わせればどうなるか、――最悪の予想はつく。

「お前の考えている通りだよ――。母上は――、猿に合わせた瞬間、頭を食われて死んだ――」
「く――」
「俺は騙されていた――、その猿――狒々に……、俺を奴が喰らわなかったのは――、俺の肉が小さく痩せて――旨そうではなかった……からだと奴本人の口からきいた」

 それは――、あまりにも――。

(――く、そういう事かよ――。何気なく事情を聴くつもりが最悪を踏んじまった)

 道満は後悔する――、彼に過去を聞くべきではなかった。これほどの絶望を彼に語らせるなど――。

(妖魔を――恨んで当然だ――。こんな胸糞悪い話――)

 苦しげに呻く道満を見て源次は小さく笑う。

「これで理解したか? 俺の憎悪の根源を――」
「源――次」
「そうだ――、俺は妖魔が憎い――、だから殺すのだ」
「――」
「――だから俺は、何度もお前に言っている。お前はなぜ妖魔の言葉を簡単に信じる?」

 それは――、かつて妖魔に騙され、大事な母を殺された者だからの当然ともいえる疑問。

「――それは」

 その疑問に道満は二の句が継げない。――道満は――、

(――ち、拙僧(おれ)は――)

 ――ただ黙って顔を歪める。それを見て源次は笑って言った。

「どうした? 妖魔王と姫を救いに行くのではないのか?」

 不意に源次からそう声がかけられる。それを聞いて道満は――、

(――く、拙僧(おれ)は何を考えている!! 源次の過去と――姫たちの話は別だ!! 拙僧(おれ)は――)

「そうだ――。お前の憎悪が本物だとしても――、拙僧(おれ)はおまえを倒して――先に進む」
「妖魔を――、その言葉を、信じるというのだな?」
「ああ――、少なくともあいつらはお前の過去の猿とは違う――。そう拙僧(おれ)は信じている」
「ふん――」

 その答えに――源次は嘲笑ではない、納得したという風の笑顔を見せて言った。

「ならば全力で来るがいい――、貴様の決意を証明して見せろ。俺は――このまま敗北するほど、その憎悪は弱くはないと思え?」

 かくして――、相対が再開される。
 源次はその短い会話の間に息を整えてはいたが――、それでもスタミナを回復させるには至らなかった。
 道満もまた――、動きが鈍くなったとはいえ、信じれないほど繊細な動きで躱し続ける源次に、決定打が打てずに時間だけが過ぎていった。
 ――そうして、永遠に続くかと思われるほどの相対であったが、しかし――確実に決着に向かって進んでいたのである。


◆◇◆


「――む」

 道満はそれからの数撃の打ち合いの後、一つの疑問を心に持ち始めていた。

(――あれから、幾度か打ち合ったが――、その鋭さは未だ恐ろしいが――決定打と呼べるものを打つ気配がない)

 それはまるで手加減をされているような、そのような明らかな意図が感じられた。しかし――、

(いや――そんなことがあるわけがない。あれほどの憎悪を持ち――、妖魔を救おうとする拙僧(おれ)と戦っておるのだ)

 道満はそう思いなおす。あれほどの過去を持つ者が――、そのような事――あるわけが――。

(――いや、まさか――)

 その時、ふと道満はある予想にたどり着く。

(まさか――これは――、手加減ではなく――)

 その考えに至った瞬間、道満の口から自然に言葉が生まれていた。

「そうか――、そういう事か」
「む? なんだ?」

 理解したという表情の道満に、少し困惑の表情を向ける源次――。その困惑を見ながら道満は呟いた。

「――お前は妖魔が憎いのではなく――、かつてを後悔しているのか」
「――!!

 その道満の言葉を驚きの表情で見る源次。

「――何を」
「だから――、お前は、拙僧(おれ)の話が本当の事だろうと理解できても――、戦わざるおえない」
「――」

 それならば納得がいく――。源次は妖魔が憎いといいつつ――、先ほどから”妖魔王と姫を救いに行かなくていいのか?”と道満に語りかけてきている。
 源次はそもそも――、妖魔は悪しき存在で、人のような心など持ってはいない、と考えているのではないのか? そうならば――、そもそも妖魔王と姫の想いなど一笑にふすはず。

「お前は――、妖魔は悪しき存在と言いつつ――、まるで妖魔王と姫の間の想いは理解しているかのようにさっきから話している」
「それは――」

 道満への挑発? それにしては、源次からそれほどの憎悪が感じられないのだ。それは戦い方にしてもソレだとわかる。

「お前は――、初めの斬撃で拙僧(おれ)の腕を叩き落とすことが出来た――。でもしなかった――、躊躇いがあった――」
「――」
「お前ならば――、お前が本当に妖魔を憎悪しているなら――、拙僧(おれ)みたいに妖魔の肩を持つ者も憎悪の対象であるはず――。それなら普通は俺の腕を断つことをためらったりはしない」

 ――でも、源次はそれをしなかった。できなかった――のではなく。

「俺は――」
「――なんで、あれほどの過去を持ちながら――、拙僧(おれ)に憎悪を向けない? 拙僧(おれ)は憎い妖魔を救おうとしているのだぞ?」

 道満のその疑問に――、不意に何かを悟ったような目で源次は呟く。

「俺は楽しかった――、確かに楽しかったんだ――、あの猿との日々が――」
「そうか――」
「――そして、俺はその猿に騙され――、すべては憎悪となって、そして妖魔どもを駆逐すべく剣を鍛えた――」

 その目ははるか遠くを見つめる。

「でも――、大人になり……世間を知り、善悪を知るにつれ――、俺の憎悪は後悔に変わっていった」
「源次――、お前」
「――そうだ、妖魔にも心はある――、少なくとも俺は今までの経験で理解している。なぜなら――」

 源次は自身の手を見つめる。

「俺は憎悪に捕らわれている間、多くの妖魔をこの手で殺してきたが――、その中には確かに子を想う母や――、子供すらいたのだから――」
「――」
「憎悪を晴らすのは心地よかった――、子を想う母、母を想う子――、そんな妖魔を嬲り殺しにして――、俺は笑っていた」

 源次はついに目に涙を浮かべる。

「だが――それは――、かの猿のやった事と、どれほどの違いがあるのか?」
「――」
「後悔だけが残った――、もはや俺の憎悪は枯れ果てて――。――でも、俺にはこの剣が止められない――。妖魔の心を知っても――、あの時の後悔が俺の心に突き刺さる」

 道満は心から目の前の男を哀れだと感じた。
 理解しても――、止められない――、心の傷が彼の剣を動かしているのだ。

「そうか――、やはりお前は、妖魔が憎いのではなく――」
「――信じることが出来ぬのだ――。それを俺は”憎んでいる”と、そう言い張っているだけの愚か者だ」

 道満はただ源次を見つめて言う。

「ならば――、これから拙僧(おれ)はお前を全力で叩きのめす」
「――」
「お前をここで倒して――、……もう休め――、そう言ってやる」

 その言葉に源次は答える。

「――そうだ、それでいい道満――。俺を倒して見せろ――、俺を止めて見せろ」

 その瞬間、源次はその手の刀を構えて道満へと走る。それを自身の呪力を練り上げ全開にして迎え撃つ道満。

(――俺はかつて――、妖魔と人とは友達になれると信じていた――)

 その一瞬――二人の男の影が交差し――。――そして、長い静寂が森を包む。
 後悔に揺れる刃は鋭さを失い――、道満はそれを確かに打ち砕いた。

「――道満」
「ああ――」
「かつての俺の想い――、正しかったのだと証明してくれ」

 それは源次の切なる願い――、道満は確かに頷き。そして――、
 そのまま源次はその意識を闇に没した。
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