第十話 道満は過去の幻を見、鬼神は静かに師の心を想う

文字数 2,556文字

「――師よ……、本当にいいのか?」
「何がです?」

 道満はあきれ顔でそう言い、晴明は朗らかに笑って答える。

「また宴を催すなど――、これでは、ただ馬鹿騒ぎをするだけの愚か者とみなされても仕方がないぞ?」
「ははは――事実ではないですか? 光栄も呼びましょうか――」
「怒り顔で断られるだろうが――」

 さすがの師の言葉に道満はため息をついて言った。

「それに――だ、結局、かの鬼神……茨木童子を逃した事実は変わらず……、師の地位はいまだ脅かされておるだろう?」
「はは――それこそ、かの”大江山の大将”に任せればよい話――、もう連続殺人は起こりませんよ」
「その――、鬼神どもへの謎の信頼はなんだ? 全く――」

 道満の言葉に晴明は笑う。――晴明は答えた。

「まあ――私も所詮、妖魔の血が流れていますし……」
「――……」

 最近、道満は晴明の出生の秘密を知り、――そして、自分とは”異父兄弟”の関係にあることを知っていた。
 ならば――こうして師弟関係となったのも、ある意味宿命なのだろうと納得を始めていた。

(ふん――、無論、いつか師に”参った!”を言わせてやるが)

 道満は心の中で笑う。それが――、兄弟への想いの宿る笑いである事は、彼自身気付いてはいない。
 ――さて、そうして晴明は弟子を促して宴の準備を始める。そこへと尋ねる者があった。

「晴明様――」
「おや? 頼光殿――」
「――父上より、酒の差し入れです」
「おお!! それは」

 頼光の言葉に晴明は嬉しそうに笑う。頼光の父である満仲と晴明は酒飲み友達であり――、深い交流があるのだ。

「いや――しかし、初め”事件を解決したものとする”と晴明様の口から聞いたときは――どうなるものかと」
「ははは――、頼光さまは素直でらっしゃるゆえに……、貴方に嘘をつかせるのは心苦しかったので」
「そうですか? ご心配して頂き有難いです」

 その二人にやり取りに道満は心の中で思う。

(――師よ、要するに頼光は”嘘をつけない”だろうから――、適当にごまかしただけだろう? ――心苦しいなど心にもないことを……)

 あきれ顔で見つめる道満の方を晴明は振り返って――、そして”秘密”というように口元に指を立てて笑った。

 こうして再び安倍晴明邸宅で楽し気な宴が催される。
 それを聞き及んだ内裏の者達は――、半ばあきれた様子で噂した。

 ――本当に晴明様も困ったものだ――。
 解決祝いなど――、そもそも多くの人が死んでおるのだぞ?
 不謹慎極まりない――、これは本当に――。

 内裏のその噂とは裏腹に、いたって楽し気に晴明は笑い遊ぶ。
 無論、その姿を仮のものであると――、見抜く者もいる。

(――フン。晴明――、分かっておるぞ? 人とは蔑む相手こそ大いに油断し弱点を晒す――)

 それを想うは賀茂光栄――。

(これは一つの策略――、陰陽師として優秀であると目されている者が、粗忽な阿呆であれば――、愚か者どもは与しやすいと勘違いする――。だからこそ――お前は、あれほどの力を持ちながら阿保を演じる……)

 光栄は――、それが気にいらない。
 ――ああ晴明――。

(お前ほどの男なら――、わが父より陰陽道のすべてを継承されることすら、ありうる話であったろうに――。それならば――俺も……、すべてを納得してお前に従っただろうに……)

 それは光栄の本当の想い――。

(お前は――父を偽り……。そして、中途半端にも暦道を俺が継承し――、陰陽道は二つに分かたれることとなった)

 だからこそ――彼は想う。

 ――俺は貴様を許さない――、我が”愛する兄弟子”よ――。――許すことはない。
 ――お前は生涯……この賀茂光栄の”怨敵”である。

 その想いは果てもなく――、その先に悲劇が起こることももはや決められている。
 ――その悲劇とは?

 蘆屋道満と安倍晴明――、彼らが笑いあい遊ぶ世にあって、それだけが黒い汚れとなって平安京を汚そうとしていた。


◆◇◆


 闇夜の森の中――、眠っていた蘆屋道満が目を覚ます。それを見て”使鬼である”百鬼丸が静かに声をかけた。

「――……」
「起こしてしまいましたか? 道満様――」
「いや――、昔の――美しい幻を見た……」
「幻――、夢にございますか?」

 道満は白髪が増え――、半ば白髪となったその髪を掻いて、そして自身の護法鬼神である百鬼丸を見た。
 その表情は、寂しそうでもあり、嬉しそうでもあり――、そして悲痛にも見えた。

「道満様――、その夢は……」

 百鬼丸はあることを口に出しだそうとし――、そして躊躇う。

「ふ――、気にすることはない……、もはや拙僧(おれ)は人の世を捨てたのだ」
「――道満様……」

 百鬼丸は悲しい目を道満に向ける。

「人である貴方が――人の世を捨てるなど……、そのような事、いくら我らのためとはいえ」
「――気にするな……百鬼丸。いや――お前は気にするか」

 大きな体を小さくした百鬼丸を見て、道満は優しい目をしながら彼女を見つめる。

「お前の父親は――、酒呑童子は”自らの宿命”に殉じ、そして晴明――、源頼光どもに討たれた」
「――」
「辛いのはお前のほうだ――、違うか? 百鬼丸――」
「しかし……」

 目に涙を浮かべながら答える百鬼丸を――、その頭を優しく撫でながら道満は言う。

「――はは、拙僧(おれ)は人を捨てて魔道に堕ちた、ただの破戒僧――、悪鬼羅刹よ……」
「道満様――」
「ゆえに――拙僧(おれ)には、人らしき心根など残ってはおらぬ」

 百鬼丸は心の中でその道満の言葉に答える。

(ああ――、人を捨てて魔道に堕ちた者の手が――、これほど温かいなどあろうはずがないのに)

 かつて――、”あの者”と道満は常に共にあった。
 その者と命を取り合う関係となり久しい道満の――その心はいかほどのものなのか? ――百鬼丸には推し量ることも出来ぬことであった。

 平安京での”あの戦い”より数日――、諸国を巡り妖魔王たちを尋ね歩く道満の旅路はいまだ先が見えない。
 道満の心の内には、人とその都に虐げられ苦しむ妖魔たちの――、その平安を守るための”都”を築く構想が出来上がっている。

 ――それもまた”平安を守護する者”の使命であると信じて。

 かの美しい日々は、はるか過去へと追いやられ――、もはや美しい幻として夢として見るばかり。
 道満の旅路は――まだ終わることはない。
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